※本稿は、水上克朗『56歳で崖落ち。そこから資産を「1億円」に増やしたFPが教える 老後破産しない選択』(オレンジページ)の一部を再編集したものです。
突如現れた老後の「固定費地獄」
「あと5年でこのマンションのローンも終わるな……」
柴崎幸彦さんはいつものようにロビーで管理人さんに挨拶をされた後、仕事先に向かいながら感慨深げにつぶやいていました。
中小の製麺会社で35年勤め上げ、ようやく迎える定年でした。
柴崎さんが都内に夢の分譲マンションを購入したのは、ちょうど30年前の30歳の時です。やっと貯めた400万円を頭金にして、35年のローンを組んだのです。
本来は65歳で完済予定でしたが、60歳で受け取る退職金で残りの住宅ローンを一括返済してしまえば、老後は悠々自適だろうと漠然と考えていました。
年金生活が始まる65歳以降は住居費もかからず、夫婦ふたりで穏やかに暮らしていこう。それが柴崎さんの描いていた老後の設計図でした。
妻の急死の次に、退職金大幅減
ところが3年前に妻の美智子さんはくも膜下出血を起こし、あっという間に旅立ってしまったのです。
しばらく柴崎さんは呆然自失状態でした。当時54歳だった妻の美智子さんとは長年のふたり暮らし。子どもはいませんでした。だからこそ、「老後の安心を確保しておきたい」と、無理のない返済計画を立ててきたつもりでした。
しかしその計画は、会社の急激な業績悪化によってあっけなく崩れ去ります。
長年メインだった取引先が、コンビニやスーパーのプライベートブランド商品に切り替えた上に、円安による原価コスト増といったことが重なりました。資金やキャッシュフローに余裕のない中小企業にとって、大口取引先がなくなることは死活問題です。
そうしたタイミングでの退職となり、退職金は想定していたものより大幅の減額になってしまいました。
一方人手不足でもあった会社には、引き続き再雇用として働くことになりましたが、勤務時間も減り、社会保険の加入対象からも外れ、給与も社員時代の3分の1になってしまいました。
ローンが終わっても支払いは終わらない
柴崎さんはその時、初めて気づきました。
「このマンションとの支払いの付き合いは、まだ終わっていない」という現実に。
定年後の生活が始まって数カ月後、柴崎さんは毎月の支出を見て不安を覚えました。
「こんなに出ていくのか……?」
柴崎さんは、ローンが終わっても支払いは終わらないという現実に、初めて気づいたのです。住宅ローンの返済は予定通りですが、問題はその周辺にありました。
管理費、修繕積立金、駐車場代。それらを合計すると、毎月およそ5万円の固定費になります。そして追い打ちをかけるように、ある日管理組合から通知が届いたのです。
「大規模修繕に伴い、修繕積立金が月額1万5000円へ増額となります」
一時金30万円ご負担のお願い
さらに別紙が入っており、そこには「一時金として30万円ご負担のお願い」という文字がありました。
加えて年に一度、固定資産税の納付がやってきます。
「これじゃあ、賃貸と変わらないじゃないか……」
柴崎さんは思わず恨み言を漏らしていました。むしろいつ修繕費が上がるか、臨時徴収があるかなど、不確実性を考えると、賃貸よりもコントロールしにくい側面すらあります。
そして何より重いのが、65歳まであと5年、年金が出ないという現実。
収入は激減。しかし支出は減らないどころか、むしろ増えていく……。
「いっそ売るか……」
ある晩柴崎さんは美智子さんの遺影を前にしながら、そんな風にひとり言をつぶやいていました。
部屋の中を見渡せば、美智子さんと長年暮らした思い出がいたる所に残っています。部屋を出て行くことは、美智子さんとの思い出を捨てることのようにも感じていました。
「それに一体、この歳でどこに住むのか……?」
いっそ売却しても手元に残る資金はわずか
住んでいたマンションは築30年を迎え、設備の老朽化も目立ち始めていました。
周辺には新築物件も増え、資産価値は購入時よりかなり下落しています。
売却価格からローンの残債や諸費用を差し引くと、手元に残る資金はわずかになってしまいます。
その資金で、新たな住まいを確保するのはとても難しいことが予想されました。
仮に賃貸に移るにしても、60代非正規雇用の世帯主に対する審査は厳しい。
つまり物件は、「出ることもできないマンション」になっていたのです。そして、同時に「住み続けるしかないマンション」でもありました。
柴崎さんは愕然としました。
かつては「安心を買った」はずの住まいが、今は「逃げ場のない固定費の箱」になってしまっていました。
住宅は“資産”ではなく“契約”である
柴崎さんが私の「お金の悩み相談」に来られたのは、その頃でした。
私が家計を「見える化」してみると、状況は明確でした。
・住宅ローン残債/火災保険/地震保険
・管理費、修繕積立金(将来増額含む)
・固定資産税
・生活費
これらを合算すると、年金支給までの5年間で、600万円規模の赤字が見込まれました。
「マンションって、買ったら終わりじゃないんですね……」
柴崎さんは数字を見つめながら、ポツリと言いました。
住宅は“買ってからが契約の始まり”です。ローンが終わっても、管理費・修繕積立金・税金といった支払いが一生続く“固定費”です。
当たり前ですが、マンションは購入してからローンを始めとした支払い義務が発生します。
ところが老後においては、一般的に収入の減っていく可能性が高くなります。だからこそ、住宅は「安心」ではなく、「長期の固定費契約」として捉える必要があるのです。
崩れた家計の立て直し方
まず、崩れた家計は「順番」で立て直す必要があります。
老後の家計再建で最も重要なのは、感情ではなく構造から手をつけること。私は最初に、次の3つに分解して整理しました。
①今すぐ止血すべき支出
②5年以内に確実に発生する支出
③収入の下支えとなる資産
この順番で見直すことで、「何から手をつけるべきか」が明確になります。
住宅コストを分解し、ローンを含め、管理費、修繕積立金、駐車場代、固定資産税といった一つひとつを見直しました。
これらは全て、削減余地のある変動可能な「固定費」です。
変えられないと思われがちな「固定費」ですが、実は選択によって変えられる余地が多く存在するものです。
年金が出るまでの5年間をどうするか
さらに年金が出るまでの5年間をどう設計するか。
今回の最大の問題は、65歳までの家計収支の赤字でした。ここを乗り切れれば、年金という下支えが入ってきます。つまり対策は明確です。
「5年間をどうやって耐えるか」
私は次の3つの柱で再設計を行いました。
①支出の圧縮(固定費の見直し)
②一次的な資金の取り崩し(退職金の再配分)
③収入の補強(副収入・就労継続)
柴崎さんには、感情的な面と生活面での環境の変化に、覚悟をしてもらう必要がありました。
思い出がたくさん残る部屋だったかもしれませんが、柴崎さんご自身の生活が破綻することは、奥様も望まなかったはずです。
まずは車と月々の駐車場代を見直し、奥様との思い出の部屋をそのまま空き部屋にしておかず、収入の補強に転換できないかを考えてもらいました。
つまりローン返済という負債となっていた資産を、少しでも収益を生むプラスの資産に転換できないかという考え方です。
しばらくすると柴崎さんは、会社の独身若手社員に自宅の空き部屋を月4万5000円で貸すというアイデアを思いつきました。
家賃の値上げに悩んでいた若手社員は、大喜びでその話に乗ってくれたそうです。
収入の補強もできて、その後柴崎さんは赤字家計を改善し、5年間を乗り切るメドも立ったのです。
子か孫ほども年の離れた社員との共同生活ですが、柴崎さんは寂しかった老後人生に不思議な張り合いのような感情も芽生えてきたとおっしゃっていました。
崖落ちパターンに共通すること
家計再建の場面で、必ず出てくる選択があります。
それは――
「今の生活水準を守るか」
「将来の破綻を防ぐか」
という問題です。
柴崎さんもこの例に漏れませんでした。
美智子さんとの思い出がたっぷり詰まったマンションや環境、習慣へのこだわり。確かにそれらは、決して否定できるものではありません。
しかし現実問題として、それが柴崎さんの生活を圧迫していたことも事実です。
そして何より、
「このままでは破綻するかもしれない」
という不安から解放されたことが、精神的に大きな支えとなりました。
さまざまな崖落ちパターンに共通するのは、世間や誰かの価値観に振り回されている人々の姿です。
「今の生活水準を守らなければ」という価値観も、自分自身ではなく、周囲や世間の視点を意識したこだわりにすぎません。
そこから解放されることこそ、幸福な人生の第一歩ではないでしょうか。
住宅の問題は、突然破綻するのではなく、ゆっくりと逃げ道を塞いでいきます。
だからこそ必要なのは、
「まだ大丈夫なうちに動くこと」
これに尽きます。
「動けるうちに動いた人だけが、老後を守れる」のです。
これは、私がこれまで見てきた多くの相談者に共通する現実です。
【柴崎さんの「崖落ちポイント」】
① 住宅ローンの完済=住居費ゼロと考えていた
・管理費や修繕積立金、税金といった継続コストを軽視していた。
② 会社の存続と退職金や再雇用収入を楽観視していた
・企業業績による、退職金の減額や雇用条件のリスクを織り込んでいなかった。
③ マンションの出口戦略を持っていなかった
・売却か賃貸かといった選択肢が現実的に取れない状況に陥ってしまった。
