会社が女性総合職の扱いに戸惑っていた

三菱電機 住環境研究開発センター 製品化技術開発部長 平岡利枝さん

私が三菱電機に入社したのは1985年のことでした。

その年はちょうど男女雇用機会均等法が改正され、翌年の施行を控える中で三菱電機でも約100名の女性総合職を採用したんです。配属された静岡製作所には過去にも1人、女性の総合職の方がいたのですが、製造部で実際にモノづくりに携わることになったのは私が初めてでした。研修時も同期の男性社員が「技術研修生」という肩書だったのに対し、私は「技術見習生」。それが翌年から統合されるという時期に当たります。

初めて社会人になったわけですから、自分自身は何も意識していなかったものの、当時の会社側からすると「女性をどう製造部で働かせればいいのか」と考えたようです。執務の女性社員がしているお茶くみやお弁当の準備、お掃除を私にもやらせるべきかどうか、内部では考えていましたね。

翌年以降になると、別の部署に総合職の女性が配属される度に「そっちでは掃除やお茶くみはどうしているんだ」と問い合わせがきたり、東京で泊りの研修を受けようとしたら「毎日帰って来い」と言われたり。

今からすれば滑稽な話ですけれど、女性をどう社内で活用するかという以前に、総合職の社員としてどんな風に扱えばいいのかが、そもそも会社側にも分からなかった時代だったんです。

好きなことじゃないと苦労できない

静岡製作所が主に担っているのは、冷蔵庫とエアコンの製造販売です。商品企画から営業販売、マーケティングまですべての部署がそろっていて、私は技術部門の仕事を23年間にわたって担当してきました。

冷蔵庫の製造部門を希望したのは、どうせ働くなら自分にとって身近な製品に携わりたいと思ったからでした。私は東京女子大学の数理学科にいたので、友達の多くはシステムエンジニアになっていきました。でも、仕事って好きなことじゃないと苦労できないですよね。機械についてはほとんど分からなかったけれど、私は食べることも好きだし、身近な冷蔵庫を作る仕事だったら学ぶことに努力を払えるだろう、と考えました。

実際に製作所に配属されてしばらくは、職場の環境に慣れるのに苦労しました。工場って一度出社すると上司の許可なしには外に出られないんです。出勤時間にはものすごい数の人たちが、静岡駅から「団体バス」と呼ばれる直通バスにすし詰め状態で出社していきます。

想像していたOL生活とはまるで別世界

制服を着てヘルメットを被り、男の人たちと一緒に安全靴をはいて冷蔵庫の下を這いずり回る毎日。お昼休みに工場内の唯一の売店で買った棒アイスを食べていると、学生時代に想像していたOLの世界とのあまりのギャップに愕然としたものです(笑)。

それに何しろ総合職の女性社員が全くいない職場です。周りも最初は「彼女はどれくらい仕事ができるんだろう」という感じで、1年間くらいはなかなか仕事が与えられませんでした。同期の男性は「この人の後継のポジションだな」と社内でのキャリアのルートが何となく見えているのに対して、私にはそれがないわけです。

そうした状況が変わり始めたのは、あるとき冷蔵庫の野菜室に急遽新たな機能を追加することが決まったことがきっかけでした。急な開発だったので、手が空いていた私に仕事が回ってきたんですね。そのときに先輩たちと実験を行ない、文献を調べて自分なりに報告書をまとめるうちに、1人の開発者として認められていったように感じました。男女に限らず、仕事というのは結果を出すことで勝ち取っていくものなんだ、と思いました。

平岡利枝(ひらおか・としえ)
1962年静岡県生まれ。85年、東京女子大学文理学部卒業後、三菱電機入社。静岡製作所冷蔵庫製造部技術課へ配属。2004年、冷蔵庫製造部先行開発グループマネージャー。08年より現職。切れちゃう冷凍、ビタミン増量冷蔵庫、瞬冷凍などのヒット商品を開発。「日経WOMAN」誌主宰「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」ヒットメーカー部門2位、総合ランキング9位。4月から副センター長への就任が決まっている。