日本のメンター制度構築の契機となった「グローバル・アンバサダー・プログラム」。メンター、メンティそれぞれが、互いに影響し合い、今後のビジネス展開に相乗効果をもたらす催しとなった。その様子と今後の展望を、EYアドバイザリーのダイバーシティ&インクルージョンチームを率いるジャネル佐々木さんと、医師でウエストフィールド・コンサルティング社長の野尻紀代美さんに話を聞いた。

(写真左)メンティとして参加した、医師で、有限会社ウエストフィールド・コンサルティング社長の野尻紀代美さん(写真右)メンターとして支援した、EYアドバイザリー株式会社、ダイバーシティ&インクルージョンチーム エグゼクティブ・ディレクターのジャネル佐々木さん

メンタ-:EYアドバイザリー株式会社 ダイバーシティ&インクルージョンチーム
エグゼクティブ・ディレクター ジャネル佐々木さん

日本及びアジア太平洋地域の職場におけるダイバーシティ&インクルージョン活動に助言を与え、多くの日本企業や多国籍企業の顧客に対しての人事、ワークスタイル、市場ソリューションの設計、執行を支援する。

メンティ:内科認定医、呼吸器内科医、労働衛生コンサルタント(産業医)、有限会社ウエストフィールド・コンサルティング社長 野尻紀代美さん
佐賀医科大学医学部医学科(現・佐賀大学医学部)卒。東京逓信病院で内科医、呼吸器内科医を経た後、非常勤医師を続けながら株式会社ヘルスケア・コミッティーを設立。健康保険組合に対しての健康管理サービスを全国展開する会社を起業し、大手企業に売却。さらに2008年現会社を設立し、さまざまな企業の産業医業務を提供すると同時に、自身も医師としての東京や僻地での診療を続けている。1児の母。
https://www.facebook.com/westfield.consulting.Inc/

メンターの導き ―英語という弱点克服の先にあるもの

公私合わせてすでに5人のメンティを抱えているというジャネルさん。日系3世としてカリフォルニアに生まれ育ち、米系の企業でキャリアを積み、4年前に日本に転勤してきた時から日本の女性のサポートをしたかったと話す。

「私の祖父は日本からカリフォルニアに宣教に行ったお坊さんでした。移住後も、いつも周囲の人を助け、助言をしたり、導いたりしていました。一方で私たち家族も周囲の人に支えられてきました。それらの結びつきの中で、私はいつも自分のルーツである日本に魅力を感じていたので、日本の女性に恩を返したいという思いがあったのです。来日後はダイバーシティ推進に携わり、今回のメンターとしての役割をとても誇りに思っています」

自身も今まで多くのメンターに恵まれ、現在のキャリアを築いてきたというジャネルさん。 そんな経験豊富なジャネルさんのメンティとなったのは、医学博士の野尻紀代美さんだ。

野尻さんの経歴はユニークだ。30歳で立ち上げたのは、健康保険組合向けに特定健診ツールを開発、コンサルティングを請け負う会社。この会社を軌道に乗せた後、大手企業に売却する。その後さらに起業家としての経験を活かして、2008年にウエストフィールド・コンサルティングを立ち上げ、メンタルヘルスを中心とした産業医業務を行っている。邁進する彼女だが、いつも自分のどこかでひっかかっていたのは、英語だった。

「今4歳の子供がいますが、これからの時代に自分の希望を実現していくには英語が必須だと日頃から言い聞かせています。というものの、私自身は英語を40歳過ぎて学び直したため、ビジネスに通用する英語に自信がありませんでした。この英語に対する自信のなさが、公私ともに私のネックになっていると思っていたのです。全ての講義が英語で行われ、さらに自分のビジネスを英語でしっかり語る必要のあるこのプログラムは、私にとって大きな挑戦だと思いました」と応募の動機を語る。

このプログラムに参加を許されたメンティは11名。それぞれに、さまざまな悩みや動機を抱えて参加している。起業経験も豊富な野尻さんの場合、コンプレックスでもあった英語は、彼女がビジネスについて人に語る時にもネックになり、世界へ目を広げたいという思いの足かせになりつつあったのだ。

世界は小さい ―ネットワークで広がる可能性

「世界は広い、だけど小さい。これが今回、私の学んだことです。英語がネックでなかなか世界とつながらないと思っていましたが、英語に不便を感じながらも、自分が一生懸命伝える努力をし、動かすべきビジネスへの熱意などがあれば、ビジョンは伝わり、人ともつながれるんだと感じました」

プログラム最終日にそう語る野尻さんの顔は、自信に満ちていた。プログラムでは、英語で講義を聞くだけでなく、自分でプレゼンをしたり、事業計画書などを英語で仕上げるような宿題も毎日出ていたという。小さな子どもを抱えながら取り組むのは大変だったが、1週間に及ぶメンタリングを通して得たものは、英語以上に大きかったという。

「11名のメンターをはじめ、普段会えないようなグローバルに活躍する方や著名な方と直接話す機会が多くあり、貴重な経験でした。そんな人たちとつながれる機会は、本当に一生モノの経験だと思っています。今回つながれた人々と、一緒に何かを作り上げられたらいいねとメンティ仲間とも話しています。参加したほかのメンティの方々も意欲やビジョンがあり、素晴らしかった。世界を動かしている人が、ここにいるんだと思うと毎日ワクワクしました」

メンティ同士の強い結びつきも、今後、お互いのビジネスでコラボの話が出るなど、大いに刺激になったようだ。そして、メンターであるジャネルさんとの関係も、今後は立場を変化させてパートナーになっていきそうな気配もある。

ジャネルさんは野尻さんに信頼の笑顔を向け、こうつなげた。「ダイバーシティを推進する上で、人々の働きやすさは必要不可欠です。メンタルヘルスは重要な要素ですが、野尻さんが持つその分野での知識は本当に素晴らしく、私も学ぶことが多かったです。ビジネス現場での現実と課題もよくご存じなので、今後は一緒に、日本が次に進むべき道を作っていきましょうと話しています」

自分が得たものを、次世代に引き継いでいきたい

今回はメンティとして参加した野尻さんだが、本業の医師としても後輩を育てる立場になっている今、今後は新たな自分の役割を感じているという。

「医者は、研修医として先輩医師に付いて学ぶのが当たり前で、そうしてスキルや経験を引き継いでいきます。徒弟制のようなところがありますが、そこには男女は関係ない。今回メンターとして参加された久能祐子先生は、分野が近いこともあって大きなインスパイアをもらいました。その久能先生に『野尻さんはもうメンターになれるのよ』と言われ、自覚が生まれました」

医者として、男女関係なく後輩医師へ助言し、指導をしてきた野尻さん。今回、ジャネルさんをはじめ、さまざまな業界を牽引するメンターたちに多くの刺激を得たようだ。その様子をみて、これまでもメンターとして、何人もの女性たちをサポートしてきたジャネルさんは、メンターの役目をこう語る。

「メンターとは、サポートとインスパイアを与えるものだと思っています。メンティをサポートしていきながら、刺激を与える役割になれる。私も数人のメンターに救われてきましたが、メンターは私の中にある可能性を見つけてくれたと今でも感謝しています。私は今回のプログラムで、メンティからも学びたいとこの役を引き受けました。野尻さんとは新たなものを生み出していけると思っています」

今回の経験を通して、野尻さんは今後、自分もアドバイスをしていく立場になりつつあると実感するきっかけとなった。こうして自分が受けたものを次世代に引き継いでいく、そんな新たなスタートにもなったようだ。