出産=事故!?

浦安市議会議員 岡野純子さん

いま私は2人の娘を育てながら浦安市議会の議員をしています。当選したのが平成21年、今年で4年目です。上の子は5歳なのですが、次女はまだ生後8カ月で、昨年の春に議員という立場で妊娠・出産しました。浦安市議会で現職の議員が出産したのは初めてのことでした。

その中で思ったことや感じたことはたくさんあります。例えば、議会において私たち議員の行動は、議会会議規則によって規定されています。その中に書かれている「欠席」の条項には、「事故など」という表現しかなかったんですね。

そのため出産の前後に議会を休むという話になったとき、事務局からは「事故の拡大解釈にしてほしい」と言われたくらいなんです。昔に作られた会議規則ですから、現職の女性議員が出産するということ自体が想定されていなかったわけです。

当然、産休・育休という制度もありません。「欠席」の条項はその後、「疾病、出産その他の事故」と文言が変わったのですが、それは私の出産によって初めて議論されたことでした。それ以外にも、質問を文書によるやりとりでも可能にすること、代理採決の制度の有無など課題はまだまだ多いのですが、最初の小さな一歩だったととらえています。

「母乳」「授乳」の単語が出るだけで嘲笑が……

この4年間、30代の女性として市議を続けてきて、ここは「男社会」の最たる場所なのではないかと思うこともあります。権力欲や自尊心の強い壮年以降の男性たちが多いし、私たちがいる議員席と対面している行政の側を見れば、浦安市は教育長を除いて全員が黒いスーツを着た男性。現在、女性の部長職は1人もいません。本来、公務員は民間企業よりも産休を取りやすいし、女性が活躍しやすい環境であるはずなのですが、実際にはそうはなっていないのです。

私は自分自身が子育て中の母親だということもあって、子育て支援の政策について中心に取り組んできました。ただ、議会の質問で「母乳」や「授乳」といった単語を発言するだけで、嘲笑がでたり、議場の雰囲気が変わったりするんです。また先日、NHKが「出産した議員がいる」と私のところへ取材に来ました。子供を産んだだけでそんなふうに注目されてしまうのも市議会の1つの現実。その意味で、この世界がちょうど変わろうとしている過渡期に、自分は政治の世界で働き始めたのだと実感しています。

私が議員になろうと思った大きなきっかけの1つも、子育て中の女性が働きやすい市政を少しでも実現したいと考えたからでした。あるとき、フルタイムで働いていた友人に相談を受けたんです。

彼女は優秀なキャリアウーマンだったのですが、子どもを産んでから会社のプロジェクトから外され、責任ある仕事を任せてもらえなくなったと泣いていました。

浦安市は人口の平均年齢が36歳と日本一若く、子育てしやすい街としてよく雑誌に取り上げられていたのですが、実は病児保育所施設がなかったんです。そのため彼女自身にも子どもが熱を出した場合などを想像して、責任を積極的にとれないという気持ちがどこかにあった。「やらせてください」と自分の思いを強く言えないという葛藤を抱えていたんですね。

目の前の人に感謝される仕事をしたい

私は当時、大学を出て4年間勤めたNHK松山放送局のアナウンサーを辞め、こちらに引っ越して専業主婦をしていたんです。アナウンサーを辞めたのは、実際にやってみて自分には向いていないと感じたからでした。カメラの前に出るといつも緊張してしまうし、自分に自信がある同僚がいっぱいいる世界で、どうしても委縮してしまって――。今度はカメラの前の何万人ではなく、いままさに対面している人に「ありがとう」と言ってもらえるような仕事がしたいと思っていたんですね。

そこで、同じ時期に始まったロースクールに通って、弁護士を目指そうと勉強をしていました。でも、そんなときに長女を妊娠したので、まあ、自分の将来については子育てが一段落してから考えよう、と。私が友人から相談を受けたのは、そうして専業主婦を2年近くやっていた頃のことでした。

そんななか、ちょうど浦安市長選があり、候補者のビラの裏に半年後の統一地方選の公認候補の募集を見つけたんです。「そうか、これも人の助けになる仕事だな」と思って、履歴書を送ってみたことが立候補のきっかけでした。なので、選挙の際には、病児保育の問題を政策に書き、最初の質問にも入れ込みました。様々な議論がありましたが、結果的にまずは1カ所、大学病院の増床に合わせての病児保育所の開設が今は決まっています。

浦安市議会議員
岡野純子
(おかの・じゅんこ)
1978年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒。NHK松山放送局に入社し、アナウンサーとしてニュースやリポートを担当。2011年、民主党公認で浦安市議会議員に初当選。2児の母。