10月10日から11日には天皇、皇后両陛下が、12日から13日には愛子さまが青森県を訪問された。皇室研究家で神道学者の高森明勅さんは「青森県の宮下宗一郎県知事は、天皇皇后両陛下に続いて青森県を訪れた愛子さまに接し『両陛下と本当に同じように振る舞っていらっしゃる』と述べている。次代の天皇は『両陛下と本当に同じように振る舞っていらっしゃる』皇族が即位されることこそ最も望ましい。それが皇位が“世襲”であるべき本来の趣旨のはずだ」という――。
天皇皇后陛下並びに愛子内親王陛下
天皇皇后陛下並びに愛子内親王陛下(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

天皇ご一家が相次いで青森県ご訪問

10月10日から13日にかけては、青森県にとって特別な4日間になった。同県で開催の第80回国民スポーツ大会・第25回全国障害者スポーツ大会「青の煌きらめき あおもり国スポ」のために、天皇皇后両陛下ならびに敬宮としのみや(愛子内親王)殿下が、立て続けにお出ましになったのだ。

両陛下の場合は、毎年恒例のいわゆる「4大行幸啓ぎょうこうけい」の一環だ。

昭和時代は、天皇皇后両陛下がおそろいで国内各地にお出ましになる恒例の行事は、「国民体育大会」(今の国民スポーツ大会)と「全国植樹祭」の2大行幸啓だった。平成になると「全国豊かな海づくり大会」が加わり、3大行幸啓になった。

令和ではさらに「国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭」も追加された。そのため、今は4大行幸啓になっている。

このたび、両陛下ならびに敬宮殿下が青森県を訪れられた時の県民の大歓迎ぶりは、目を見張るものがあった。

両陛下は「青」の装い

10月10日、天皇皇后両陛下が青森空港にご到着。地元の人たちが大勢つめかけ、歓声をあげてお迎えした。

県側の調べでは初日、空港と沿道などにつめかけた奉迎者の数は、合計で何と1万2897人にも達したという。

両陛下はこの日、新青森県総合運動公園総合体育館(マエダアリーナ)での総合開会式にご臨席になり、天皇陛下がおことばを述べられた。

天皇陛下はスカイブルーのネクタイにネイビーのスーツスタイル。皇后陛下はブルーに白のトリミングの効いたジャケット。お帽子も洋服に合わせた配色だった。明らかに大会の愛称にある「“青”の煌めき」に配慮された装いだ。

今回の大会に寄り添うお気持ちを、目に見える形で表現されていた。愛称の“青”はもちろん、主催県の県名「“青”森」にちなむものだろう。

知事「『みんな集合!』と言いたい」

両陛下は2日目、青森市総合体育館(カクヒログループスーパーアリーナ)で国民スポーツ大会の卓球競技をご観戦になり、青森市文化観光交流施設「ねぶたの家 ワ・ラッセ」では迫力のあるねぶたをご覧になった。

ちなみに、2日目のお召し物は薄いグリーンでコーディネートされていた。こちらは、青森という県名に含まれる“森”をイメージされていたのかもしれない。

2日間にわたる地元の奉迎者、奉送者は延べ2万7397人だった。これは驚異的な数字だろう。

沿道で両陛下をお迎えした1人がこのような感想を述べていた。

「やっぱり、この感動のためだったら並べる、待てるって、思って。これから自分も力がつくような感じで、すごく感動しました」と。

沿道に早くからつめかけ、両陛下を待ち続けた多くの人たちに共通した気持ちだろう。

宮下宗一郎知事は9月18日の記者会見で、敬宮殿下が青森県にお出ましになる予定を発表した。この時、宮下氏は終始笑顔で、いかにも嬉しそうだった。

記者から「愛子さまの初めての青森ご訪問に際して、県民へのメッセージはありますか?」という質問があった。これに対して「『みんな集合!』と言いたいですよね」と答えていた。

“青”でバトンを受け取った愛子さま

敬宮殿下は両陛下からバトンを受け取るように10月12日、三沢空港にお着きになった。両陛下のご日程にすき間なくつながるスケジュールは珍しい。

敬宮殿下のお召し物は、やはり“青”のパンツスーツ。両陛下と同様、愛称「“青”の煌めき」を踏まえた大会へのリスペクトが感じられた。

翌日のお召し物は、深いグリーン(フォレストグリーン)のワンピースとボレロ。この深いグリーンの装いについては、県名の青森の“森”への配慮を想像する声もあった。しかし直接には、青森県の「県章」の色が同じ深いグリーンだから、その色に合わせられたのだろう。殿下の事前勉強の一端を察することができる。

いずれにしても、初日が“青”で翌日が“森”(フォレストグリーン)というコーディネートは、現地「青森」への素敵なオマージュに違いない。

青森の「愛子さまフィーバー」

敬宮殿下への県民の歓迎ぶりもすごかった。宮下知事は、初日のX投稿で、その様子を「愛子様フィーバー」と表現していた。

「各地で“愛子様フィーバー”と言っていい熱狂ぶりでした。『あいこさまぁー』『キャー』『カワイイィー』が行く先々で響いていました」と。

初日の空港や沿道などでの奉迎者は県警発表の速報値で1万8336人。これは両陛下の初日をも上回る人数だった。

宮下氏はさらに次のようなX投稿をしていた。

「この数字は警察警備が入った部分の人数であり、青森県らしく農作業中に手を振る人、家から飛び出して呼びかける方、車を停めて写真に収めようとする方、実際はもっと多くの県民の方々に迎えていただいたと思います」

敬宮殿下は三沢市(ホテルグランヒルつたや)で昼食を取られた後、六戸町総合運動公園野球場(メイプルスタジアム)で軟式野球の試合をご覧になった。その後、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館に移られ、ここでかねて天皇陛下から感動を伝えられていた国宝の「合掌土偶」と対面した。

合掌土偶、縄文時代後期
合掌土偶、縄文時代後期(写真=PHGCOM/八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館所蔵/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

天皇陛下が感動した「合掌土偶」

合掌土偶は、敬宮殿下がお生まれになるより前の平成12年(2000年)1月、皇太子として第55回国民体育大会冬季大会にご臨席のため当地を訪れられた際に、鑑賞されていた。敬宮殿下は、その時に陛下が「ものすごく感動した」ことを事前にお聴きになった上で、土偶と対面された。

この土偶は、形だけを見れば高さ19.8センチ幅14.2センチの、小さな人形にすぎない。しかし、その呼び名の通り、正面でしっかりと手(掌)を合わせ、指を組んで、座った状態で両腕を膝の上に乗せている。「祈り」を捧げているように見える。

そんな土偶が八戸市の新井田川右岸に位置する「風張1遺跡」から出土した。今から3500年前頃(縄文時代後期後半)のものとされる。

縄文時代の土偶は各地から多く出土している。しかし、完全な形で出土するのは極めて珍しい。

土偶は普通、捨て場や建物跡の外から出土する例が多い。ところが、この土偶は例外的に、竪穴住居跡の出入り口から向かって奥の壁に寄りかかるように置かれた状態で、見つかった。さらに、割れた部分はアスファルトを使って修復までしていた。

この土偶が大切に扱われていたことが分かる。

26年の時間を超えて共有された感動

合掌土偶がほかの土偶とは区別して大切にされた理由は何か。おそらく合掌の姿と無関係ではないだろう。「祈り」という精神的な営みが当時、すでに重んじられていた事実を伝えているかのようだ。

皇室にとって“祈り”は取り分け重要な意味を持つ。天皇陛下ご自身、合掌土偶をご覧になった26年前の平成時代、すでに皇太子として皇居の宮中三殿の殿内で、皇室の祭祀にご熱心にたずさわっておられた。そのご体験があればこそ、合掌土偶に深い感動を覚えられたのではないだろうか。

そして、ご自身の感動を敬宮殿下に伝えられた。それは、遥かないにしえから受け継がれる「祈り」の尊さを、3500年の時を超えて敬宮殿下にも感じ取ってほしい、という願いからかもしれない。

敬宮殿下は土偶をご覧になって、「時を超えて、見せていただきありがたいです」とおっしゃった。「ありがたい」という言い方をされている。まさに26年の「時を超えて」天皇陛下のご感動を共有されたことだろう。直系だからこそのご体験といえる。

八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館で、国宝「合掌土偶」を鑑賞される天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2026年10月12日、青森県同市[代表撮影]
写真=時事通信フォト
八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館で、国宝「合掌土偶」を鑑賞される天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2026年10月12日、青森県同市[代表撮影]

小学生に「勉強になりました」

翌日はむつ市に入られた。むつ市総合アリーナ(むつマエダアリーナ)で国民スポーツ大会のフェンシング競技をご覧になり、むつ来かさまい館に移られた(来さまい=地元の方言で「来てください」「お越しください」)。

そこでは、地元の関根小学校の児童たち13人から、海洋ゴミの調査や、廃棄物や不要品にデザインやアイデアなど付加価値を加えてもとより価値の高いものに生まれ変わらせる「アップサイクル」などについて、説明を受けておられる。殿下は子どもたちに「素晴らしい発表で私も勉強になりました」とお礼を述べられた。

皇女という身分の方が、小学生から学んだと率直に表明されたことは、異例ではないだろうか。この謙虚な誠実さは、いかにも敬宮殿下らしい。

自然に語られた「国民の象徴」

敬宮殿下をお迎えした地元の人たちの声を紹介しよう。

三沢市(初日)。

「青い服を着てくれてうれしかった」(若い女性)
「神々しいというか、すてきでした」(中年の女性)

むつ市(2日目)。

「かわいくって、国民の象徴って感じ」(赤ちゃんを抱いた若い母親)
「やっぱりね、高貴な方ですね」(初老の女性)

天皇を連想させる「国民の象徴」という表現も、自然に語られていた。

さらに沿道では驚きの光景もあったらしい。敬宮殿下がお車でご移動の際、後ろの車でずっと従っていた宮下知事のX投稿での報告だ。

「(2日目)今日は、車椅子のお婆さんが立ち上がって旗を振る姿まで目にしました。
なんと言うことでしょう」

この老人はよほど興奮されたのだろうか。

宮下氏は投稿を次のように続けた。

「みんな笑顔にみんな元気に。
その力を道中ずっと感じておりました」

敬宮殿下の行く先々では、沿道や施設周辺に多くの人たちが待っている。そこに殿下がお見えになると、みんながパアッと明るい笑顔になり、みんなが元気になる。その光景を目の当たりにして、不思議な「力」を強く感じ続けていたようだ。

この力の秘密の1つは、敬宮殿下ご本人が自らの役割に大きな生き甲斐と喜びを感じておられることだろう。

県民の20人に1人が参加した

2日間で敬宮殿下を奉送迎した人の合計は、じつに2万5548人になったという。両陛下のお出ましにほぼ並ぶほどの人数の多さだ。

青森県の令和8年(2026年)9月1日現在の推計人口は112万1734人。なので、延べ人数ながら、50人に1人以上が奉送迎に加わった計算になる。

両陛下の2日間も加えると5万2945人。県民の20人に1人に近い割合になる。ちょっとあり得ないような数字だ。

宮下知事の「みんな集合!」という呼びかけは空振りに終わらなかった。

お迎えやお見送りのために空港や沿道、お出まし先の周辺に出向いても、長時間お待ちした上で、実際にお姿を拝見できる時間はごく短い。にもかかわらず、テレビやネットが発達した現代に、これだけの人たちが現地までわざわざ足を運んだ。この事実はただごとではない。

人々の気持ちに寄り添い、国民と苦楽を共にするという、変わることのない両陛下や敬宮殿下の誠実さが、人々の心にきちんと届いている証拠だろう。

「あるべき継承の姿」は伝わっている

4日間、両陛下ならびに敬宮殿下とお側で接した宮下知事はX投稿の中で「両陛下の国民への深い、本当に深い愛情を感じ続けました」と述べる一方、敬宮殿下についてこうつづっている。

「(敬宮殿下が)もしかしたら一生に一度しかその人と接することができないかもしれない。会者常離えしゃじょうり(=出会った者はつねに離別を避けられない)を体現している様子は20代の若さでは考えられない、むしろ両陛下と本当に同じように振る舞っていらっしゃると感じました」

宮下氏本人による「両陛下と本当に同じように振る舞っていらっしゃる」という証言は、軽視できない。

次代の天皇は「両陛下と本当に同じように振る舞っていらっしゃる」皇族が即位されるのが最も望ましい。それこそ皇位が“世襲”であるべき本来の趣旨のはずだ。

青森に限らず各地での「愛子さまフィーバー」も、決して薄っぺらいアイドル的な人気によるものではない。そうではなく、世襲の本旨に照らしてあるべき継承の姿を、人々が直感的に洞察しているからにほかならない。

再改正し「愛子天皇」実現を

先ごろ、高市政権のもとで拙速・乱暴に行われた皇室典範の改正(改悪)では、世襲として本来あるべき親から子への皇位の直系継承を妨げる「男系男子」限定という欠陥ルール(第1条)が、そのまま放置された。側室不在の一夫一婦制なのに男系男子限定というルールは、そもそも持続可能性を期待できず、歴史上まったく前例がなく、世界にも類例を見ない(最も遅れていたミニ国家のリヒテンシュタインすら今年、是正に踏み切った)。

ところが高市早苗首相自身が先日、Xへの長文投稿で「女性天皇への道を閉ざした」という批判に対して釈明し、今後さらに「必要な検討や見直しがなされる」としている(9月15日)。そうであれば、世襲の本旨に沿うように皇室典範を速やかに「再改正」するのが当たり前だ。

そうすれば次代は、皇室と多くの国民が一致して望む「愛子天皇」に決定する。