「インフラの仕事がしたい」と、老舗電機メーカーに飛び込んた彼女を待っていたのは、男性でも引いてしまう過酷な環境。前例のない事業に挑む、若き女性エンジニアの情熱に迫る!

下水道を見守るシステムの担い手

齋藤千穂さんは金曜日になると、大きなリュックサックを背負って会社へ行くことがある。土日を利用して山に登るためだ。

夜、仕事を終えたその足で、北アルプスや南アルプスの山々に向かう。一人で行くこともあるし、数年前に社内結婚した夫と行くこともある。いずれにせよ、山道を黙々と歩いていると、仕事のストレスや悩みがすっと消えていく。月曜に出社したとき、自分が生まれ変わった気持ちになれるのだ。

明電舎 水・環境システム事業部戦略企画部 システム開発課 齋藤千穂●1988年生まれ。東京農工大学工学部を卒業後、2011年、明電舎に入社。浄水膜の試験や開発を経て、13年より現職。趣味は登山。特技は素手でゴキブリをつかめること。

彼女が所属する水・環境システム事業部戦略企画部のシステム開発課は、明電舎が注力している新規事業を担う部署だ。

下水道の水位を管理する「都市型水害監視サービス」と呼ばれる事業で、I o Tの技術を活用し、ゲリラ豪雨時の水位情報をリアルタイムで監視する。マンホールと下水管に取り付けたセンサーが、内水氾濫を予測するのだ。

主な顧客は、全国の都市部の自治体。オファーがあれば南は九州から北は北海道まで飛び回る。

「先週は極端に出張が多くて、月曜日に日帰りで神戸、火曜日に大阪、そのまま夜は長崎に行って、金曜日は北海道……」と、彼女は指折り数える。

「移動中も資料を作って、コンビニでプリントアウトしてからお客さまのところに行ったり。さすがに大変な1週間でした」

誰もしていない仕事なら私が最初にやりたい

現場作業も精力的にこなす。マンホールを開けて下水管の内部に降り、センサーを取り付けるのだ。

(上)齋藤さんの1日のスケジュール(下)ヘルメット、作業着、手袋、安全靴な ど、どれも現場作業には欠かせない。調査用カメラも常に携帯している。

「月曜日には、上司から『君は高低差がすごいな』なんて言われます。普段は地下に潜って、休みの日は山に登るわけですから」

彼女はそう言って笑うが、実際の現場はかなり過酷だ。明電舎では下水道処理施設の配電盤など、電気関係のシステムを請け負ってきた歴史があるが、下水道の管渠(かんきょ)にじかに入り込む事業は初の試み。生まれて初めてマンホールの中に入ったときのことを、彼女は今も鮮明に覚えている。

「まず、『うわ』ってなったのは、マンホールの中の臭いです」

下水には湯が流れてくるので、常に温度が20℃ほどある。その生暖かい悪臭にさらされた瞬間、奥へ進むのをためらった。

足元には、髪の毛の固まりやさまざまな種類のゴミ。ネズミが走り回り、管渠の一部は油が固まって鍾乳洞のようになっていた。酸欠の危険がある場所では、ガスマスクを着けて作業をした。

「でも――」と彼女は振り返る。

「下水道の水位をリアルタイムで測る事業は、私たちの会社しかまだ行っていません。だから、ここでやるかやらないかが自分の今後を決めるんだと思いました。誰もしていない仕事なら、私が最初にそれをやりたい、って」

その言葉通り、彼女は仕事への前向きな姿勢を崩すことなく、せわしない日々を走り続けてきた。

とはいえ、最初は一歩前に進むのも一苦労だった。

「都市型水害監視サービス」は、これまで明電舎が行ってこなかった土木・建設分野の事業だ。そのため、土木・建設会社や警察署、国の防災担当者や下水道局の役人など、接点のなかった相手とのやりとりが必要だった。

「上司も先輩もやったことのない仕事でしたから、本当に手探りでした。提出する書類もわからないし、建設会社の人たちからは『この子が本当に現場の責任者?』と驚かれることも多かったです。それでも、当たって砕けろ。下水管に入るのに資格(酸素欠乏危険作業主任者)が必要とわかれば、すぐに自分から取りに行きました。いろんな人にひたすら聞いて、聞いて――の毎日でしたね」

「地下」の世界を知って視野が広がった

齋藤さんは工学部の出身。幼い頃から機械が好きで、時計やカメラを分解しては母親に怒られるような子どもだったという。

就職活動では大手電機メーカーを中心に受けた。多くの人が使うインフラ事業に携わりたいと考え、2011年に明電舎に就職した。

(上)異業種の人とも積極的に会話。物おじしない性格は父親ゆずりだとか。(下)社内の打ち合わせは午前中に入ることが多い。後輩ができた今は、指導者の役割も担っている。

電機メーカーの研究職の多くは大学院卒で、研究室の教授推薦を受けた者がほとんどだ。そんななか、彼女は学部卒の「自由応募」で入社した珍しいケースだった。入社後2年間は、浄水場の「浄水膜」の試験や開発に従事して経験を積んだ。

いま、下水管に入る日々を送っていると、いかに都市の地下空間が広大で複雑であるかを実感する、と彼女は目を輝かせて語る。

「まさか自分がマンホールの下で仕事をするとは思ってもいませんでした。でも、みんなが歩いている地面の下に、これほど広大な地下空間があることを初めて知った。以来、街の見え方が変わったように感じています」

毎年のようにゲリラ豪雨による冠水が各地で起こる昨今、地下空間の水位の上昇を予測するシステムを作る仕事には高い社会性がある。このシステムが全国で導入されれば避難計画の精度が上がり、多くの人命救助につながるだろう。そのことも大きなやりがいの一つだ。

「入社して数年は、事業全体の一部しか見ていませんでしたが、新規事業では営業から現場でのシステム導入まで、全部を一人で見ることができます。成功したときも失敗したときも自分の責任なんだという気持ちが、一番のやる気につながっています」

▼上司が思う「齋藤さんのここがスゴい!」
・活発で元気! 明るい
・何事にも探究心を持ち、根性がある
・後輩思いで、忙しくてもよく面倒を見る