「安全」のために遠ざかってしまった
私は国土交通省の河川環境課で、「ミズベリング」という名前のプロジェクトを担当しています。これは造語なのですが、「水辺」と「リング」、そして、水辺のリノベーションが進行形で続いていくという2つの意味があります。地域における水辺、特に河川の価値を見つめ直し、活かしていこうというプロジェクトなんです。
都市――例えば東京の水辺の姿に象徴されるように、日本の多くの都市河川は「三面張り」と呼ばれる直壁の護岸でコンクリートの堤防が立ちはだかっていたりします。そうした場所では建物と水辺が分断されていて、川と人とが遠い存在になってしまっています。
ただ、水辺というのは歴史をたどると、江戸時代に描かれた日本橋の浮世絵にもあるように、ヒトやモノが集まるエネルギーに満ちた空間でした。そのような魅力的な場所が都市の中に失われたのは、他でもない私たち河川行政の責任も大きいでしょう。
明治期以降の近代化と高度経済成長を経て、日本の河川行政は水害から人と財産を守るために、洪水対策を最優先に行ってきました。もちろんそのことで私たちの都市は水害から守られているわけですが、一方で直壁の護岸や見上げるような堤防の建設は、川と街を分断することにもつながりました。かつては、安全のためには仕方のないことだ――という理由を楯に、人が川から離れてしまうことを放置してきた面も確かにあったと思います。
「水」に興味をもったきっかけ
ミズベリングの取り組みは、そんななかで日本の文化と歴史を育んできた水辺の環境を、もう一度あらたな形で取り戻そう、水辺を地域の財産として見つめ直そう、というものです。2014年の3月から始まったばかりの試みですが、行政と市民と民間企業が一緒になって、新しい水辺の活用の可能性を全国各地で探り出したところです。
私の業務は河川環境課の課長補佐として、国交省の機関や地域の方々にプロジェクトの理念を浸透させたり、一緒に内容を考えたりすること。
こうした川や水をめぐる仕事に携われることは、本当にありがたいことだと思っています。
私はもともと地域の中にある「水」に興味があって、卒業した立命館大学では水質浄化の研究をしていました。
水のことに興味を持ったのは、生まれ故郷の千葉県勝浦市にいた子供の頃でした。勝浦は夏になると大勢の観光客が海水浴に訪れるけれど、海水浴場のすぐ近くにドブ川が流れていたんですね。
勝浦の下水道整備率は0%で、家庭排水の処理は単独浄化槽ばかりでした。観光で食べていかなければならない街で、海水浴場に家庭排水がそのまま垂れ流されている状況は何かが間違っている。そう思っていました。大学で水質浄化の勉強をしたのは、いずれは地元をもっと美しいまちにしたい、そうした問題意識があったためで、在学中に千葉県で公務員としてよりよい地域をつくっていきたいという気持ちが芽生えました。
それが国家公務員になることになったのは、あるとき大学の恩師に「やりたいことができるのは国だよ」と言われたからです。考えてみれば私の地元のような問題は、全国に形を変えてたくさんあるわけです。大人になって少しずつ社会への視野が広がり、地元だけではなく、もっとたくさんの地域のために働ける国の仕事に魅力を感じるようになったんですね。