高層階の1LDKは家賃が35万円
2026年9月17日、東急沿線自由が丘駅から徒歩1分の好立地に、「自由が丘ミューズスクエア(JIYUGAOKA MUSE SQUARE)」がオープンした。
ミューズスクエアは地権者らが約13年かけた再開発プロジェクトで、15階建ての商業・レジデンスの複合ビルがオープンした形だ。地下1階には明治屋が入り、1階には「自由が丘 モンブラン」など地元の有名店が入居する。5階には「探究学舎」や「伸芽会」などの塾も入り、子育て世帯にアピールする。
気になる高層階のレジデンスの家賃は、1LDKで35万円程度、3LDKで65万円から。SUUMO副編集長の江原亜弥美氏は「いろいろなライフステージにある富裕層を狙っているのでは」とみる。ハイエンド層に訴求しているのだ。
大宮、船橋に押されて沈没の危機感
自由が丘といえば「路面店が多い」「雑多な街並みに、おしゃれなカフェ・アパレル・雑貨店がある」「全国区の有名スイーツ店が並ぶ」「邸宅がたくさんある」というように、富裕でおしゃれな本格志向の街として知られているが、なぜ今回、再開発に踏み切ったのだろうか。
再開発の旗を振った自由が丘一丁目29番地区市街地再開発組合理事長の岡田一弥氏は「街が相対的に沈没してしまうのではないか」という危機感があった、とプレスリリースで語っている。

それもそのはずだろう。首都圏在住者約9000人が回答する「SUUMO住みたい街ランキング(首都圏版)」では、自由が丘は2018年に13位につけていたが、2026年版では「37位」。大宮や船橋などの主要ターミナル駅が軒並み順位を伸ばす中、大きく順位を落としてしまった格好だ。
かつて「憧れの街」として高い支持を集めた自由が丘は、なぜ「住みたい街」のランキングでここまで順位を落としてしまったのだろうか。
カフェ巡りの「有閑マダム」がいなくなった
神奈川大学経済学部教授で商店街の研究を続ける寺嶋正尚氏は、かつての自由が丘人気を支えていた、経済的・文化的に豊かな顧客層が少なくなったのではないか、という仮説を立てる。
「自由が丘に最も活気があった90年代、街の人気を牽引していたのは、30〜50代の専業主婦だったと考えられる。トレンドに敏感で、茶道などのお稽古事にも精を出し、家計の消費をリードする層だ。お稽古事の帰りに、モンブランでケーキを食べたり、カスタネットでスパゲッティを食べたり……。幼稚園受験や小学校受験の塾に子供を連れて来て、そのすき間時間にブティックやカフェで時間をつぶすというケースもあった。総じて、これらの専業主婦層は時間にもお金にも余裕があったと言える」(寺嶋氏)
確かに、近年は共働き世帯が一般化したことに加え、いわゆる「有閑マダム」と形容できるような余裕のある生活スタイルは、庶民には程遠いものになった印象がある。
「実際、全国で茶道・華道の人口が激減している。かつて自由が丘の人気を支えていたような、時間にもお金にも余裕がある専業主婦層が、街の消費を支えるほどのボリュームゾーンではなくなっているのではないか」(寺嶋氏)
中目黒、代官山も人気が下降
SUUMO副編集長の江原氏も、近年の「人気の街」は、かなり現実的な予算感の中で動いている、と分析する。
「大宮(2026年2位)や船橋(12位)、立川(17位)など、近年ランクアップした地域は、軒並み大きなターミナル駅を持っている。逆に、自由が丘や中目黒、代官山といった私鉄沿線のおしゃれな街は相対的に順位が下がっている。一番の要因は、やはり住宅費の急騰。かつては『頑張れば住める“憧れの街”』と捉えられていた自由が丘も、今や限られた富裕層を除けば手が出せる状況ではない。一方、郊外の主要駅は再開発でより便利になり、住宅費もまだ現実的であることから、『住む街』の人気が分散しているといえる」(江原氏)
SUUMOのランキングはあくまで相対的なものであり、他の街の順位が上がれば、当然これまで高順位をキープしていた街の順位は下がってしまう。
江原氏が「代官山や中目黒と同様、自由が丘も『おしゃれで遊びに行って楽しい街』としては非常に人気が高いが、住む街として考えると、高嶺の花になりつつある」と分析するように、近年の「住みたい街」という尺度には、“予算内で実現するかどうか”の重要度が高まっている、といえそうだ。
高年収世帯は自由が丘を選ぶのか?
仮に、中流層が自由が丘を「住みたい街」として認識できないほど経済的な格差が広がっているとして、富裕層にとっての「遊びに行って楽しい街」「おしゃれな街」としてのプレゼンスを維持していくことは可能なのだろうか。
実際、自由が丘といえば路面店が多く、有名アパレル・雑貨店も軒を連ねるし、世界的に有名なスイーツ店も存在する。相対的に見れば、これらの有名店が販売する商品の価格はお高めなわけだが、今の高年収層にとっても、これらの店を歩く楽しさを街として訴求できているのだろうか。
江原氏は、「自由が丘の絶対的な人気が落ちた」という表現は正しくない、いまだに一定層には人気だ、と断った上で、富裕層が買い物に求める体験そのものが変化してきている、と分析する。
「共働き世帯が増加し、買い物におけるタイパ意識が強まってきている。2000年代から、豊洲などの湾岸エリアや六本木・虎ノ門など、都心の各所でタワーマンションの建設ラッシュが続いた。これらのエリアのタワマンに住む住民にとっては、『(住処の近くにある)1つのビルの中で、あらゆる目的の買い物が完結する』という買い物体験が非常に魅力的だ」
「共働きが多い現役世代にとって、時間はお金と同じくらい重要。特に、仕事と育児に追われる子育て層にとって、貴重な休日に路面店をいくつも歩き回るより、買い物の目的を最短で達成できる方が合理的。さらに、子どもが遊べる広場や室内の遊戯施設があれば、急な雨にも対応しやすく親としてはありがたい」(江原氏)
確かに、自由が丘には、子どもが遊べるスペースがあって、ドラッグストアがあって、雑貨屋があって、食品スーパーがあって……という施設は少ない。路面店が売りの地域だし、それが故に今回、ビル内で買い物が完結できるミューズスクエアを開業した、という経緯もあるだろう。
世帯年収2000万円超でもファストファッション
それに付け加え、江原氏は今の高年収層に特徴的なのは、買い物行動そのものも、一般的な家庭と同じような動向を示している、と指摘する。
「世帯年収2000万円を超え、港区に住むような現役世代も、食品は低価格を打ち出すスーパーで買うし、ECサイトのポイントも貯める。子どもの衣服もファストファッションだ。異なる点があるとすれば、ワンポイントで豊かな消費をすること。旅行の際に高いホテルを選ぶとか、特別な日には子どもにブランドものの可愛い服を着せてあげようとか。地に足をつけながら、ここぞというときに惜しみなくお金を使う、ということだ」(江原氏)
今の富裕層に「私は富裕層である、ゆえに文化的にステータスの高い消費行動しか取らない」という自意識はほとんどないということなのだろう。かつて自由が丘を支えていた有閑マダムのような消費様式は、普段着としてユニクロを重宝する現代の高年収世帯にとって必ずしも理想とは映らないのかもしれない。
ミューズスクエア開業の本当の狙いは…
では、消費者が街に求めるものそのものが変化したいま、ミューズスクエアの開業によって、自由が丘はかつての賑わいを取り戻すことができるのだろうか。
寺嶋氏の見方は、意外にも慎重だ。
「二子玉川や武蔵小杉など、近隣のライバルの存在は手強く、買い物客そのものが大幅に流入してくるかどうかは現時点では分からない」
一方で、寺嶋氏が注目するのは、今回の再開発で自由が丘の住宅地としての魅力が向上していくという未来だ。
「ミューズスクエアのような高級レジデンスができると、その周辺の不動産にも注目が集まる。第一、ミューズスクエアに『叙々苑』や『明治屋』のような富裕層を狙ったお店が入居していることを考えると、ブランド価値向上を狙っているのは明白だ。さらに、自由が丘では今後も再開発が計画されており、もともと建物の高さの規制関係で新築着工が難しかったところを、改善していく流れも考えられる」(寺嶋氏)
学習塾の自由が丘校はレベルが高い
江原氏も、自由が丘の「住む場所」としての地位は盤石であり、依然として人気が高い、と見る。
「自由が丘の不動産価格は全く落ちておらず、いまだに人気のエリアであることは間違いない。ただ、他の再開発エリアのように、大規模な新築マンションや一戸建ての分譲地がほとんどなく、『住みたくても住めなかった』。そういう意味では、ミューズスクエアに170戸のレジデンスを入れたという戦略は、街の成長力向上につながると考えている」(江原氏)
加えて、寺嶋氏は自由が丘が富裕層のニーズに応えられている要素がある点を指摘する。
「治安が非常に良いことは富裕層にとって明確なプラスだろう。さらに、子どもの教育にも力を入れている街だ。自由が丘には日能研やSAPIXなどの塾も多いが、聞くところによると、これらの塾の中でも、自由が丘校は相当にレベルの高い子どもたちが集まっているとか」(寺嶋氏)
「大衆の憧れ」を目指す必要はない
江原氏は、自由が丘がかつてのような、大衆向けの「憧れの街」というイメージを追い求めるよりも、現在の住民の満足度を引き上げていくような街づくりを目指していくべきだと主張する。
「SUUMOのランキングで近年順位をあげている、立川や船橋などのエリアは、商業施設を含め、相当大規模な再開発をしている。それと比較すると、ミューズスクエアの規模自体は控え目かもしれない。ただ、街の住民が本当に求めるライフスタイルが提供され、住民同士のつながりや安心感が醸成されれば、自由が丘らしい発展が期待できると感じている」(江原氏)
SUUMOの「住みたい街」の順位に一喜一憂せずとも、住民にとっての自由が丘のブランド価値は、依然として高いものがあるということだろう。しかし、顧客ニーズの変化を先回りする形で、高層マンションや大規模な商業ビルを建設し続けていけば、近隣の二子玉川や武蔵小杉との差別化がますます難しくなるし、そもそも街が持っていた個性がなくなってしまう。一方で、このまま低層住宅や路面店の価値を訴求し続けていても、現代のトレンドから孤立してしまう可能性がある。
自由が丘は、マスからの支持をある程度諦めて、富裕層が住む街として地価を上げていく方向に進むのか。それとも、商業地としての魅力を引き上げ、かつてのように大衆が憧れる消費文化の発信地としての地位を取り戻すのか。
ミューズスクエアの開業は、その試金石なのかもしれない。