※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。
西川朋子さん 41歳 転職4回 独立
社長の経営理念に強く共感し、飲みに誘った
「中学生の頃から『誰もが幸せに生きられる平和な世界に貢献したい』と思っていて、国連職員になるのが夢でした」という西川さん。だが大学時代に「事務処理能力を問われがちな公務員より、社会起業家など“ゼロイチ”の仕事が向いている」と気づき、20代は留学情報メディアなどを手がけるベンチャー企業に就職。国内外を飛び回り営業として活躍するが、会社が主要事業を売却する事態に。
「将来は、社会起業家を応援する仕事がしたい。それなら自分が経営を経験しておくべき」と考えていた西川さんは、出資者を募って事業を買い取り、28歳で社長となったのだが……。
「やりがいはありましたが責任も大きく、毎晩、仕事の夢を見るほどでした」と苦笑する。
約3年後に信頼できる副社長に会社を任せ、今度は女性起業家を応援していたPR会社に転職。その会社の上場を機にPRの部署に異動し、3年間大手企業のPRコンサルティングに従事した。このとき、転機となる出会いがあった。会社の研修で講演に来ていた「ココナラ」の南章行社長。そのビジョンファーストの経営理念に強く共感し、「もっと話が聞いてみたい」と飲みに誘った。すぐに意気投合し、ココナラの広報として転職してしまう。だが、次の転機はそのわずか1年後にやってきた。
「トビタテ!留学JAPAN」という文部科学省の官民協働の留学促進プロジェクトだ。
「内向きになりがちな日本の若者の留学を増やすのが目的で、留学の知識と広報経験のある人材を募集していると聞き、これは運命の仕事だと直感しました。文科省に来てもう4年になります」
"4度の転職"はどれもトントン拍子
20代の留学業界経験、30代の広報の経験を活かし、社会的意義の高いライフワークにたどり着いた西川さん。4度の転職はどれもトントン拍子だったものの、岐路に立ったときは常に迷い、自分がワクワクする要素は何かを紙に書き出して気持ちを整理してきた。
「私は人と人をつなぐことが好きなんです。留学プロジェクトは2020年で一区切りしますが、霞が関にはほかにも社会を良くするプロジェクトがたくさんある。今後も広報・コミュニケーションの専門家として、民と官をつなぐ橋渡しができればと思っています」
23歳:留学情報のメディアに転職。海外出張を楽しむ
28歳:留学情報事業を買い取り、社長になる
31歳:女性起業塾の事務局長に
36歳:社長のビジョンに共感し、ココナラに転職
37歳:文部科学省「トビタテ!留学JAPAN」PRチームに参画