毎日のニュースを見ていると、明らかに“現実がドラマ(作りごとの世界)を追い越している”と感じることが多い。言い換えれば、ドラマの脚本がいかに突拍子もない設定や事件をしつらえようと、現実の方がはるかに先を行っている、そう思うのだ。

本書のタイトルの中にある「40億円の借金」という文字を見た時、「もはや、個人で動かせるお金の領域を越えている」と感じた。映画やドラマの脚本家は、決して個人の背負う額として「40億円」という金額は書かないであろう、と。

『ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる。』(湯澤剛著/PHP研究所刊)

しかしながら、本書はビジネス・ノンフィクションである。現実なのだ。果たして、著者・湯沢剛氏は、このリアリティーのない数字をどのようにして受け入れ、返済を行なっていったのか? そんな好奇心から本書を読み始めた。

1998年、父親の急死により、倒産寸前の家業(飲食店チェーン・株式会社湯佐和)と40億円の借金を引き継ぐことになった時、大手企業のサラリーマン、本書の著者・湯澤剛氏は36歳だった。継承した会社の荒れ果てた状況、銀行からの取り立て、火事による店舗の全焼……いや、羅列するのは止めよう。これでもか、これでもか、と負の現実が襲い掛かる。そして、湯澤氏はそれを鮮やかに乗り越える! のではなく、嘆き、悲しみ、自分の境遇を呪う。

「何で俺なんだ!」「俺ばかり苦しまなければならないんだ!」、湯澤氏はとことん落ち込む。しかし彼は、誰もが怯え考える2つの選択をしなかった。それは「(家族をも巻き込んでの)死」「自己破産」。

この状況の中、なぜ彼は、それだけは選ばなかったのだろうか。最後の最後で呪いのような現実を受け入れ、返済の道を選んだのは“意地”なのか?  それとも逃げることすら考えられないほどの現実が湯澤氏を絡め取り、濁流のごとく押し流していったのか? その後、物件売却、自社ビルを貸しビルへ、根本からの店舗の見直し、信用金庫を味方につけ返済を続ける……といった日々が続いていく。

人は困難の渦中にいる時、自分自身を客観的に見ることは難しい。資金繰りと会社の立て直しに追われ、「良い会社・利益を上げる店舗にする」というシンプルな命題も、その渦中では分からなくなるものだ。

混沌の最中、湯澤氏の身にはさらに、狂牛病騒ぎ、信頼していた社員の死など困難が続く。しかしその流れの中でも、彼は命題を見失うことはなかった。経営者として“変わっていく自分”と、“それでも変われない自分”を本書ではつづっている。

“変わっていく自分”と“それでも変われない自分”が、失敗や不運を招く。まさに、後悔と反省の繰り返しの書である。しかし、だから本書は信頼できるのだ。「死」も、「自己破産」も選択せずに生きてきた男の文章だから読み進めていく価値があるのだ。

2015年、湯澤剛氏は神奈川県下で14店舗の飲食店を経営しながら、中小企業経営者向けに、自分自身の経験を語る講演活動を続けている。辛辣極まりない経験をし、“変わっていく自分”を嫌悪し、“変わらない自分”を反省しながら生きてきた、その様子を語っている。

――この16年の間に、昔私が目標にしていた多くの会社や店がつぶれていった。実際にアドバイスをもらいに行った中にも、今はもうない会社もある。それなのに、あれだけ借金があってダメなところだらけだった湯佐和が、どうにか生きながらえて今も続いている。それが信じられない。(本書、第5章 「後悔も迷いも消えた日」より抜粋)

「どんなに頑張っても、完済には80年かかるでしょう」と銀行に告げられた日から売却と預金相殺を含む資産処分で13億を返済、16年間の営業利益で25.5億円を返済。完済はもうすぐだ。

“あきらめない勇気”と“しぶとく戦略的に生きる力”で、人生のおよそ3分の1を乗り越えてきた湯澤氏の生き方から、読者も必ず何かを感じ取れるはずだ。