プーチンからの指名手配、トランプ政権からの制裁措置を受けた国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長。著書『戦争犯罪と闘う』(文春新書)の中では、東大を出て検察官となり、ICC裁判官に推薦された経緯を明かし、「そのときの私は、どれほど過酷な日々が待ち受けているのかを、まだ知らなかった」と語っている――。
国際刑事裁判所の建物
写真=iStock.com/LIVINUS
オランダ・ハーグ市のICCオフィス

日本の検察官からICCの裁判官に

国際刑事裁判所(ICC)の裁判官になってからの月日は、まさに試練の連続でした。本音を言うと、こんなに大変だと事前にわかっていたら、立候補しなかったかもしれません(そうは言っても、この先に何があるんだろうという好奇心のほうが先に立って、やっぱり立候補していたかもしれません。未知のことに対して、好奇心が強いために、自分の行く末についてもやや無謀な決断をしてしまうことがあるのは、昔も今も変わりませんから)。

就任からほどなくアフガニスタンの事態をめぐる騒動を経験し、新型コロナウイルスの流行に見舞われ、ロシアのウクライナ侵攻、パレスチナのガザ地区での戦闘にまつわる戦争犯罪に対峙することとなり、さらにアメリカの制裁による存亡の危機に直面……。次々と困難な出来事が起きて、年を追うごとに忙しく、また心理的な負担も大きくなっていったように思います。

私は日本で検察官を長く務めていました。ICCの裁判官に立候補したきっかけは、政府の方針にもとづいた上層部からの強い勧誘です。2016年、法務省の法務総合研究所の所長だった私は、本省の上司に呼び出され、「ICCの裁判官選挙に出馬してほしいが、どうか?」との打診を受けました。

私に白羽の矢が立った理由はいろいろあったようです。2007年にICCへ加わって以来、日本からは外務省出身の方が連続して裁判官に就任していました。ICCが扱う事件が年々増えていたこともあり、今回は捜査や裁判の経験のある刑事実務法曹から選びたいという事情があったのかもしれません。また、ICCでは、そのころちょうど男性の裁判官の比率が高くなっていて、女性のほうが当選しやすいという事情による判断もあったらしい。

「英語とフランス語で仕事」という不安要素

法務省の中で、私はいちおう英語が使えて、海外の事情をある程度知っている人間と見られていたようでした。アメリカに留学したことがあって、外国の人たちと関わる仕事も経験していたからです。

確かに私は、法務総合研究所で東南アジアを中心とする国々の法整備支援に携わっていたことや、国連アジア極東犯罪防止研修所という国連の地域研修所の教官を務めていたこともあります。そうはいっても、あくまでも国内での勤務経験だけです。必要に応じてときどき英語を使っていただけで、基本的にはほぼ日本人ばかりの職場で日本語を使って仕事をしてきました。そんな人間が、すべて英語、ときにはフランス語まで使う必要のある環境にいきなり飛び込んで大丈夫なのか。国際的な刑事司法分野にも詳しいわけではないし、はっきり言って不安でした。しかも任期は9年。あまりにも長い。私はすぐに「はい」とは答えられませんでした。

法務省の上司に強く推され、引き受けた

すると、私の上司はこう言いました。

「今回、誰かが引き受けなければ、法務省からは二度とICCに人を送り出すことができないかもしれない。あなたが行ってくれれば、若い世代があとに続いてくれるはずだ。そのためにも引き受けてもらえないか」

そんなふうに言われると断りにくい。迷った末、私は腹を決めました。検察官を務めてきた自分だからこそ貢献できることもあるかもしれない。ならば、引き受けてみようと。そのときの私は、どれほど過酷な日々が待ち受けているのかを、まだ知りませんでした。

トップ当選するも、不安は拭えず

内閣の承認を受けて、私は正式にICCの裁判官選挙に立候補することになりました。

ICCの裁判官は、出馬した候補者の中から、締約国の投票によって選ばれます。全部で18人いる裁判官のうち、6人ずつ、3年おきに改選されていく。各国の代表が集まる「締約国会議」の際に選挙を行うことになっています。

ここで「締約国」という言葉について説明をしておきたいと思います。ICCは、裁判所の構成、管轄犯罪、手続などを規定した「ローマ規程」という国際条約を締約した国によって構成されています。したがって、メンバー国は締約国と呼ばれる。メディアなどでは「ICC加盟国」という呼称が使われる場合もあります。

【図表1】ICCの締約国(125カ国・地域)
出典=『戦争犯罪と闘う』、地図の赤色が締約国、2026年10月現在

2017年12月、ICCの締約国会議開催地のアメリカ・ニューヨークで、私も投開票を見守りました。有効票全体の3分の2以上の票を獲得しなければならないので、1回目の投票では簡単に決まらないと聞いていたのですが、蓋を開けてみれば1回目で有効票109票のうち88票を獲得してトップ当選。国際社会の日本に対する信頼の高さを実感するとともに、「こんなに簡単に決まっちゃうの?」と困惑もしました。同時に、「本当に私にできるだろうか」と当選の喜びよりも不安が押し寄せてきたのを覚えています。ちなみにこのときの裁判官選挙は、6名全員が決まるまでに、3日間、9回の投票を要しました。

2018年当時、ICCは知られていなかった

当時、日本国内でのICCに対する関心はかなり低かったと思います。メディア関係者からは、「アフリカのことばかりやっているところでしょう?」と言われることが多かった。設立からしばらくの間、アフリカでの事件を扱うことが多かったからです。

当選したあと、私のところへ取材に来てくれたのは産経新聞の記者ただ1人だけでした。その方は「赤根さんの記憶に残る、記念になるような記事を書きます」と言ってくれて、嬉しかった。記事は額に入れて日本の自宅に飾ってあります。先行きについては心配だらけでしたが、このように応援してくださる方もいることだし、まずは頑張ってみようと思いました。

インタビューに答える赤根智子さん
写真提供=文藝春秋
2025年、インタビューに答える赤根智子さん、東京都千代田区の文藝春秋社

慣れない環境でゼロからのスタート

2018年3月、オランダのハーグに赴いた私は、ICCの予審第二部という部署に配属されます。

予審は日本にはない制度なので、戸惑う読者の方もいるかもしれません。予審は、日本で言うところの「起訴まで」を扱います。まず、検察官から「○○の事件を捜査したい」と許可を求められたときは、その可否を判断する。逮捕状の請求があった際には、実際に発付するかどうかを判断する。被疑者が逮捕されるなどして裁判所に出頭すれば、公判にかけるか否かを判断することになります。予審が「○○の事件は△△を被告人として公判を行うべきだ」と結論を出すと、これが日本の起訴に相当するものになるわけです。そのあとの公判は、第一審部の裁判官が担当します(ICCの裁判は、第一審、上訴審の二審制)。

私自身、予審というものに馴染みがなかったので、最初はどのように仕事を進めればいいのかわからなかった。まずは事務方の職員から読むようにと手渡された資料に目を通すことからスタートしました。

フランス語は通訳してもらうしかなかった

仕事の進め方も、他人との関わり方も日本とは全然違うし、言葉はうまく通じないし、毎日ヘトヘトでした。「日々奮闘」なんてかっこいい言葉で形容できる状態ではなくて、やれることをやるだけというか、目の前の仕事を何とか片づけているだけ。英語で喋らなくてはいけない場面も当然出てきますが、下手だから喋りたくないし、「どうしよう?」と慌てるばかり。それでも、事件に関して疑問点や意見があれば言わなくてはならないので、文書にして伝えたりしていました。フランス語が使われる場面では、職員にお願いをして翻訳してもらうしかなくて、そんなところも歯痒かった。

周りからは「判事」と声をかけられて、いちいち尊敬の意を示されるのですが、それに余裕をもって応対する気力もなくて、家に辿り着くたびに、「ああ、今日も何とか終わった」とため息をつく日々でした。

ロシアから指名手配された同僚との結束

慣れない環境の中で、心の支えになったのは、予審第二部の同僚の存在です。当時の第二部は、イタリア出身のロザリオ・サルヴァトーレ・アイタラ判事、コンゴ民主共和国出身のアントワーヌ・ケシア─ムベ・ミンドゥア判事と私の3人で構成されていて、特にアイタラ判事とは最初からとても気が合いました。

彼は私と同じ検事出身で、マフィアやテロリストに命を狙われた経験も度々。同僚の検事や仲間の判事が何人もマフィアに殺害されたという彼は「検事魂」みたいなものを持っていて、元検事同士という点で、すごく通じ合うものがあった。イタリアはいわゆる大陸法系の法体系を持つ国で、日本と似ているので話が通じやすいし、彼はローマ規程にも詳しかったので、いろいろ教えてもらうことができました。同僚2人とコミュニケーションを深める中で、私もだんだん自信をつけていったように思います。ちなみに、アイタラ判事と私は、のちにロシアのウラジーミル・プーチン大統領らへの逮捕状を発付する決定を下し、ともにロシアから指名手配されることになります。

ロシア・プーチン大統領
ロシア・プーチン大統領の写真、2026年2月23日(写真=kremlin.ru/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

裁判官たちの自己主張は“強め”

赤根智子『戦争犯罪と闘う』(文春新書)
赤根智子『戦争犯罪と闘う』(文春新書)

ICCで働き始めて、つくづく実感させられたのは、「日本人には想像もつかないようなタイプの人が世界にはたくさんいる」ということです。驚くほど自己主張の強い人が大勢いますし、ものの考え方も本当に様々で、裁判官の意見をまとめるのは容易ではない。

出身地域だけでなく、法律家としてのバックボーンも多様で、私のように国内で裁判官、検察官といった刑事実務家としての仕事をしてきた人間もいれば、ずっと国際舞台で国際機関の職員、国際裁判所の判事や職員、あるいは外交官として活躍してきた人もいるし、国際法などの学者さんもいる。共通の基盤がまるでないという難しさがあります。

自分なりの意見を持ち、粘り強く話し合う

いろいろな意見がぶつかり合う中で、いかに物事を前に進めていくか。これといった解決策はないように思います。私が心がけてきたのは、とにかく自分自身で納得がいくまで事件記録や証拠を読み込み、必要な理論もその都度勉強して自分なりの結論を出した上で議論に臨むこと。そして時間をかけて話し合うこと。何度も何度も話し合って、時が解決してくれるのを待つとでも言えばいいのか。口頭の議論でうまくいかないときは、書面をつくって丁寧に説明することもありました。こうした私の姿勢は、周囲から「粘り強い」と評価されるようになっていきました。