重責でも見通せない愛子さまの将来
愛子内親王が大学を卒業して2年半になるが、その活躍ぶりには目覚ましいものがある。それは誰もが認めるところであろう。
先日も、コンビニの棚に並んだ女性週刊誌の表紙に思わず目を引かれたが、3誌とも表紙は愛子内親王だった。カレンダーが人気なのは去年からのことだが、今年は何種類も頒布されている。
だが、同時にこんな思いもよぎる。12月1日に、愛子内親王は25歳の誕生日を迎えることになるのだが、その将来ということになると、実ははっきりしない。日増しに公務などの責任は重くなっているものの、それに見合う将来が約束されていないのだ。
果たしてそれでいいのか。今回は、それについて考えたい。
責任が増していることは、何より皇室外交の担い手として重要な役割を課せられているところに示されている。
11月17日から21日にかけては、シンガポールを単独で訪問することになっている。それも、日本とシンガポールの間で外交関係が樹立されてから、60周年を迎えるからである。現地の主要紙『聯合早報』などでも、その訪問は事前に報じられている(聯合早報・10月23日付)
愛子さまのシンガポール訪問の重要性
シンガポール滞在中は大統領を表敬訪問し、大統領主催の食事会への出席や施設の訪問などが予定されている。
2006年の40周年には、当時は天皇に在位していた現在の上皇夫妻が国賓としてシンガポールを訪れている。50周年の際には、シンガポールの大統領夫妻が国賓として日本を訪れている。
そこからも、今回の愛子内親王のシンガポール訪問が重要なものであることがわかる。しかも、シンガポールは高い経済水準を誇り、国際金融のハブの役割を果たしている。愛子内親王の最初の海外訪問はラオスだったが、経済という面では、シンガポールのほうがはるかに日本にとって重要である。
来年になれば、ヨーロッパを訪問する可能性も出てくるだろう。そうした機会を重ねていけば、愛子内親王の重要性はさらに増していく。もちろん、シンガポールを訪問することは、愛子内親王の意思で決定されるものではない。事前にシンガポールの側から招待があり、それが閣議で了解されるという手順をとる。
こうした皇室外交は、どの国に対しても親善を深める上で、極めて重要な役割を果たしている。まして愛子内親王は天皇家に生まれた唯一の子であり、注目度は高い。シンガポールでも、それにふさわしい歓迎を受け、その人気も高まっていくに違いない。反響が注目される。
かなり曖昧な「内親王」という立場
皇室外交の面だけではなく、愛子内親王は国内でも各地を訪れ、数々の公務を果たしている。
一方、秋篠宮家の悠仁親王はまだ大学の2年生で、携わる公務も限られている。大学の授業が続く間は学業が優先される。
その点で、愛子内親王は最も若い女性皇族として活躍の場を広げている。本人も生き生きと、そうした活動を展開しているように見える。しかし、その将来となると、はっきりしているとは言い難い。重責を果たしたことに見合うだけの将来が約束されているとは到底言えない状況にある。その点については、あまり関心も向けられていないと言ってもいいだろう。
歴史を振り返ったとき、内親王という立場はかなり曖昧である。男性の親王なら天皇に即位する可能性があるし、出家して法親王となり、仏教の世界で重要な地位を占めてもきた。
一方、内親王には、伊勢神宮の斎宮や賀茂神社の斎院として神に仕える道や、出家して尼門跡となる道などがあった。斎宮や斎院の務めを終え、退下した後も、結婚せずに生涯を過ごした内親王も少なくなかった。
戦後になると、内親王は結婚して皇室を離れるのが一般的になった。愛子内親王と同じく、天皇の娘として皇室外交を担い、その後結婚して皇室を離れた近年の例としては、今上天皇の妹である黒田清子氏がいる。
ただ、愛子内親王の女性皇族としての活動の幅や実績、さらには国民の間での人気を考えると、果たして黒田氏のような道をたどることができるのか、そこにはかなりの難しさがある。愛子内親王に見合うだけの男性は、果たして現れるものだろうか。
改正皇室典範が女性皇族の結婚の壁に
10月24日に施行された改正皇室典範では、女性皇族が結婚後もその身分を保持できるようになったものの、配偶者や子どもは「一般国民のまま」という中途半端なものになってしまった。高森明勅氏などは、宮中三殿の殿内(内陣)には一般国民は立ち入ることができないため、女性皇族と結婚した男性が自らの結婚式に同席できない可能性まで指摘している。
結婚後の生活となると、より問題が大きくなることは目に見えている。果たしてそうした生活を、女性皇族は望むのだろうか。
黒田武一郎宮内庁長官は、改正された皇室典範について、天皇や上皇、秋篠宮、そして養子を受け入れる可能性のある4つの宮家に対して、その中身を説明したと報道されている。
しかし、未婚の女性皇族に直接、説明に出向いたとは伝えられていない。当事者への説明は果たして十分なのだろうか。愛子内親王も佳子内親王も、自分たちの将来を決めかねない重要な出来事について、蚊帳の外におかれてしまっているのではないだろうか。
貢献求めども将来を保証しない政治家
もちろん、愛子内親王や佳子内親王など、改正法施行時の内親王・女王には、結婚したからといって、皇族としての身分保持が強制されるわけではない。本人の意思で、結婚と同時に皇室を離れるという選択肢も認められている。
ただし、日本の国を代表して各国を訪問した実績を持つ内親王が、皇室を離れるという選択をすることも、それはそれで難しい。
天皇もそうだが、皇族は自分の将来を自分で決めることができない。それについて、自らの考えや意思を表明することも制約されている。だからこそ、皇室典範を改正した政治家は、皇室に対する十分な配慮が必要なはずなのだが、今回、その点について必要な策を施したとは思えない。
むしろ、その逆である。
女性皇族には十分な働きをしてほしいが、それに報いる将来は保証しない。それが、現在の政治のあり方である。
なにしろ天皇や皇族が皇室外交に携わらなくなれば、政治家はそれに代わる手立てを容易には講じられない。相手国とどういった形で友好を深めていくのか。政治家自身が同じ役割を担うことは難しいし、現地で同じような大歓迎を受けるとは限らない。
こうした女性皇族に対する扱いは、企業における女性の立場と共通したものを持っている。
女性首相誕生でも少ない女性管理職
最近の企業においては、女性は不可欠な戦力になっており、女性が働くのは当たり前になっている。
ところが、内閣府の「令和7年版男女共同参画白書」を見ると、次のような結果だった。常用労働者100人以上の企業で、役職者に占める女性の割合は、2024年時点で係長級24.4%、課長級で15.9%、部長級になると9.8%にとどまっている。
就業者に占める女性の割合は45.5%で、諸外国と比較して大きな差はない。しかし、管理的職業従事者に占める女性の割合は、諸外国ではおおむね30%以上なのに、日本はわずか16.3%にすぎないのだ。
ようやくにして女性首相は誕生し、組織のトップに女性が立つことも珍しくはなくなっているものの、全体から見た場合、日本の女性が企業において責任ある立場に立つことは相当に少ないのである。
これこそが、現在の日本社会が抱える根本的な問題の一つである。そうした問題が、皇室にも反映されていると見ることができる。現在政権の座にある高市早苗首相は、果たしてこの問題にどのように対応しようとしているのか。残念ながら、それがわからないのだ。
高市政権は愛子さまに何を望んでいるか
しかも、皇族女性の場合には、個人として努力できる余地が極端に限られている。決められた枠のなかで行動するしかない。
内親王と女王との違いもある。三笠宮家の当主となった彬子女王は、一般社団法人「心游舎」で総裁を務め、その組織を基盤にさまざまな活動を展開している。テレビやラジオにも出演している。だが、そうしたことは内親王となれば、できそうにない。
佳子内親王でも、全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員を務めるかたわら、日本工芸会では総裁、日本テニス協会では名誉総裁の地位にある。
愛子内親王になると、どの団体の総裁や名誉総裁にもなっておらず、肩書は日本赤十字社の常勤嘱託職員のみである。
今回の皇室典範改正に熱心に取り組んだ、自民党の麻生太郎副総裁をはじめとする政治家は、いったい将来において、愛子内親王にどうなってほしいと考えているのだろうか。高市首相同様、まったくそれも見えてこない。
愛子さまの将来が映す日本社会の行方
つまるところ政治家たちは、女性皇族に内外の公務で重要な役割を果たすことを求めていながら、将来の立場にはまったく配慮していないのだ。
現在では、皇室典範の再改正を求める声も高まっているが、男女を問わない「長子優先」の皇位継承制度を現在の世代から適用すれば、愛子内親王は皇位継承順位第1位となり、皇太子と位置づけられる道が開かれる。
女性の皇太子は先例があり、聖武天皇と光明皇后の子であった阿倍内親王は皇太子になっている。そして、聖武天皇が譲位したことで、阿倍内親王は孝謙天皇として即位し、いったんは譲位して太上天皇となったものの、重祚して称徳天皇となっている。
将来において天皇に即位することが見込まれているのなら、その立場は明確で、当人もその覚悟で公務に臨むことができる。しかし、将来がはっきりと見通せないままでは、どこかで自分の立場について疑問を感じたり、迷いが生じてくるであろう。その点で、今、企業で精力的に活動している女性たちと、愛子内親王の立場は共通する。
愛子内親王の将来をどのように考えるか。それは、日本社会における女性全体に関わる事柄である。
なぜなら愛子内親王の将来は、日本社会が女性をどう処遇するかを象徴する問題でもあるからである。