160種以上のクリップを状況に即して選んでいく
脳の動脈瘤(どうみゃくりゅう)が破れる前の「未破裂脳動脈瘤」も、破れてしまった「くも膜下出血」も、出血や再出血を防ぐには、開頭して瘤(こぶ)を根元から閉ざしてしまう必要があります。血管の外から開いてしまった穴を、洗濯ばさみ状のクリップで留めるのがクリッピング術。くも膜下出血では、最初の出血から1日以内に次の出血が起こることが多く、患者さんが運ばれてきたら、直ちに血管の補修をするのが大原則です。
くも膜下出血は重症になると昏睡状態から即死に至る場合もあります。脳卒中の中では最も死亡率が高い病気です。
難易度にもよりますが、クリッピング法の手術で私が手術場にいる時間は、長いときは4~5時間、短いと1~1時間半くらいです。
手術に入る頻度は週に3回程度。緊急の場合は1日に2回行うこともありますが、基本は1日1回です。
手術のやり方は、動脈瘤の位置や開頭する場所によって変わってきます。手順は決まっているのですが、実際に開頭してみないとわからないことが多いのが本音です。
予想より難しい状況の場合、その場その場で最善の努力をするしかありません。たとえば、クリップを置かなくてはいけない場所に細い血管がたくさん張り付いていると、それらを挟まないよう、少しずつはがしてから施術します。でも、もしそれが手脚を動かす神経に血を送っている大事な血管なら、残さなければいけません。そうした場合は、160種類以上あるクリップの中から状況に最も適したものを選定するなど、臨機応変に対処していきます。
血管の色が淡い部分は破れやすいので、とくに注意深く扱います。
手術中はもちろん集中していますが、やはり生身の人間ですから、ずっと同じ緊張を保っているわけではありません。でも、どんな仕事でも「ここはうんと頑張らなきゃいけない」という瞬間があるでしょう? 手術も同じで、クリップを置くところまでは集中を強いられますが、それが終われば、少し息がつけます。
手術に集中できるのは、信頼できる仲間のおかげ
手術では、チームワークのよさも重要です。難しい手術のときの助手は、研修医1年生ではなく、経験を積んだ医師、それも気心の知れた相手についてもらいたいですね。
どのパートナーと組むかは、集中に影響すると思います。麻酔科医、看護師、医師は三位一体。いい手術をするためには欠かせない、大切な仲間です。
手術はお昼前に行うことが多いのですが、おなかいっぱいの状況で入ることはないですね。みなさんもそうだと思いますが、おなかいっぱいだと集中力がゆるむでしょう?
反対に、おなかが空きすぎていても「何か食べなきゃ」という意識が働いて良くない。手術前には、看護師さんが持って来てくれたものを適当につまんだりしています。
「手術室に入る前に、手術は終わっている」と言う先生もいらっしゃいますが、頭の中で段取りをしておくことは大事です。動脈瘤の治療でも、教科書通りの手順があるんですよ。
とはいえ、実際は教科書通りにいかないことも。手術中に出血して、平常心を失いそうになったこともあります。私の場合は、患者さんと手術前からかなり深く関わっているので、その方の人生が私の手にかかっていることを痛感するわけです。
危険な局面に対処するには、何か起きたときのシチュエーションを事前に予測して、対処方法を準備しておくしかありません。準備さえしておけば、その手順通りに粛々と処置をすることができますから。
もちろん、私も最初から完璧に対処できたわけではありません。手術の「さじ加減」というのは、やはり経験を積まないと掴(つか)めない。クリップを置くときも、教科書では根元ぎりぎりの位置にかけるよう指示されていますが、動脈瘤の根元に近い部分に動脈硬化があった場合は、ぎりぎりにかけると親血管を狭窄(きょうさく)してしまいます。術中は見た目だけではなく、モニタリングなどいろいろ検証して安全性を確保しています。経験によって学んできたことすべてを術中に応用しているのです。
日頃の体調管理ですか? ひどい生活をしていますよ(笑)。医者はけっこうそういう人が多いんです。
でも、睡眠だけは大事にしています。夜11時頃には寝て、朝5時に目覚めます。6時には出勤して、7時前には患者さんと一緒に散歩をしたり、体操をしたり。
なぜかと言いますと、手術がうまくいっても、頭の大手術をした方というのは、心に大きな傷を抱えているからです。
そこから立ち直り、社会復帰に向けた生活をしていただきたい。
私は知識や技量を磨くことはもとより、患者さんの心がわかる温かい医療を目指しています。患者さんと過ごす時間も、手術中の意識に影響しているかもしれません。