六本木ヒルズのGoogle本社内にオープンしたばかりのGoogle Partner Plex Tokyo。このプロジェクトを統括するのが同社執行役員の仲條亮子さんだ。テレビの世界からネットの世界へ。華やかな経歴とは裏腹に実は努力の人である彼女が、メディアを志したきっかけとは……?

Google執行役員 仲條亮子さん。1967年、千葉県出身。立教女学院短期大学を経てテレビ局に入社。フリーになりCNNのキャスターをしながら早稲田大学で国際政治を学ぶ。1997年ブルームバーグ情報テレビジョン社長。米シカゴ大学でMBA取得、2013年より現職。4月からはキリン株式会社社外取締役も務める。

Google執行役員である仲條亮子さんの経歴はとても華やかだ。早稲田大学政治経済学部卒業、シカゴ大学でMBA、ハーバードビジネススクールでは数多くの経営者を生み出したアドバンスト・マネジメント・プログラムを修了。ブルームバーグ情報テレビジョンで社長、ブルームバーグ本体でも日本市場における戦略策定責任者や在日副代表を務めた。現在はキリン株式会社の社外取締役でもある。

ただ、きらびやかな履歴書に目を奪われると、仲條さんの人柄は見えてこない。Googleの同僚は仲條さんを「地道な努力の人」と見る。キャリアの節目に一流の人が集まる場で学んだ理由を「不安だったから、それを解消し、自分に大丈夫と言ってあげるため」と説明する。

常に目の前の仕事に精一杯取り組み、自分の技量に不足がないか謙虚に見つめる。足りないところがあれば、どんなに忙しくても学ぶ時間を確保する。

メディアを志したきっかけは「田舎で育ったから」

ブルームバーグとGoogleの共通点はメディア企業であること。メディアで働くことを志したきっかけは「田舎で育ったこと」だという。出身は千葉県東部の小さな町だ。

「町に出ても情報はさほどありません。新聞は読んでいましたが、当時、雑誌は子どもが簡単に手に入れられるものではなかったので、少女時代の私の情報源はテレビでした。だから、自分もテレビ局で働いたら、見ている人に的確な情報を届けられるのではないかと考えたのです」

大人になってからも、発想の根本は変わらなかった。

「情報は国民のもの。色々な意思決定をする時、正しい情報があるのとないのとでは全然違います。ずっと、情報に携わる仕事をしたい、と考えてきました。ブルームバーグでは、優れた日本企業の情報を海外投資家の方々に知っていただくことに意義を感じていました。今は、個人が発信力を持つようになっています。例えば携帯電話のようなデジタル機器の中で、情報と人が一番動いている。ご縁もあり、今、自分がGoogleにいることに意味があると思っています」

小さな町に住む女の子が世界に飛び出したきっかけは、1冊の本だった。『ハロー・フロムアメリカ』(集英社コバルト文庫)。「女子高生の遊学記」という副題がついており、著者はアメリカの高校に留学した日本の女子高生だった。

「この本を100回以上読んだと思います。本に書かれている光景を想像して『私がここにいたら、こんなことをして…』と想像と憧れを膨らませていました」

反対を押し切り、高校時代にアメリカ留学

「家族中、親戚中そしてご近所中に反対されましたが、諦めきれず。2年間、毎日、両親に手紙を書きました。アメリカに行きたい理由と行ってやりたいこと。お年玉やお小遣いは全部、郵便局に貯金しました。当時は金利がよかったので、けっこう貯まったように思います」自分も留学したい。その思いを伝えるが、壁にぶつかる。現在のように海外旅行や留学が普及していない時期。「女の子がそんなところへ行って大丈夫か?」「経済的に無理」と言われた。

両親の説得に成功し、高校2年生だった仲條さんが留学した先はアメリカのアイダホ州。しかし1990年代初め、現地では日本をよく知らない人も多かった。

「『これは冷蔵庫というものだけど、知っているか?』と聞かれて。『知ってます』と答えると『君はアメリカ生活が長いからね』なんて言われるんです。そのアメリカ人が見せる冷蔵庫は日本メーカーのものだったりする。相手は日本企業の技術力を知らないわけです。こういう経験を通じて『やっぱり情報は大事だな』と思いました」

帰国後、大学進学を希望した仲條さんは、再び家族の反対に直面した。留学する代わり、大学へは行かないという約束だったからだ。「俺が大学を辞めるから」と盾になってくれた兄、そして学費を出してくれた祖母のおかげで進学できた。その後も頑張り続ける原動力になったのは「周囲に支えてくれる人が、必ず現れること」だという。

テレビのアナウンサー時代は失敗ばかり

「最初の3年くらいは、毎日怒られていました。低気圧を“低血圧”と読み間違えたり、マラソン選手のインタビューで『おめでとうございます、○○選手』と呼びかける際、相手の名前を忘れてしまったりしたこともあります」キャリアのスタートはテレビのアナウンサーだった。

しかし、叱られる辛さより、ゼロから新しいものを生み出す喜びが勝っていた。例えばブルームバーグ・テレビジョンでは駆け出しの頃、こんな経験をした。

「取材に行き、映像の編集をして、日銀の外観写真が必要なら許可を取り、仕事の時間の合間を縫って自分で撮影に行く……。ベンチャー企業ですから、人の配置や全体のオペレーションまで考える。『こうしたら良くなると思います』と、上司に改善案を提案したりしました。20代で経験したことは、その後、さまざまなビジネスに携わる上でとても役に立っています」

こうした経験を「勉強の機会」と捉え、真正面から取り組むところに、キラキラした経歴だけからは読み取れない、真面目で努力家の面が現れている。

「真面目で謙虚」は「自信がなさそう」に見える

一方で、真面目さと謙虚さから出る癖を注意されたこともある。Google入社から約3カ月経ったある日のこと。同僚のドイツ人執行役員から「その言葉を使わないようにした方がいい」と言われた。当時、仲條さんは「今はまだ勉強中ですが」といった表現をよく使っていたのだ。

日本社会では、こうした表現は「控えめな人」と好印象を与えるかもしれない。でも、仲條さんの同僚は「周囲は君の言葉を額面通りに受け止めるかもしれないから、やめなさい」と言った。

「入社してまだ間もなかったこともあったし、『ここは日本だし自分は女性だから、自信過剰に見えないほうがいい』という思いもあって、そういう表現を使っていた。今も直そうと努力していますが、一度覚えた“型”をアンラーン(unlearn)するのは難しいことです。これは失敗というより、学びの経験ですね」

新プロジェクト、Google Patner Plex Tokyo

2015年12月から、新しいプロジェクトの責任者になった。「Google Partner Plex Tokyo」と呼ばれる空間を統括する役目だ。ここでは、テクノロジー、消費者行動、ブランド、新しい働き方やイノベーションを起こすための企業文化に関するインサイトを共有し、国内外のクライアントと共に革新的なビジョンや戦略策定をする。

「Googleはすごくスピードの速い会社というイメージを持たれていると思います。でも、一番速いのは実はユーザーの方々で、多くの企業はそれに追いつくために必死になっています。そして、企業の意思決定は今でも会議室で行われている。

そうではなくて、ユーザーが身を置いている環境に近いところで考えてみよう、という発想が、Partner Plexの根底にあります。こちらにお越しいただいてクライアントの方とお話すると、今までにない議論が生まれるんです。

最初は『ちょっと珍しいキュレーションの場なのかな』という感覚でいらっしゃる方も、1時間の予定が気が付くと3時間議論していたりする。私たちもお客様のビジネスや課題をよく理解した上で臨むことができれば、非常に深い議論ができることが分かってきました」

3年にわたり、仕事の20%をこのプロジェクトの構想・立ち上げに充ててきた。2児の母である仲條さんは「このプロジェクトが私の第三子。ちょうど今、よちよち歩きの赤ちゃんです」と言う。

 
Google Partner Plex Tokyoは、東京・六本木のGoogle本社内に2015年12月にオープンしたばかりの新しい施設。全く雰囲気の異なるエリアが連なる、六本木ヒルズの中とは思えないような空間だ。非日常&日常の空間に身を置くことで、テクノロジーでどう企業がビジネス変革を起こすかについて活発に話し合えるような仕掛けが施されている。

働く女性の後輩たちに、2つのアドバイス

後輩世代の働く女性に対しては、2つのアドバイスがある。

「1つ目は、自分が数年後どうなりたいか考え、キャリアをデザインしていくこと。2つ目は、色んなことを同時に走らせること。それに慣れておくと、子育て中にやることが増えたり、仕事ですごく忙しくなったりした時、対応できる」。だから忙しい仕事に加え、大学で教えたりNPOの理事を引き受けたりしてきた。

取材が終わる頃、うれしそうにスマホを取り出し、お子さんのパーティー衣装の写真を見せてくれた。「“母さんが夜なべをして”作ったんですよ」という言葉はやはり、努力家のものだ。