リオデジャネイロ五輪での7人制ラグビー開催が決定したのが2009年。競技人口の少なかった女子ラグビーでは、他競技からの転向者を募り、12年には海外でのプレー経験のある浅見敬子がヘッドコーチに就任。オリンピックに向けたチームの強化を図った。そこにはバスケットボールから転身してきた中村知春がいた。13年、オリンピック出場へとまい進する中、公募によって「サクラセブンズ」という愛称が決定。15年11月のアジア予選で、見事リオ五輪出場を勝ち取った。

 

日本代表が語るラグビーの魅力とは

【中村】私はバスケ時代に、かなりファウルの多い選手だったので(笑)、何をやっても反則にならないラグビーに興味が湧いて、やってみたら、すっかりはまりました。

【浅見】私も元はハンドボール選手。ご多分に漏れずファウルが多い選手だったので(笑)、ぶつかっても、倒しても反則にならないラグビーなら何も気にせずにいけるなって。あと、最大の魅力は自分の体を捧げてでも全員でトライを取りに行くっていう、一体感。自分がどうなってもこの人にボールを届けようという奉仕のような。

1年に250日を超す合宿を重ねて築いた絆と情熱で、世界の頂点を目指すサクラセブンズ。

【中村】自己犠牲(笑)。痛みがあっても、仲間にボールをつなぐ自己犠牲の競技ですね。「俺はいいからおまえはいけ!」みたいな。

【浅見】そこが熱いんです(笑)。また、私のように小さい体でも大きな相手を倒せる。爽快です。

【中村】球技、陸上、格闘技、すべての要素が入った、究極のチームスポーツなのかなって思いますね。

【浅見】7人制は7分ハーフで、すごく展開が速いし、15人制よりもボールを目で追いやすい。セブンズをご覧になればラグビーの面白さを知っていただけると思います。

社会人とオリンピック二足のわらじで掴んだ夢

【中村】私がラグビーを始めたのは大学4年の終わり頃。そのまま社会人になってラグビーを続けたのですが、当時は代表に決まっているわけでもなく、職場でも言い訳などまったくできない立場。それでなくても、社会人1年目って、思い知るわけですよ。自分がいかにポンコツかっていうことを(笑)。ポンコツなのに、遠征や合宿で度々休むことが本当に申し訳なくて。でも、とにかく誠実に。時間がないから適当にやるのではなくて、時間がなくても自分にできる限りのことを120%でやるということは、常に考えていました。その経験のおかげで精神面が強くなれた気がします。

【写真上】中村主将(左)と浅見コーチ(右)。日々100%の力を注いでチームをリオへと導く。【写真下】常に「これはオリンピックの決勝でするプレーなのか?」を問いながら練習を重ねていく。目指すはもちろん金メダルだ。

【浅見】私も12年にヘッドコーチに就任するまでは高校の体育教師として働いていました。試合や合宿で抜けるときは心苦しかったですね。他の先生の休憩時間を削って授業をお願いするわけで。でも、何かを達成するため、人に動いてもらうためには、何よりも、最大限の準備が必要だと知りました。それは競技生活にもコーチ生活にも活きていますね。

【中村】私がいたマスコミ系の会社にはラグビー関係者がすごく多くて。「ラグビーをやっている」っていうだけで仕事の情報交換がスムーズにいったり、逆にラグビー情報をいただけたり……。今は休職中ですが、両立してきたことで得たものは大きいですね。

【浅見】もちろん、夢に集中できることは理想ですが、社会人として学んだことは、夢をかなえる大きな力になっていると思います。

目指すは金メダル! 少数精鋭を導く主将とコーチ

【中村】1年250日も合宿して一緒にいると家族のようになります。でも、緊張感がなくなったらただの仲良しチームになってしまう。女性の共感力は良くも悪くも強い。チームが同じベクトルに向かっているのに一人だけ個人的なことで落ち込んでいると、皆もどこか引きずられてしまう。そうさせないように、言葉掛けは考えますね。また、1対1で向き合う時間をつくっています。「それ違うんじゃない?」って厳しいことでも言い合える関係です。ただ、あまりに過酷な練習の後はお互い褒めまくって、甘いものを食べに行きます。私たちは「あまあましに行く」って言うんですけど(笑)。

自分たちよりもひと回り大きな敵を想定し、男性選手と練習をすることもしばしば。練習場にはドス、ドスッと体がぶつかり合う音が響き、コーチのげきが飛ぶ。過酷な練習。

【浅見】私は、基本「塩対応」ですね(笑)。選考する立場にいるので、少し距離を取りながらも思ったことはその場で言うし遠慮しません。

【中村】浅見さんが「これは世界一の練習なの?」「それはオリンピックの決勝でできるプレーなの?」と緊張感のある言葉を掛けてくれます。日本代表という立場にいる以上、常に自分の100%を出せなきゃいけない。世界一の練習をして100%を120%、150%にしていかなくては、世界の頂点は見えてこない。

【浅見】そう、我々はチャンピオンチームではないので守りには入れないんです。今よりも上、上、上、上、ってやっていかないと絶対に勝てない。コーチの仕事は、選手ができなかったことをできるようにすること。だから、良くない試合や練習になってしまった時は選手のせいにせず、「何が悪かったのか」をコーチ陣でフィードバックするようにしていますね。

ただ、私はパーフェクトな人間ではないので、コーチとしても何でもできるとは思っていません。だからこそ、人柄やバランスを見て良いコーチを選びます。今、12人のスタッフがいて、そのうち男性が7人。優しさや厳しさのバランスが取れていると思います。また、スポーツは、目指す目標に頂点を合わせる、ピーキングが一番難しいんですが、専門のコーチもいます。「ここにピーク持ってくるから! 大丈夫!」って、何か半分だますかのように(笑)上へと導く魔術師みたいな存在ですね。

【中村】魔術師(笑)。自然に選手の気持ちをアゲていってくれます。

【浅見】おかげで、2015年の昇格大会には、最高の状態で出場し昇格できました。ただ、ここにも課題があります。その2週間後のアジア大会では心身が切れてしまった。スケジューリングやマネジメント、調整がさらに重要ですね。最高の状態でオリンピックに出てこそ、頂点が見えてきますから。

【中村】死にそうな練習を乗り越えてきた。目指すは金メダル。7人で、世界の頂点に立ちたいと思います。

SAKURA SEVENS 合同合宿参加メンバー【後列左より】三樹加奈、冨田真紀子、谷口令子、黒川 碧、桑井亜乃、高野眞希、鈴木彩香、中丸彩衣、竹内亜弥【前列左より】大黒田裕芽、山口真理恵、中村知春、山中美緒、加藤慶子、横尾千里
注:写真は合同合宿参加メンバーです。日本代表選手以外も含まれています。
 
浅見敬子(あさみ・けいこ)
1977年生まれ。学生時代ニュージーランドへラグビー留学し、地元クラブチームでも活躍。96年に女子15人制日本代表に。2004年からは女子7人制日本代表にも選出。07年に引退後は女子日本代表のコーチに就任し、12年より現職。
中村知春(なかむら・ちはる)
1988年生まれ。アルカス・クイーン熊谷所属。中学から大学まではバスケットボール部に所属し、大学卒業前からラグビーに転向。メキメキと頭角を現し、翌年には日本代表に選出される。現在は、会社を休職しオリンピックに集中。