言葉が通じない相手も安心させてあげたい

東京慈恵医科大学救急部 及川沙耶佳さん

この慈恵医大本院の救急患者の搬送口の奥に、感染症の患者さんを治療する専用の処置室があります。最近ではエボラ出血熱の患者さんが発生した時に備えて、私たち救急医も防護服の着方と脱ぎ方を練習したところなんですよ。パンデミックな感染症の流行が懸念される際にいつも行っている準備で本番さながらに行います。

慈恵医大の本院は新橋という立地上、海外からの旅行者がよく搬送されてくるんです。旅行先での救急搬送ですから、みなさん心細くて強い不安を感じている。そのなかで大きな検査を受けなければなりません。英語圏以外の人も多いので、言葉が全く通じないこともあって、そうした彼らの不安をどう取り除くか、家族とどう連絡をとるかで困難なケースもありますね。

それから六本木などの繁華街が近いため、夜になると泥酔した人や危険ドラッグなどのケースも少なくないんです。なので、ここで救急医を続けていると「社会」の生々しい姿を日常的に見ることになります。

救急部で働いているとつくづく実感するのは、さまざまな背景を持った方が来るなかでいかに相手の気持ちを理解できるかが、救急医の重要な能力であるということですね。症状が軽い人も重い人も一様に動揺している中で、慌てずにテキパキと重症度を見極めて優先順位をつけ、その状況を解決していくマネジメントの力。例えば、3人の患者さんが同時に急変したような際は、「この人にはこの処置、この人にはこの処置をして待っていて」と次々に判断を下していかなければなりません。

ベッドに倒れ込んで起きられなくなることも

あるいは、酔った患者さんが怒ったり怒鳴ったりしていると、他の患者さんもいますし早く診断して帰ってもらいたいと思うのが人間の普通の感情でしょう。医者も人間なので、当直で全く寝ていない時間帯に理不尽に怒られたり怒鳴られたりすれば、いつものように冷静でいられないこともあります。そこを堪えて「これで患者さんを帰して大丈夫か」「本当に疾患を見逃していないか」と落ち着いて普段通りの診療スタイルを貫けるかが問われますし、また、血が一気に出たり、心臓が止まったりという緊急事態の時、自分を鼓舞して一気に気持ちをピークに持っていけるかどうかも重要です。

それに交通事故などで搬送されて亡くなった患者さんの家族と、最初にやり取りを交わすのも私たちであるわけです。そんなときは家族の気持ちを怒りやショックの段階から落ち着かせ、どうやって現実と向き合ってもらうかも意識しなければなりません。そんなふうに、接する相手の感情の起伏が激しい職場なので、忙しかった日は家に帰るとベッドに倒れ込んで動けなくなることもあります。

医師が成長できる場所

ちなみに医学部へ普通に入った学生さんや研修医は、ここで日々繰り広げられているようなアウトローな世界を全く知らずに医師になることが多いんですね。待たされて怒鳴る人、お酒をいつも飲んでいくら言ってもやめない人、路上に生活している人……。そうした人々とやり取りしながら、一緒にいる他の医師や看護師、事務のスタッフとスムーズにやり取りをかわして、一人の知恵を2倍、3倍に変えていくことは臨床の現場で人と人との関わりあいから学ばなければならない救急医の技術の一部です。

そして、そのような現場から常に何かを学べて、やりがいを感じられる医師は救急医に向いていると思います。

研修医にとって救急での臨床は必修なので、どの医師も必ず一度は経験するんです。私は医師になって9年目ですが、救急部は本当に若い医師を育てるいい場所だなと思います。最初は不安げな顔でもたつきながらやっていた子たちが、本当に面白いほど変わるんです。1年も経てば後輩をしっかりサポートできる自信がついて、それからさらに時間が経つと自分に自信が出てくる時期があり、さらにいろんな患者さんを診ることでまた謙虚になっていく。医師というのはこうやって育っていくんだ、ということを目の当たりにできる場所でもありますね。

私がそうした研修医の成長する姿に興味があるのは、将来的に医学教育という分野の研究をしたいと考えているからなんです。医学教育は医学生や医師の育成教育方法などを体系化する分野で、いずれはその道に進みたいと思っています。

東京慈恵医科大学救急部 及川沙耶佳(おいかわ・さやか)
1981年生まれ。2006年に旭川医大を卒業。06年から札幌渓仁会病院、09年から11年までは沖縄の県立北部病院に勤務する。その後、ハワイ大学医学部シミュレーションセンター研究助手、2013年1月から慈恵医大救急部に勤務。