オリックスの執行役員とグループ会社社長に就任し、女性として前人未到のキャリアを築いた山科さん。上司のむちゃぶりに応え、時にピンチに陥りながらもそこから学んだことを着実に活かしてきた。その柔軟性と仕事に対する意識の高さが今につながる。

宮内社長の秘書となり、全社へと視野を広げた

「とにかく仕事をさせてくれる会社を探していました」。山科裕子さんは33年前の就活時をそう振り返る。男女雇用機会均等法が施行される1986年4月入社。女性が男性と同条件で採用されなかった最後の年に、大卒女性が営業職で男性と同等に働くオリエント・リース(現・オリックス)にめぐりあい、入社した。

オリックスグループ 執行役員 山科裕子さん

「不動産ファイナンスを専門にしたかったので、住宅事業部の営業に配属されたのは希望どおりでした。好景気で社員も皆若く、活気がありましたね。そんな中、1年目の私は住宅ローンの解約手続きでミスをしてしまい、お客さまには理解していただきましたが、今思えば真っ青になるような失敗でしたね。その後、どんどん仕事が面白くなってきたころ、社長室の秘書課に異動になりました」

経営手腕を振るった宮内義彦社長(当時)の秘書を担当。社長秘書といえば、華やかなイメージがあるが、その実態は?

「毎週2回お花が届き、秘書が担当役員の部屋に花を生けるんです。ほかの秘書の皆さんは上手で、私だけ生け花なんてやったことがない。皆さんが通っていた草月流の教室に一緒に行かせてもらいましたが、1度、宮内社長から呼ばれて、『山科さん、花が倒れている』と(笑)。剣山に挿したものが倒れてしまって生け直したこともありました」

宮内社長をはじめ、営業の現場では出会えない人に接した。なかでも語学堪能な年上の女性がメンター的な存在になってくれ、さまざまな哲学を教えてくれたという。

「『ジョブとワークの違いってわかる?』と問われて、答えられなかったのですが、ジョブというのは報酬をもらうための仕事。一方、ワークは報酬だけではない意義がある仕事だと教えてもらいました。その人は社会的な活動で人のネットワークをつくっていたんです」

担当者不在で報告書を急ピッチで作り上げた

その後も異動してさまざまな業務を経験。社会人大学院で企業法学も学んだ。そして、広報・IR部で管理職に。当時は私生活でも苦労が重なった。

(中)IRチームの同僚たちと(下)女性役員の異業種交流会

「父が亡くなり大阪で暮らす母の介護に通うように。さらに夫がドイツに赴任したのでそちらにも行き、東京、大阪、ミュンヘン間を飛び回る慌ただしい生活を送っていましたね」

98年、オリックスはニューヨーク証券取引所に上場。グローバル企業として、広報ではグループに配布する英語と日本語の2カ国語で社内報を作るようになった。同時にIRとして四半期決算を発表する任務を負う。

「日本でいうところの有価証券報告書を提出しなければならず、それを読む海外の投資家の目は厳しいです。しかし、その担当者が突然、繁忙期に辞めてしまって、ピンチに陥ったことがありました。4月にそれが起こり、それでも報告書を6月末までに完成させなければならなくて……」

報告書のデッドラインとクオリティー。そのどちらもクリアしなければならない状況で、チームメンバーが一丸となって、なんとか報告書を作り上げた。

「まさに修羅場でしたね。そこで得た教訓は、仕事を属人化してはいけないということ。あのときのように退職というハプニングがなくても、担当者不在という事態は起こりうるわけですから。そして、次世代を育てていくというマネジメントも大事だと、本当に身に染みました」

管理職として人材を育成するということに目が向いた。そして、広報・IRの分野で9年のキャリアを重ね、後進も育ってきたタイミングで異動し、部長に昇格。その後、入院・手術という試練を乗り越え、女性初の執行役員という扉を開く。

女性役員の道を開き、後輩につなげる活動を

「オリックス生命保険で執行役員になり、役員の仕事とはなんだろうということを考えました。いわゆる実務のプロが部長だとすれば、役員は方針を出す。あとは現場に委ねながらもサポートは怠らない。そして、責任がある管掌範囲だけではなく、全社的に見ること。部分最適ではだめなんですよね」

Favorite Item●3色ペンとリングホルダー
北海道の馬具メーカーが作ったペン。リングホルダーはえとがうさぎ年ということもあり、お気に入り。

2014年、オリックスでも初の女性執行役となった。

「女性の後輩たちがすごく喜んでくれて、『山科さん、0と1では違うんです。0はいくら掛け算しても0だけど、1はやがてそれが2になって3になる』と言ってくれたことが、とても励みになりました」

そこで女性役員の異業種交流会をつくり、そのメンバーで課長クラスの女性に向けた勉強会を年に4回開いている。

「最近は、均等法以前のことを知らない若い世代が着実に課長クラスに上がってきている。それがうれしいですね。私もいろんな人に支えられ、チャンスをもらってここまで来たので、先輩からいただいたものを次に渡したい。ペイ・フォワードという言葉があるように、“ご恩”をつなげていければいいなと思います」

そんな社会的意義のある“ワーク”を実践中。今は32年間のキャリアがきれいにリンクした充実の時を過ごしている。

▼役員の素顔に迫るQ&A
Q.好きな言葉
悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する(フランスの哲学者・アラン)
Q.趣味
国宝めぐり
Q.ストレス発散
夫婦で料理をすること
Q.愛読書
『幸福学×経営学』前野隆司、小森谷浩志、天外伺朗(共著)
山科裕子(やましな・ひろこ)
オリックスグループ 執行役員
1986年、オリエント・リース(現・オリックス)入社。2010年にオリックス生命保険執行役員。14年にオリックス執行役グループコンプライアンス部・グループ監査部管掌就任。16年に同グループ執行役員、オリックス・クレジット代表取締役社長となる。