誰しも、忘れられない本があります。いまでもときどき開いては、心の支えにする本があります。そんな一冊を、3人のトップランナーに紹介してもらいました。当時の体験とともに鮮烈に記憶に刻まれたこととは?

▼松尾綜合法律事務所 弁護士 菊間千乃さんが心の支えにする1冊
『アンネの日記』
アンネ・フランク/文春文庫
第2次世界大戦中、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)から逃れるために、8人の同胞とともに隠れ家に潜んだアンネ・フランクの手記。「日記を書くことで客観的に自分自身と対峙する様子に影響を受けました」

(左)『アンネの日記』アンネ・フランク/文春文庫(右)松尾綜合法律事務所 弁護士 菊間千乃さん

菊間千乃さんが『アンネの日記』と出合ったのは、中学1年生のときのこと。当時、授業中に何らかの薦めがあったものと推測するが、今となっては定かではないという。それでも、この作品は今も菊間さんにとって、忘れられない心の書となっている。

「幼い頃から戦争に興味を持っていました。わが家は毎年8月の終戦記念日に、必ず一家で黙とうするような家族でしたから、その影響が大きいでしょうね。小学校のときには、『はだしのゲン』や『ひろしまのピカ』を読んで、大きな衝撃を受けました。なにしろ当時からすれば、ほんの30~40年前の出来事なのに、私が暮らす日常とはあまりにかけ離れた凄惨(せいさん)な世界で、ただただ言葉を失ったことを覚えています」

なぜ、人と人が殺し合わなければならないのか。なぜ、同じ人間同士なのに、憎み合う必要があるのか。幼心に受けた衝撃は、やがて純粋な疑問となり、気がつけば戦争関連の本を読みあさるようになっていた。

「小学生の頃は、戦時中の日本に関する本を中心に読んでいましたが、中学生になると、世界に目が向くようになりました。そこで手にしたのが『アンネの日記』です」

つまり、筆者であるアンネ・フランクに近い年齢で、彼女の日記を読むことになった菊間さん。それが自然に作品世界へ没頭させる一因になったことは間違いないだろう。

「アンネがペーターに恋心を抱いたり、親に対して複雑な感情を持ったりする様子に、同世代の女の子として大いに共感しながら読みました。それに何より、ユダヤ人として不当に迫害された彼女の生涯が、小説ではなくリアルだという点が、さまざまな思いを去来させましたね。最後、アンネの死についてつづられた部分では、大切な友人を1人失ってしまったような、悲しい気持ちにさせられたものです」

ちなみに、日記を毎日つけるようになったのも、この作品の影響だった。

「もともと、自分自身を客観的に見ることを大切にする子どもだったので、日記はそのための最適なツールでした。何か嫌なことがあったり悩み事があったりしても、それを他人に相談するのではなく、さまざまな視点になって反すうしながら書き記すことで、解決させるんです。学生時代からよく、まわりの大人たちに『どうしてそんなに達観しているの?』と言われていたのは、その影響かもしれません(笑)」

菊間さんが大切に保管している『アンネの日記』。取材に際し、あらためてページをめくった。

多感な時期に多大な影響を与えてくれた特別な一冊。普段は読み終えた本は破棄している菊間さんでも、この『アンネの日記』だけは捨てられず、今日まで大切に保管してきた。

それほどこの作品に傾倒した根底には、後に弁護士の道に進むことになる菊間さん持ち前の“正義感”が作用しているのかもしれない。

「戦争もそうですが、昔から、差別というものに大いに疑問を感じていました。学校の授業で、地域によっては今も同和問題が残っていると知り、なおさらその疑問は大きくなりましたね」

人種や出自による差別。病気に対する差別。あるいはセクシャルマイノリティーへの差別など、世の随所にはびこる差別意識に対して、「同じ人間なのになぜ?」という疑念は、成長とともに大きくなっていくばかり。

「でも、どれだけ本を読んでも、そうした疑問に対する答えは得られません。書いている人も描かれている人も、皆、立場も視点も異なるわけですから、それも仕方がないでしょう。ただ、唯一はっきり言えるのは、あらゆる差別論に対して、私はまったく共感できないということです」

背景となるそれぞれの時代に、人の考えをゆがませる何らかの事情があったことは想像に難くない。本を通してそうしたゆがみに触れながら、じっくりと自身の考えを醸成させてきたのが菊間さんの今日までの読書体験なのだ。

弁護士として多忙な毎日を送る現在も、「古今の歴史と対峙する最高の手段」として読書に没頭している。

▼もうちょっと拝見! 菊間さんの本棚

(左上から時計回りに)『ありときりぎりす』イソップ/ブティック社、『僕のなかの壊れていない部分』白石一文/光文社文庫、『塩狩峠』三浦綾子/新潮文庫、『ガラスの仮面』美内すずえ/白泉社、『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編/岩波文庫

『ありときりぎりす』 イソップ/ブティック社
幼少期に読んだ、「数ある童話の中で、最も心に刺さっている物語」。“楽をしてはいけない”という人生訓の元になった。

『僕のなかの壊れていない部分』 白石一文/光文社文庫
秀逸なタイトルに引かれて手にした一冊ながら、「“生きる”ということを突き詰めるきっかけになりました」と大いに心酔!

『塩狩峠』 三浦綾子/新潮文庫
「母の影響で読み始めた」という、現実の鉄道事故を基にした小説。「生前、三浦綾子さんにお目にかかれなかったことが今も残念」と傾倒。

『ガラスの仮面』 美内すずえ/白泉社
言わずと知れた少女漫画の金字塔。「不遇に耐えながら、努力を重ねて結果を出す物語がたまらない」とは、スポ根好きな意外な一面!?

『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編/岩波文庫
戦争で散った学徒兵たちの遺稿集。「恵まれたこの時代だからこそ、毎日を精いっぱい生きなければという思いを強くしました」と菊間さん。

※掲載の書籍は、菊間さんが当時読んだものとは違う版の場合があります。

菊間千乃
松尾綜合法律事務所 弁護士。1972年、東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。95~2007年、アナウンサーとしてフジテレビに在籍。そのかたわら、司法試験へのチャレンジを決意し、10年に合格。12年1月より弁護士として活動をスタート。