大手ゲームメーカーのカプコンに努める原美和さん。精神的に追い詰められることも多く、男も女もない実力主義の世界で、修羅場を何度もくぐってきた。そんな彼女を変えたという育児中に得た、ある「気づき」とは?

小学校5年生の長男が、夫と楽しそうに遊んでいる。そんなとき、「パパのことが好きやなァ」と言うと、息子は決まってこう答えるのだった。

「違うよ。パパとママが好き」

大阪の大手ゲームメーカー、カプコンに勤める原美和さんはずっと、職場結婚した夫と協力しながら子育てをしてきた。家事は半々、ゲーム開発職という仕事も同じだ。お互いに締め切りが迫っているとき、どちらが残業をするかで喧嘩したこともある。

カプコン CS第一開発統括第一開発部 第三ゲーム開発室 室長 原美和さん

「パパとママが好き」と息子が言い直すたびに、彼女はふと考える。

2人で力を合わせて家庭と仕事を両立させてきた自分たちの姿を、幼い息子は彼なりに見つめてくれていたのかもしれない――。

現在、カプコンの第三ゲーム開発室の室長を務めている原さんには、これまでのキャリアの中で一度だけ、仕事を続けるかどうか真剣に悩んだ時期がある。

それは長男を出産し、職場復帰した2004年のことだった。0歳の息子は病気がちで、ほとんど保育園に行くことができなかった。復帰してからの3カ月間、通えたのはわずか3日。「日中は義母に子どもの世話を頼んでばかり。そんな状況なのに、それでも仕事をしたいと強く思っている自分がいる。これはエゴなのかな、と罪悪感のような気持ちを抱くようになって……」

子育てをしながら働く女性にとって、そんなふうに育児と仕事の間で気持ちが揺れることは日常茶飯事だ。

命を削るような制作現場で

とりわけ、グラフィックデザイナーという仕事では、ゲームの開発が山場を迎えると、精神的に追い詰められることが多い。

「例えば『赤いリンゴの絵を描け』と言われてそれを描くのは、技術さえあればすぐにできます。でも、『誰も見たことがない、誰が食べてもおいしいと思う果物を描け』と言われたら、困りますよね。ゲームの開発では、そんなふうに、まったく新しい世界をつくらなくてはなりません。難しい要求が次々と降ってくる現場に何日もいると、命を削っているように感じるときもあります」

【上】カプコンの開発リーダー職の構成/ゲーム開発の指揮をとるリーダー職は男性が圧倒的多数。【下】仕事の必需品/長時間座っても疲れにくいアーロンチェアと、冷房対策のブランケットを愛用。

そんな中で子どもと向き合い、仕事に集中できないジレンマを抱えていたとき、彼女にある変化が起きた。

「昔は、自分にできることは相手もできるはずと思いこんでいたけれど、子育てをしているうちに、実はそうじゃないと気づいたんです。子どもって、自分の思い通りにはならないものでしょう?」

それまでの原さんは、要求に応えられない後輩や部下に厳しく接してきた。だが、意のままにならない子どもと日々接しているうちに、職場でもそれぞれの個性の違いを敏感に感じとれるようになっていったという。

「一人一人のよい個性を見抜き、それを伸ばす。そうしたほうが、チームの雰囲気もパフォーマンスも良くなることを実感するようになったんです」

部下や後輩に対して厳しい態度をとりがちだったのには、理由があった。

1999年にアルバイトとしてカプコンに採用され、自分の腕一つでキャリアを切り拓いてきた彼女は、ここが徹底した実力主義の世界だという思いを持ち続けてきた。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、高校時代には漫画研究会を自らつくったほどだ。

一度は地元、大阪の住宅メーカーに就職したものの、「いつかは絵を描く仕事に就きたい」という思いが消えることはなかった。

とにかく過酷だったカプコンでのアルバイト時代

会社を3年ほどで辞め、専門学校のデジタルハリウッドでグラフィックデザインを学びはじめた。深夜までアルバイトを掛け持ちして、生活費を稼ぎながら授業に通う日々。そのとき、募集広告を見て飛び込んだのが、カプコンという会社だった。

「ソニーのプレイステーション2が発売され、ゲームに求められるグラフィックのクオリティーが一気に高まった時期。会社は大量の人材を必要としていました。あの頃は職場の環境が今よりずっと過酷で、締め切り間際にはアルバイトも社員もその辺の床で寝ているような忙しさだったんです」

グローバルタイトルの開発を担う第一開発部の定例会議で、タイトルの戦略などを議論する。原さん以外のメンバーは全員男性だ。

先輩も同僚も男性がほとんどで、くたびれたトレーナーにサンダル履きというスタイルが当たり前。数少ない女性スタッフにも、アルバイトのグラフィックデザイナーにも、成果は厳しく求められた。

スキルの足りない者は契約を更新されず、一つの開発が終わると半数が辞めていく。そんな環境で2年間を過ごし、晴れて正社員に採用された原さんには、自分で仕事を勝ち取ったという自負があった。採用後すぐ、累計800万本を売り上げた大ヒット作「鬼武者」シリーズの背景を任されたことも実力の証しだ。

出産後の2004年からは、「ロスト プラネット」シリーズの背景リーダーとして初めて部下を持ち、若手の育成を担う立場にもなった。

全員が声を出せるミーティングが理想

結婚と出産、そして昇進。こうした環境の変化の過程で、原さんの関心は、次第に「自分の実力」から「チームワーク」へ移っていったという。

「優秀な人材がそろっているチームでも、歯車がかみ合わなかったら動かない。ところが、能力にばらつきがあるチームでも、歯車さえかみ合えば動くんですね。その感覚を理解できるかどうかが、自分にとっての大きな分岐点だったように感じています」

Holiday Shot!【写真上】ベランダガーデニングが趣味で、水やりのたびに植物に話しかけている。【写真下】手軽にできる体力づくりとしてフラフープを日課にしており、1日1000回ほど回す。

ゲーム開発の現場は、昔も今も男性中心の職場。そのせいか、会議でもお互いの理屈を論破し合ったり、声の大きさを競うような雰囲気になりがちだという。だが、そのことに原さんは一抹の危機感を覚えている。

「今の時代はユーザーが多様化していますから、幅広い意見、声の小さな人の意見にしっかりと耳を傾けることも、ゲーム開発にとって重要になってきているはず。私のこれまでの経験では、歯車がかみ合っているチームはミーティングで全員が声を出し、良い話し合いができていました」

2013年、カプコンは女性をメインターゲットにするゲームを企画するため、開発部に「女性企画チーム」を立ち上げた。

2015年、そのチームのプロジェクトマネージャーに就任した原さんは、「ピラミッド型のチームではなく、多様な意見が自由に飛び交う環境を社内でつくっていきたい」と語る。

絵を描くことを仕事にしたくて前職を辞めたとき、「たとえ才能がなかったとしても、努力し続けることならできる」という思いが自身を支えていた。それは今も変わらない。

「新作をリリースするのも、組織を変えていくのも、本当にたくさんの困難を乗り越える必要があります。でも、どんな目標に対しても諦めないこと。そして、これはできないという壁を、自分でつくらないことが一番大事なのだと思っています」

■原さんの24時間に密着! (残業のある日)

6:00~7:00 起床/朝食、身支度
7:00~8:30 自宅出発/出社
8:30~12:00 仕事
12:00~13:00 昼食
13:00~18:30 仕事
18:30~19:00 夕食
19:00~21:00 仕事
21:00~22:30 退社/帰宅
22:30~24:00 入浴、片付け、他
24:00~06:00 就寝

【写真左から順に】70分かけて通勤。残業の翌日も8:30に出社する。/専用ソフトでチーム全体をスケジュール管理する。/社員食堂でランチ。日によってはお弁当や外食。/ミーティングでは参加者全員から意見を引き出す。/部下の仕事をチェック。疑問点は早めに話し合う。
原 美和
カプコン CS第一開発統括第一開発部 第三ゲーム開発室 室長。1999年、カプコンにアルバイト入社。2001年、同社の正社員となり、背景スタッフとして「鬼武者」シリーズの制作チームに配属。04年に出産。育児休暇を経て背景リーダーとなる。15年より現職に就任。