労働力資源として女性活用の声が高まる一方で、少子化に歯止めをかけるさまざまな施策も講じられている。「日本の少子化を解消する糸口は、国政でなく地方行政にあり」と唱えるメディア評論家、境治氏が“子育てできる街・社会”について考えるシリーズ、3回目の今回は、東京都目黒区に起こった保育園開園延期の話。保育園開設を待っていた目黒区の親子たちは、どのような心境でこの事態をみているのか。

保育園開園延期の真相

2015年春、目黒区に新設予定だった認可保育園の、開園が延期されたことが報じられた。予定地の周辺住民が反対運動を起こしたからだ。それだけ聞くと、なぜ反対するのかと問いたくなるが、一方的に責めていいのだろうか。自分の家の近くに保育園ができると知ったら、戸惑う気持ちもわからないでもない。どういう経緯で延期が決まり、どんな人が反対の声をあげているか、知りたい。そう思った私は、関係者を取材してみた。

まずは保育園の運営会社、株式会社ブロッサムの西尾義隆社長を訪ねた。40歳を越えたばかりだという西尾社長は、もともと不動産業に従事していた。2009年に、保育園事業に取組もうと起業したのは、自身も幼い子を育てる父親だったからでもある。物件を見つける経験と手腕を活かして、すでに関東と関西の12カ所で保育園を運営している。

延期になった目黒区の保育園は、区の公募があり、物件を事業者が見つけて応募する形式だった。西尾社長は工場だった建物を探し出し、改装すれば保育園に使えると応募した。何段階かのプロセスを経て、選定されたのは2014年10月初旬だった。

同年11月5日には区報で開園が告知され、園児募集もはじまった。ところが地元の住民から抗議があったという。区の担当者とともに西尾社長は近隣を訪問して説明し、説明会も数回に渡って開催したが理解を得られず、結果、2015年4月からの開園は延期になってしまったという。

予定地は契約済みで、賃貸料がすでに発生している。西尾社長は、元営業マンらしく穏やかな語り口だが、困り果てていることもよく伝わってきた。一連の顛末の話しぶりは落ち着いているが、その奥にある情熱が感じられる誠実な若手社長、という印象だった。

住民への説明責任は誰にある?

反対運動の中心人物で、予定地に接した隣に住む角野氏(仮名)にもおそるおそるコンタクトしてみたら「取材にはすべて応じます」と返信がありすぐにお会いできた。小難しそうな人物を想像していたのだが、現れたのは60代半ばの気さくそうな男性だった。反対運動を手伝っているという、フリーライターの女性、中森さん(仮名)も一緒だった。角野氏の話を聞くと、私でも憤るなあということの次第がわかった。

2014年11月のある日、角野氏の家を見知らぬ女性が訪ねてきた、というのだ。「保育園ができるのはこちらですか?」。角野氏には何のことやらわからない。まさか隣に保育園ができると発表されているとは思わなかった。やがて区報への掲載を知り、怒り心頭となった。どうして事前に何の説明もないのか。目黒区に抗議したらすぐに担当課長が謝りに来た。「保育園側が説明していると思っていた、と言うんですよ」と、憤り収まらない様子で角野氏は語る。

その後、西尾社長が謝りに来たり説明会を開催しても、角野氏からすると収まりがつかない。目黒区に対して腹を立てているのに、ブロッサム社が来て保育園をどうつくるかの説明ばかりする。彼としては「どうして開園が前提になっているのか」という気持ちなのだ。かくて、角野氏は西尾社長にも疑問を持ってしまい、ブロッサム社も信頼できないと断じている。

騒音が生活を乱すから周辺住民が反対していると報道されたが、自分たちは住民を無視した目黒区の横暴なやり方に憤っているのだと角野氏は言う。その裏付けとして、同席した中森さんが整えた書類を見せてくれた。この一件の経緯が事細かに書き留められて、私にも事態がよく理解できる資料だ。これを読むと、腹を立てるのは当然だと思えてくる。

角野氏の話を聞いていると、目黒区の担当者に疑問を抱いてしまう。なぜ西尾氏に任せて自分はあまり出て行かなかったのか。そのことが角野氏の不信感を増幅させてしまっている。逃げているのではないか?

ボタンの掛け違いから、保育園開設が頓挫するまで

今度は目黒区役所を訪ね、保育計画課の担当課長に取材した。アポを取る時、電話で“忙しい”を連発し、「30分だけなら」と約束したのだが、それも逃げているからなのかといぶかった。きっといかにも役人っぽい、冷たい感じの人物なのだろうと想像して会いに行った。

工場として使われていた武骨な建物だが、明るい保育園に生まれ変わる日を静かに待っている。

出てきたのは、真面目そうな困り顔の年配の男性だった。質問すると嫌がりもせず丁寧に答えてくれた。これまたイメージが違う。

目黒区では認可保育園の設立に2通りのやり方があるそうだ。1つは目黒区自身が物件を見つけて運営する事業者を募る場合。この場合は区が主体的に動き、地元への説明も区が行う。

もう1つが今回のように物件から事業者に探してもらう場合で、これまでは駅そばのビルなどの物件ばかりだった。だが今回初めて住宅地で事業者主体のやり方で決まった。そこで、ブロッサム社が説明をしているものと思い込んだ。一方、ブロッサム側は決定を受けるまで動けないと考えていた。ここに行き違いがあったのだとわかった。

角野氏の憤懣をどう思うか聞くと、寝耳に水の状態になってしまったのは本当によくなかった。反省している。保育園の開設は切望されている一方、地元住民の気持ちも大事なのでなんとか理解してもらわねば、と言う。

それぞれの話を聞いて、私はわからなくなってしまった。すっかりこじれてしまったが、誰が悪いわけでもないと思える。

担当課長の住民への説明不足は否めないが、法的に間違っているわけではない。慣例やルールができていないことが問題なのかもしれない。いま都内で保育園が急増している証だろう。

行き違い、説明不足、ルールの不備。仕方ないとは言え、それらが理由でせっかく決まった保育園の開園が頓挫してしまうのだろうか? 次回、この続きを書こうと思う。

境治(さかい・おさむ)
コピーライター/メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボッ ト、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランス。ブログ「クリエイティブビジネス論」でメディア論を展開し、メディアコンサル タントとしても活躍中。最近は育児と社会についても書いている。著書にハフィントンポストへの転載が発端となり綴った『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4990811607/presidentonline-22/)』(三輪舎刊)がある。