キャリアを変えることはリスクです。決断を後悔するかもしれません。それでも新天地に飛び込んだ女性たちがいます。なぜその一歩を踏み出すことができたのか。連続インタビューをお届けします。今回は、フリーランスの田村篤子さんのキャリアについて――。

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。

フリーランス
田村篤子
さん 46歳 留学 転職2回 独立

「いまは子育てを優先」。元の職場とフリーで契約

在日外国機関の職員だった田村さんが、海外留学を決意したのは33歳のとき。カナダの大学院で、以前から関心のあった公共政策の研究がしたくなったのだ。

(左下)元の職場は早稲田大学から徒歩数分の商店街にあり、学生たちの熱気に包まれている。(右下)田村さんが関わるプロジェクトの資料。今は残業できないので、集中力を上げて取り組む。

「私は考えるよりも先に体が動くタイプ。純粋な学究の道よりも、研究の知識を実践で活かすほうが向いているように感じて、前職は辞めてしまいました」

修士課程を修めて帰国した田村さんが、研究関連職を転々とする中で出会ったのが、研究マネジメントの仕事だった。

37歳で早稲田総研イニシアティブ(当時)に入社。大学などの教育機関を対象に、教育や研究の推進、事業化・国際化支援などの企画運営を担っている会社で、学術的な素養と実務マネジメント能力の両方が求められる仕事だ。

「教授とも話をするので、研究内容をある程度わかっている必要があります。でも、きちんと勉強して臨めば実務面でのパートナーとして信頼してもらえるので、やりがいがありました。国際関係のプロジェクトや海外との連携を数多く任されて、楽しかったです」

田村さんは仕事に没頭し、翌年にはチームリーダーに昇格。プライベートでも結婚し、充実した日々を送っていた。思いがけず妊娠がわかったのは、40歳のときだ。

「まさかと驚きはしましたが、うれしかったです。ただ、仕事と両立できるのかという不安も。職場のサポートもあり、生後7カ月で復帰しましたが、こんなにも大変なのかと思い知りましたね」

夫は仕事に追われ、帰宅が遅いため、子育てはほぼワンオペ状態。息子は病気がちで、夜泣きや急病のため眠れない夜が続く。そんな中、仕事でもチームリーダーとしての責任がのしかかった。

専門職への転換など、両立の道を探ってきたが、悩んだ末に退社。だが話し合いの結果、担当していたプロジェクトを業務委託のフリーランスとして続けられることになった。このような事例は会社としても初めてだった。

「ありがたいことに、今は早く帰れるので、保育園帰りの子どもと公園に寄って遊ぶ、といったささやかな幸せを噛(か)みしめています。でも、落ち着いたらまた仕事を増やしていきたい。子ども向けの教育など、地元を基盤に事業を広げていくのが今の夢です」

33歳:キャリアチェンジのため、カナダの大学院に留学
37歳:研究マネジメント職に関心が移り、今の会社で働き始める
38歳:趣味を通じて出会った男性と結婚。職場ではチームリーダーに昇格
42歳:子どもの夜泣きや急病で眠れない日々。夫とのけんかが増える
46歳:育児優先のため、会社を辞め、業務委託のフリーランスに