インドでまさかの「ゼロ」の状態になった
大学生のときにヨガを始めて、インドに興味を持ちました。藤原新也さんの『印度放浪』とか、小田実さんの『何でも見てやろう』とか、いろいろ読んだ中で一番印象に残ったのが沢木耕太郎さんの『深夜特急』。「いつかこういう旅をしたい」と、すごく憧れたんです。
大学卒業後に就職した会社は、体を壊して2年ほどで退職。そして向かった先がインドでした。沢木さんのように3等列車に乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めの車内で荷台に横になったことを覚えています。当初3週間ほどで帰国する予定が、結局インドとネパールに計4カ月も滞在。最後にはお金も底をつきました。
当時のインドは関税が高く、ジーンズやTシャツなど外国人の持ち物を皆ほしがったので、全部売ってお金に換えて。ほんとに無一文になったとき、「何かを失う」恐怖から解放されました。そのとき、「これから先、もし失敗しても戻ってくるところがこの無の状態だったら幸せだな」と思ったんです。
最初に「ゼロ」の概念を考えたのはインド人です。25歳のとき、そのインドでまさかの「ゼロ」の状態になった。人間ひとり生きていくために必要なものって、こんな最小限なんだと思いました。解放されましたね。私の本当の人生のスタート地点だったと思います。
東京を出てインドに行く前、立ち寄ったバンコクで世界一周チケットを購入していました。インドから、ロンドン、ニューヨーク(NY)を経由して東京に帰る予定でしたが、NYに着いたとき、ポケットには20ドルしかなかった。しばらく滞在したくなり、仕事を探したらすぐに見つかって、就労ビザも出してもらえることになりました。それから30年。いまだにインドからの帰国の旅の途中なんですよ(笑)。
NYは街自体が「小宇宙」。世界中のあらゆる人種、宗教、価値観を持った人がいて、最低のものも最高のものもそこにある。世間体などお構いなしに、やりたいことが思う存分できて、自分らしくいられる街です。監督デビュー作『ハーブ&ドロシー』を公開したときも、私の年齢や国籍は一切紹介されなかった。日本なら「なぜ日本人がユダヤ人のアートコレクター夫婦を撮ったの?」と聞かれるかもしれません。作品だけで評価される、そこは米国のすごいところだと思います。
人に流されない。聞くべきは「自分の心の声」
NYでキャスターやジャーナリストとして働いて、実は30代後半でうつ病になりました。母親との関係に確執があった私には、もともとうつの傾向があったようなのですが、まったく自覚がなかったんです。ところが、抗うつ剤の取材をしたことがきっかけで自分の症状に気づき、ドカンと気持ちが落ちました。
そんなとき、お世話になったカウンセラーから薦められた本が『The Artist’sWay』(日本語訳『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』)でした。クリエーティブな仕事をしている人が創造性を上げる方法を紹介している本で、たとえば小説やエッセイを書いている人たちが、行き詰まって書けなくなる「ライターズ・ブロック」という現象をどう取り除くかという視点で書かれています。
12週間のワーク形式になっていて、最初に出てくるのが「モーニング・ページ」という課題。朝起きたら30分間、ノートに向かってひたすら思い浮かんだことを書き、3ページ埋めます。何も浮かばなければ「思い浮かばない」と書く。そうすると、頭の中のモヤモヤや悩み、どうしていいかわからない選択の答えが、不思議と見えてくるんです。
私たちは、どんなことでも自分の中に答えを持っています。人にアドバイスを仰いでも、最後に判断を下すのは自分です。映画を撮っていると、いろんな方からネガティブなことも言われます。それは私が「本気でこれをやる気があるのか?」を問う「試し」だと思っています。人の意見はもちろん聞くし、参考になるお話もたくさんありますが、ほかの人の話に流されて言うとおりにし始めたときに、不幸が始まります。聞くべきなのは、自分の心の声です。モーニング・ページなどで心の声とつながる練習をしていると、答えが見つかりやすくなるし、「どんなに行き詰まっても乗り越えてきた」という経験を積み重ねることで、自信につながっていきます。
『善き人のためのソナタ』
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
2006年・ドイツ
旧東ドイツの監視体制を描いたドラマ。「秘密警察の男が盗聴相手の芸術家に次第に共鳴していくのですが、男女愛や夫婦愛を超えて『こんな強烈な愛情があるのか』というショックを受け、見た後に立ち上がることができなかった作品です」
映画監督
札幌市生まれ。1987年よりNY在住。フリーのジャーナリストを経て、NHKアメリカ総局勤務。独立後は報道番組の制作に携わる。『ハーブ&ドロシー』は世界の映画祭で多数の受賞を果たし、東京でもロングラン上映を記録した。