Q 「戦争法案」と揶揄される安保関連法案ですが、本当の争点はどこなのでしょうか。

反対派の論点

●「非戦、平和」という信頼を捨てて紛争に加わる大義がわからない

今まで自衛隊は、海外で武器をできるだけ使わなくても済むような非戦闘地域で活動してきた。後方支援や人道支援が主な任務だったのだ。そのため、自分の身を守るための最後の手段としてしか、武器使用を認められていなかった。それが今回の安保法制で、現地の治安維持、住民の保護や駆けつけ警護など、自分の身を守る以外での武器使用が可能になる。

自衛隊の海外任務は確実に広がる。政府は否定しているが、自衛隊員のリスクは格段に高まるだろう。ここで問題なのは、それだけのリスクを冒す大義は何なのか? ということだ。それが今の政府の説明だとはっきりしない。

もう1点、自衛隊は憲法で軍と認められていない。当然、国家の意思としての武力行使を海外で行うことはできない。しかし今回の安保法制で、実際に現場の自衛隊員が武力を行使する場面が生じかねない。それなのに、それは国家の意思ではなく自衛隊員個人の権限に帰結されてしまう。しわ寄せがすべて現場の人間に降りかかってくるような仕組みはどう考えてもおかしい。

こうした事態を回避するために憲法を改正して、自衛隊を軍として認め、軍法会議の制度なども整備するという考え方があるが、私はこれには反対だ。

自衛隊はこれまで、日本にしかできない国際貢献を行ってきた実績がある。それによって他国にはない信頼とブランドが醸成されている。簡潔に言えば、「70年間、戦争を行っていない」「70年間、他国の人間を殺していない」ということだ。

中東やアフリカなどに行くと、今でも日本は「第2次世界大戦で原爆を2発も落とされたのに経済大国として復興したすごい国」と評価されている。そして、それと表裏一体になっているのが「非戦」「平和」というブランドである。自衛隊の活動がそれに大きく貢献している。

そうしたメリットをあえて捨てて、武力を使って紛争に首をつっこんでいく大義が不明だ。これまで欧米各国が紛争地域に軍事介入して現地の人の命を奪ってしまっている一方で、日本はある意味“けがの功名”ではあるが、これまで1人も殺していない。そのポジションを大事にしたほうがいい。

イラスト=Yooco Tanimoto

他国と同じ“普通の国”になるため、という論法がよく使われるが、それは違う。憲法前文でもうたっている「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」を実際に行ってきたのが、日本および自衛隊である。その理想の下に、逆に日本のような国が“普通の国”となるよう今後も努めるべきだ。そういう観点からとらえてみれば、「非戦」「平和」というのは日本にとってだけでなく、長い目で見て国際社会にとっても有益なはずだ。

こうした国際貢献に関する議論とは別に、ますます強まる中国の脅威に対抗して、日米の安全保障体制を強化するために、集団的自衛権を行使できるようにしないといけない、という意見もある。しかし、日本の領土・領海への中国の脅威に対処するならば、個別的自衛権で十分だ。そもそも「抑止力」というのは米ソ冷戦時代の考え方であり、経済をはじめ、あらゆるものが世界中でつながっている現代では通用しない。「相互依存」こそが時代のキーワードである。

問題の多い今回の安保法制だが、安倍政権に対して評価していることがある。それは多くの人に、「ひょっとしたら日本も戦争に巻き込まれるかもしれない」という危機意識を植えつけたことだ。

柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
国際地政学研究所理事長、新外交イニシアティブ理事。防衛庁に入庁し、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障政策・危機管理担当)。