「日本の少子化を解消するのは、国政でなく地方行政にあり」と唱えるメディア評論家、境治氏が“子育てできる街・社会”について考えるシリーズ。4回目の今回は、引き続き、東京都目黒区に起こっている保育園開園延期の話。保育園開園反対運動代表者からさらに話を伺い、その意見書を考察し、解決の糸口を探ります。保育園開設を待っている目黒区の親子たちは、どのような心境でこの事態をみているのか。
2015年春、保育園開園反対! の全容
目黒区の保育園が開園延期になった背景について前回書いた。誰も悪いわけではないのにどうして延期になってしまったのか。前回を読んでいない方はそちらからぜひお読みいただきたい。
※連載第3回「目黒区の保育園の開園延期は、誰が悪いのだろうか」
http://woman.president.jp/articles/-/395
「保育所強行開設に反対する住民の会」の代表・角野氏(仮名)をサポートする中森さん(仮名)が経緯をまとめた書類をじっくり読んでみた。反対する理由が挙げられている。「問題点1 住民無視でプロセスも怠った目黒区の横暴な態度」、これが最大の理由だが他にも二つ。「問題点2 ブロッサムの態度も身勝手で横暴」、保育園を運営するブロッサム社にも矛先が向けられている。そして「問題点3 公園まで子供の足で徒歩15分! 区自らが定めた規定に反する」とあり、保育園と公園との距離も問題にしている。
目黒区が定める認可保育園の施設に関する要件に「施設から、安全な経路により徒歩で概ね5分以内のところに代替の屋外遊技場を指定できること」というのがある。彼らが調べたところ、開園予定地にもっとも近い公園は大人の足で歩いて5分、しかも交通量の多い幹線道路、環状7号線を渡らなければならない。次に近い公園は大人の足でも5分以上かかるし、坂が急で歩くのは大変だという。目黒区は、自分で決めた規定を自分で破っていることになる。
ふーむ、と反対理由の3項目を確認しながらどうにもしっくりこない。妻に話すとこう言った。「環状7号線を越える公園は危ないかもしれないけど、それでどうして保育園に反対するの?」。そうだ、“反対する理由”として、腑に落ちないのだ。
保育園開園反対は理に適っているか
保育園の開園に反対するなら「子どもの声がうるさい」とか「送り迎えの親たちが迷惑だ」など生活環境の侵害でないと理由にならないのではないか。目黒区に不満なら、徹底的に抗議して区長に謝罪させるなり慰謝料を請求するなりすればいい。
目黒区と保育園運営を任されたブロッサム社の態度、園と公園との距離を理由に、保育園を開園するなというのは、実は論理がつながっていない。できるだけフラットな視点でこの問題を取材してきたつもりだが、彼らの挙げた問題点は、客観的にみて反対する理由になっていないと結論づけた。
角野氏と中森さんにもう一度取材をお願いした。目黒区の担当課長に会ったら保育園開園のための住民説明の不備は反省していた、と伝えたが、だから許すとは当然言わない。むしろ、保育行政のプロが手順を誤ったとは何事かと言う。
さらに、言ってみた。「意見書をじっくり読んで気付いたのですが、ここには保育園開園に反対する理由は書かれていないんですよ」。生活環境の侵害などが反対する理由ではなく、目黒区に腹を立てているなら、保育園開園とは別に抗議し続ければいいのではないか、とも言った。
角野氏は落ち着いて「あなたがそう言うのも一理でしょう」と受けとめてくれた。だが「意見書に書いてあることがすべてです」と言う。保育園開園を話し合ってもいいのだが、その前にまず開園計画を白紙に戻せというのが自分たちの主張だと、言い分は変わらない。
中森さんは特に公園との距離を問題にする。さらに「実は私は、公園まで実際に歩いてみたのですが、“概ね5分以内”に当てはまる距離でした。厳密に徒歩5分か、大人の足か子どもの足かは、大きな問題ではないと思います」と言った。実際、東京都の規定では公園までの具体的な距離は定められていない。だが中森さんは、保育園の基準なのだから子どもの足に決まっているし、その他にも環状7号線から車が意外に多く流れてくることや、建物が狭いなどの点で、保育園にふさわしい場所ではないと主張し続ける。でも適しているかどうかは行政が決めることでしょうと私は言った。
反対派の憤りとは無関係に、子育て世代が困っている
どこまで言っても平行線で、決着なんてつきそうにない。何カ月も揉めてきた問題に、赤の他人が首を突っ込んでも解決しないのは当然だが、角野氏たちの入り組んだ気持ちの奥深さをあらためて認識した。
人がこぶしを振り上げることには、そしてそれを社会的に公言することには相当の重みがある。割って入ってちょっと理を言ったくらいで済むわけはない。こぶしを振り降ろす何らかの受け皿が必要なのだ。人のこじれた気持ちは、ないがしろにできないものなのだと思う。
ただ、開園の延期によって子供を預ける先を失った親たちにとっては、それでは済まないだろう。実際目黒区では、保育施設の定員数は増加傾向にあるものの、待機児童数は4年前の約5倍、294名(2015年6月現在、目黒区役所調べ)にのぼる。都心回帰で若いファミリー層が目黒区に流入してきていることが原因の一つだ。反対する人びとの気持ちとは別に、物理的にも経済的にも困り果てている子育て世帯がいるのだ。そういう親たちの深刻さを前に、角野氏たちは同じことを言い続けるのだろうか、とも思った。
コミュニティの未来。ヒントはここにある
ところで、角野氏、中森さんと話していて興味深かった点がある。お2人は近くに住んでいるものの交流はまったくなく、話をしたのはこの問題が起こってからだそうだ。それだけでなく、反対運動に関わる近所の人びとは、一部では挨拶程度の付き合いはあったがちゃんと話すのは初めてだった。保育園が来る、という事態が起こったことが人びとの気持ちを結びつけ、コミュニティが生まれたのだ。不思議な展開ではないだろうか。
せっかく生まれたこのコミュニティは、拒んでいたはずの異物=保育園を受け入れることで本当に一つになって定着できるのではないだろうか。親たちに送り迎えされる園児たちを温かく見守り、育んでいくことでこの町全体が賑やかで楽しくなれないだろうか。
そんな素敵な可能性を角野氏と中森さんが見いだしてくれることこそ、解決の糸口なのだと思う。……そんなこと、誰が促せるのかはわからないが。
コピーライター/メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボッ ト、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランス。ブログ「クリエイティブビジネス論」でメディア論を展開し、メディアコンサル タントとしても活躍中。最近は育児と社会についても書いている。著書にハフィントンポストへの転載が発端となり綴った『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4990811607/presidentonline-22/)』(三輪舎刊)がある。