レスリングの魅力
いよいよリオデジャネイロオリンピックの開幕が迫ってきました。私にとっては北京、アテネ、ロンドンに続き4連覇のかかる大事な大会です。
しかも、今回は日本選手団の主将という大役を任されました。夏の大会で女子選手が主将を務めるのは史上初めてだというから、なおさら気合が入ります。ちなみに、前回のロンドン大会では旗手をやらせていただきました。
私の出場するレスリングは、陸上競技やバレーボールなどと比べると、一般の人にとってはそれほど馴染みのある興味ではないかもしれません。
でも、タックルや投げ技などはわかりやすいし、スピードがあってスリリングな展開が続く競技なので、レスリングをまったく知らなくてもじゅうぶん楽しめると思いますが、できれば基本的なルール――3分間2ピリオド制で、相手の両肩をマットに付けるとフォール勝ち。もしくは相手の後ろに回り両手両足のうち三点をマットに付けると二点、投げ技は四点といったテクニカルポイントの合計で勝敗が決まる――くらいは頭に入れておくといいでしょう。そのほうがレスリングの醍醐味をより一層深く味わうことができるからです。
最近、お笑いコンビ「オードリー」の春日俊彰さんが、テレビ番組の企画でレスリングを始めたのをご存知ですか。かなり真剣に取り組んでいるようで、私も一度スパーリングをやらせていただきましたが、体力はあるしセンスもなかなかのものです。
春日さんは先日はマスターズの公式戦に出場し、見事3位入賞を果たしました。わずか半年の経験でこの成績ですから、これからさらにトレーニングを積んでいけばかなり期待がもてます。
リオオリンピックをきっかけに、春日さんのようにレスリングをやってみようという人が増えることを祈っています。
挫折するから強くなれる
3歳から始めたレスリングですが、ずっと順風満帆だったわけではもちろんありません。実際は、何度も悔し涙を流しています。
最大の挫折は、北京オリンピックの半年前に、中国・太原で開催された2008年ワールドカップ団体戦で、アメリカのマルシー・バンデュセン選手に敗れたときです。
この試合まで私は公式戦119連勝。国際大会も27大会連続優勝中。加えて外国人選手にはそれまで一度も負けたことがありませんでした。
バンデュセン選手とも高校生のときに対戦したことがあり、そこでは私がテクニカル・フォールで圧勝しています。
だから、このときも、「負けるかもしれない」という不安な気持ちは、これっぽっちもありませんでした。もっといえば、「自分はこのまま引退するまで負けることはないんだろうな」と、当たり前のように思っていたのです。
それが、よもやの判定負け。
決まったと思ったタックルが、直後のビデオ検証で相手の「返し技」に変更されるなど、納得できないところもありましたが、それでも負けは負けです。
予想外の結果に私の頭は真っ白。控室に戻っても、しばらくは涙が止まりませんでした。
しかも、自分の連勝記録が途切れただけでなく、私が負けたせいで日本チームも優勝を逃してしまったという自己嫌悪も重なり、精神状態はボロボロ。
オリンピックを前に私は完全に自信を失い、抜け殻のようになって実家に帰りました。
「これまであなたに負けた人たちも、同じように悔しい思いをしてきたのよ」
そんな私に立ち直りのきっかけを与えてくれたのが、母のこの言葉です。
そうだ。負ければ誰だって悔しいに決まっている。二度とそういう思いをしたくなければ、もっともっと強くなればいい。
暗闇にようやく一筋の光明が見えた気がしました。
さらに、自宅に併設されている道場で、父が子どもたちにレスリングを教えているのを毎日見学しているうちに、レスリングを始めたばかりのころの新鮮な気持ちがよみがえってきました。父は何も言いませんでしたが、子どもたちの練習を見せることで、私にレスリングの原点を思い出させてくれたのです。
ようやく立ち直った私はまず、この悔しさを忘れないために、私の敗戦を報じる新聞記事の切り抜きと、屈辱の銅メダルを部屋に飾りました。そして、毎日それを見ながらオリンピックまでの間、栄和人監督と一緒に、二度と相手の「タックル返し」の餌食にならないよう、自分のタックルをいったん分解し、隅々まで検証してさらに完成度の高いものにつくり直すという練習を徹底的に行いました。
その結果、北京オリンピックでは金メダルを獲得することができたのです。
もし、ワールドカップでバンデュセン選手に敗北を喫していなかったら、私はオリンピックで「タックル返し」を食らって、金メダルを逃していたかもしれません。あの挫折があって、タックルの完成度を高めたらこそ、さらに強くなることができたのです。
※このインタビューは『迷わない力』(吉田沙保里著)の内容に加筆修正を加えたものです。