入社翌日から外国人局長の通訳に
大学を卒業したのはバブルの時代です。87年に電通ヤング・アンド・ルビカムという広告代理店に入社しました。電通と米国のヤング・アンド・ルビカムが出資した会社です。広告代理店の業務内容をきちんと理解して入ったわけではありません。大学の進路相談室に置いてあった新卒募集用のパンフレットがとても素敵だったのです。営業やクリエイターなどさまざまなセクションの若手が登場し1日のワークスタイルがイメージしやすく、またレイアウトデザインのセンスも抜群で、こんな人たちと働いてみたいと思いました。
最初の配属は外国人局長の秘書。私が中学・高校時代にアメリカに住んでいて英語が使えたという理由からかもしれません。今考えるとビジネスの知識はゼロでしたので恥ずかしい技量だったと思いますが、入社翌日から役員会で通訳を任せてくれた会社の度量の広さを感じます。最初がニュージーランド人、続いてフランス人、アメリカ人の3人の局長の秘書を経験しました。
その後、やはり広告代理店に就職したのだから営業も経験したいと申し出て、昼間は営業、夜は秘書を掛け持つことになりました。
仕事内容は男女に関係のない会社でした。女性でも入社すぐに営業に出る人もいれば、マーケティング部や媒体セクションに行く人も。女性が働くうえでは恵まれた環境だったと思います。すでに当時、女性の部長もいました。私は、というと、5年弱で退職します。寿退社ですね。
同じ会社の別のセクションの人と縁があって結婚することになったのです。彼は広告代理店の営業業務を本当に愛していて、天職のように思えました。彼の働く様子を見て、仕事に対して私以上の情熱を感じ、ならば、私は別の業界で彼のような情熱を持って働いていきたいと思い、退職を決めたのです。
スターバックスでマーケティング部門を立ち上げる
バブル真っ盛り、広告代理店の仕事は充実していましたが、寝る間もないほど働き、遊ぶという時代でした。退職し、スピードを少し緩めて専業主婦になったわけですが、特段やることもないので、アニュアルレポートなどをつくる会社などのアルバイトをしていました。そんなときスターバックス コーヒーが96年8月に日本に上陸し、3店目の開店のころでしょうか、知り合いの方から「広報とマーケティングを手掛ける人がいないのでどうか」とお誘いを受けました。
初めての打合せが銀座松屋の裏の1号店。お店の空気感や漂うコーヒーの香りは今まで経験したことがなく、ドキドキしたことを鮮明に覚えています。その後、当時の社長の角田雄二さんとお会いし、こんなチャーミングで、プロの商売人の嗅覚をもった方と一緒にビジネスを広げていきたいと思い、参画させていただきました。
マーケティング部門は、シアトルの大学でビジュアルマーチャンダイジングを専攻した22歳の女性と立ち上げました。出店のスピードがものすごく速くて、またもや寝る間もないほど仕事に没頭することになってしまったんです。ベンチャーの立ち上げ時期はやればやるほど手ごたえが感じられます。おかげで生活はそっちのけです。
毎週チームで、出店候補地を回りながら、どういうデザインにし、どんなオープニングにするかを企画していきました。ゼロからのお店づくりで、お客様の反応が直に伝わってくるのでやりがいがありましたね。
当初こそ、お客様の好みに合わせてオーダーを頂いてから1杯ずつ淹れるスタイルが目新しくて、ファストフード店と思われていたお客様から「次のアポイントに遅れてしまう」といった苦情があったこともありましたが、徐々に待ち時間にもゆったりとコーヒーの香りや音楽を楽しんでいただけるスタイルが定着し、、何よりも豆に抽出の仕方にこだわったコーヒーの美味しさを喜んでもらえたのがうれしかったですね。コーヒーがちょっと苦手な女性の方も濃厚なミルクやチョコレート、ホイップクリームが入ったドリンクで新しいコーヒー体験を楽しまれ、それが口コミで広がってスターバックスが全国で認識されるようになったと思います。
何度やっても懲りない性格
スターバックスには上場の翌年、2002年まで在籍し、その間300店ほどのオープンにかかわりました。それだけ仕事に没頭すると、マーケッターとして付加価値を創り出していくエネルギーが枯渇し、体も気持ちも疲れてきたことを感じたのもこの頃です。ブランドとしても日本中に浸透し、次に引き継げる社員もいましたので、辞めることを決めました。その時には、次のキャリアを考える余力は残っていませんでした。
一度普通の生活に戻りたいと思ったんです。平日に友人と会って食事をしたり、映画を見たり、美術館を巡るといった生活です。母が私の退職をとても喜びました。母は私の身体を心配し、私とゆっくり話をしたり、一緒に旅行に行きたかったようです。
1年半ほどのオフの時間で、これまで自分がやってきたことを棚卸し、これから自分が何をしたいかをじっくり考えることができました。マーケッターは様々な業務が経験できます。広報もあれば広告宣伝業務もあるし、調査や新商品開発にも携わります。そういう中で、どういうときが一番やりがいを感じ楽しかったかな、マーケッターの仕事にこだわることはなく自分で店を始めてみるのはどうかな、と色々な生き方を空想してみたんです。
でも、改めて自分のスキルの強みとマーケットの中でのスキルの需要を整理し、空想は空想で終え、05年にまたマーケッターに復帰します。英会話スクール「Gaba」のマーケティング部のディレクターです。気がつくと仕事漬けの毎日。何度やっても懲りないんですね。仕事に没頭すれば没頭するほど充実感を感じるタチのようで(笑)。
GABAの当時の社長とライフネット生命の現在の社長の岩瀬が知り合いで、マーケティングの話を時々するようになり、それが今につながっていきます。