※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年4月号)の掲載記事を再編集したものです。
丸山佳那子さん 30歳 転職1回
初めての接客業。「ホテルの顔」になり、笑顔をとり戻す
帰りはいつも深夜。休日も海外とのやりとりがあって心が休まらなかったという丸山さん。5年前までは、貿易会社の営業だった。
「ある日、電車の窓に映った自分の姿を見てびっくりしたんです。一瞬、自分だと気づかないくらいに疲れきった顔。直近で笑ったのがいつなのか思い出せない。肌もボロボロになっていて……」
「もう限界」と、興味のあった外資系ホテルに転職した。客室係やフロント業務を経て、現在は、スパ&フィットネス施設のクラブコンシェルジュとして活躍。外国人客も多いので、得意の英語をフル活用している。
「ホテルの顔としてお客さまに接するので、身なりも笑顔も大事。接客業は初めてでしたが、髪を整えることで仕事スイッチが入ったり、お客さまと笑顔で話すことで自分も楽しくなるのが新鮮です。思いきって転職してよかった!」
▼丸山さんの幸福度の変化
23歳:知識ゼロで鉄鋼部門の営業を担当。深夜残業に加え休日も仕事モード -20%↓
25歳:長時間労働で体も肌もボロボロに。限界を感じて転職を決意 -100%↓
30歳:転職して5年、客室係、フロント業務を経てスパ施設に配属 80%↑
菅原恵理子さん 34歳 転職1回
婚約解消で幸せな生き方を模索。女性が輝く職場で再出発
人材会社の営業として、新人ながら驚異的な成績を収めた菅原さん。23歳でリーダー職に昇進したが、3年後、リーマン・ショックの影響で同僚たちは次々と退職。社内に相談できる人がいなくなる。その後、自ら志願して人事部に異動。「人と向き合うことに魅力を感じ、それまで以上に仕事に没頭するようになりました」
そんな中、以前からつきあってきた婚約者とすれ違いが増え、関係が微妙に。婚約解消した。「そのとき、改めて考えたんです。女性として幸せな生き方、働き方って、何なんだろうと」
そんな菅原さんが次の職場に選んだのは、女性が創業し、女性のために製品をつくっている会社。
「年齢を重ねてもすてきな女性が多いですね。以前は『もう30代』と焦っていましたが、今は『まだ30代』とキャリアを前向きに捉えられるようになりました」
退社後に語学学校に通ったり、2017年結婚した夫と夕飯を食べたり、私生活も充実した日々だ。
▼菅原さんの幸福度の変化
23歳:営業成果が認められリーダー職に昇進。プレッシャーに苦しむ 20%↓
32歳:婚約を解消し、プライベートをリセットすることに 0%↓
30歳:転職。魅力的な女性の先輩たちに囲まれ、前向きな気持ちに 70%↑
松田真弓さん 36歳 転職3回 Wワーク
社長のきまぐれで広報の魅力にはまり、ベンチャーでの副業も
「営業でトップを取れる器ではない」と、2社目の求人広告会社を退職。得意な文章の仕事で食べていこうと33歳で就活支援サービスを提供する今の会社(4社目)に。ホームページのコンテンツを執筆するライターとして採用されたが、ある日、社長から「広報に興味ある?」と聞かれた。
「『ないです』と言ったのに、広報養成講座に行かされて(笑)」
社長の気まぐれで大変なことになったと思っていた松田さん。だが、いざ始めてみると広報の魅力にどんどんはまっていった。
「他社の広報の人たちはみなさん優秀なうえに人格者が多い。お話を聞いているだけで、自分が磨かれるような気持ちになります」
そうして広がった人脈の中で、自身も将来の足がかりをつかんだ。
「2018年4月から『坂ノ途中』という京都の農業ベンチャーでも働きます。実は以前から『将来は野菜をつくって暮らしたい』という夢があって。副業OKの会社なので、今後は2社で広報を担当します」
▼松田さんの幸福度の変化
30歳:求人広告会社を辞め、NPO法人が発行する新聞の編集記者に 50%↑
33歳:i-plugにライターとして入社。ホームページのコンテンツを執筆 50%↑
33歳:社長命令でライター兼広報に。ネットワークが急拡大する 70%↑
富谷瑠美さん 34歳 転職2回 独立 Wワーク
自由に記事を書きたくて、兼業OKの会社へ
26歳のときにコンサルティング会社から新聞社の電子メディアに転職。「いずれは記者に」という夢をかなえた富谷さん。被災地のエンジニアを取材した記事や、マップアプリの不具合について深掘りした記事は大反響を呼んだ。
「ところが30歳で広告部門に異動になり、記事が書けなくなってしまって……」。そこで転職サイトに登録し、兼業OKのリクルートテクノロジーズに入社。その年に結婚し、ライターとして念願の開業も果たした。
だが妊娠と同時に切迫流産で休職。子どもは無事に産まれたものの、1年後に夫と離婚し、シングルマザーになってしまう。
「ひとりで子育てしやすいよう、職場に近く保育園に入りやすい地域に引っ越しました。社内公募で編集職に異動して、今は住宅情報サイトのデスクです。リモートワーク制度があるので、出社は週2、3日程度。個人の仕事も含め、自宅やシェアオフィスで働く日も多いです。将来はITをテーマに世界中を取材するのが夢。もちろん息子も連れて行きますよ(笑)」
▼富谷さんの幸福度の変化
29歳:iPhoneマップの「ガンダム駅」に関する記事で最高PV数を獲得 100%↑
33歳:育休から復帰後、離婚成立。個人事業を法人化し、会社を設立 60%↑
34歳:社内公募でリクルート住まいカンパニーに転籍。編集・記者職に戻る 70%↑
佐々木梨乃さん 36歳 Wワーク
被災地の学生を支援して、自分自身の成長も実感
「本業でも副業でも、高校生が成長する姿を目の当たりにできる」と、目を輝かせて話す佐々木さん。会社の社会貢献事業で被災地の学生を支援する一方、そこで縁があったNPO法人で事務補助を行う。きっかけは、東日本大震災。
「あの頃、取り組んでいた事業の縮小が決まり、成長させられなかった悔しさを引きずっていました。そんな中、あの震災が起きて……。テレビで被災地の様子を見て、現地で何か役に立てたら、と」
迷わず、社内の復興支援プロジェクトに挙手した。
「震災で心に傷を負い、人と目を合わせられず、内にこもっている高校生も大勢いました。でも、私が担当したプログラムを通して、その子たちが『地元でこういうことをしたい』と、大勢の前で堂々とスピーチをするようになったんです。その姿を見て涙が止まりませんでした」
自分のしていることが人の成長に大きく関わっていると実感できる、忘れられない光景だった。
▼佐々木さんの幸福度の変化
24歳:ソフトバンクBB入社。流通事業の法人営業に配属される 50%↑
29歳:東日本大震災発生。社内の震災復興支援プロジェクトに参加 -50%↓
33歳:リーダーシッププログラムの担当になり、高校生の成長に心が震える 100%↑
松井さやかさん 36歳 転職3回 留学
病気治療を乗り越え、企業内弁護士の道へ
弁護士になったのは27歳のとき。希望していた大手法律事務所に入り、大企業の巨額の資金調達やM&Aといった手ごたえのある案件を担当していた。ところが、29歳で退所することに。
「婦人科系の疾患になり、治療との両立が難しくなったんです。仕事が充実していただけに喪失感も大きく、思い描いていたキャリアが終わったと落ち込みました」
だがロースクール時代の仲間に誘われて、被災者を法律面でサポートしたり、ベンチャー企業の法務支援をするうちに、気持ちが前向きになっていった。
「仲間と協働していて、私はチームで仕事をすることが好きなんだと気づきました。前から興味のあったヨガを本格的に学び、心身の整え方を身につけたことも前に踏み出すきっかけになりました」
現在は企業内弁護士として活躍。法律事務所とはまた違った環境だ。
「各部署とともに新サービスの開発に関わるなど、まさにチームの一員として働ける仕事。弁護士という仕事の潜在力を感じながら日々過ごしています」
▼松井さんの幸福度の変化
27歳:大手法律事務所に入所。あこがれの仕事に就き、気合十分 90%↑
29歳:体調が悪化し、法律事務所を退所。夫のすすめで療養に専念 -50%↓
34歳:夫の米国留学に同行。ロースクールで企業法務を改めて学ぶ 100%↑
戸塚絵梨子さん 31歳 独立
ボランティアから被災地を支援する、社内ベンチャー設立
「人の人生に携わる仕事」がしたくてパソナに入社した戸塚さん。入社2年目に東日本大震災が発生。社内の先輩について被災地へ赴き、復興支援を手伝ったが、「週末だけの支援では足りない」と、後ろ髪を引かれた。
入社4年目、ボランティア休暇制度を利用して9カ月間、岩手県釡石市に滞在してまちづくりに取り組むと、釡石への思いがいっそう強くなっていく。
そして28歳のとき、グループ代表の南部靖之氏から招集がかかる。「パソナが東北でできることは何か」と聞かれ、「ボランティアではなく、仕事で何かできることがあるかも」と事業計画を書き始めた。そして社内ベンチャーに応募。プレゼンの場で「本気で取り組むなら会社をつくるべき」と南部氏に促された戸塚さんは「本気です」と即答。それがパソナ東北創生の設立につながっていく。
「当初は仕事がなくて本当に大変でした」と苦笑するが、事業の幅を広げ、3年目でようやく黒字転換。今は東京と釡石を行き来しながら創業や移住のサポートを行い、被災地での新しい生き方や働き方の創出を目指している。
▼戸塚さんの幸福度の変化
24歳:社内の有志とともに週末に復興支援に取り組む 30%↑
28歳:社内ベンチャーで会社設立。経験がなく苦しい毎日が続く 10%↓
31歳:会社が少しずつ軌道に乗り始め、社員メンバーが増える 70%↑
貫井香織さん 39歳 転職2回
実家の農園に入って、新商品や海外市場を開拓
好きなことには夢中になってのめり込む性格。大学卒業後に勤務した採用コンサルティング会社、PR会社でも仕事に没頭したが、どちらも顧客の成長を助ける仕事。
「いつか自分が手がけた商品を発信したいと思うようになり、そういえば実家がしいたけを作っていたな、と思い出したんです。両親からは『家業は継がなくていい、好きなことをやりなさい』と言われて育ち、それまでは関心がなかったんですけどね」
29歳で就農。原発事故後の放射能問題でしいたけが出荷停止になるなどの試練もあったが、「しいたけカレー」「しいたけソルト」などの加工品を開発してレストランに販売したり、海外への輸出を目指す国内農家のネットワークを組織してフェアを開催するなど、精力的に活動している。
「決められたことをやるだけ、というのが一番苦手(笑)。面白そうだと思って動くと、人とつながりができ、次にまたやりたいことが見つかる。自由に動ける今がとても楽しいんです」
▼貫井さんの幸福度の変化
29歳:実家の「貫井園」に入社。多くの人に農産物を届けようと決意 85%↑
32歳:東日本大震災後、放射能問題で大打撃を受ける 80%↓
38歳:有志17人で「日本農業女子フェアin香港」を開催 85%↑