朝ドラ「ブラッサム」(NHK)では作家・宇野千代(1897~1996年)をモデルにした物語が展開中。宇野の著作などを読んだ平山亜佐子さんは「宇野さんは若い頃から性体験についても赤裸々に書いてきた。17歳のときに初めて経験した情事の描写では、将来作家になる女性の冷徹さがうかがえる」という――。

婚家から実家に戻り、父が亡くなった

私は立って障子をしめた。その拍子に体がよろけて、ランプが倒れそうになった。「あ」と声を上げたのは、そのランプのためか、寄って来る男の気配のためか分からなかった。私は抱きすくめられた。そして、そのまま畳の上に転がされると、男の手が帯にかかった。
(宇野千代『生きて行く私』)

1913(大正2)年、横暴な父が亡くなり、千代は「涙を滝のように流したがやはり何となく嬉しかった。私はもうどんなことでもできる」と感じた。

そう感じたのは千代だけではなかった。

弟妹たちは大きな声で取っ組み合いの喧嘩けんかをし、流しの芸人が来ると気兼ねなく飛び出していった。母も家事をしながら歌を歌った。宇野酒造からの送金は父が亡くなったと同時に止まったため、母は糸とり工場で働いた後、貸家をした。

千代は女学校でも常に成績が良く、級長で通した。その一方、学校で禁じられていた雑誌をよく読み、平塚らいてうの「原始女性は太陽であった」に勇気づけられた。密かに変名で『女子文壇』に投稿を始めたのもこの頃のことだ。女学校の友人たちと回覧雑誌を作ったが、先生に見つかって校長室に呼ばれて叱られた。それでも懲りず、後に学校の外にある同人雑誌『海鳥うみどり』に加わった。そのメンバーで写真館で撮った写真がある。千代は校風かつ少女のような桃割れに結い、友人は縞の着物に男袴、三高(旧制第三高等学校)の帽子を被った男装で写った。少女たちの気概が伝わるエピソードだ。

女学校を卒業、小学校の先生に

女学校を卒業した千代は、1914(大正3)年4月に代用教員となる。勤務先は自宅から約4km離れた川下村の尋常高等小学校である。劣等生組を受け持ったが、鼻水を垂らしたり、頭皮にできものがあったりする貧しい子どもたちが褒められて目が輝く姿に感動した。なかには首席の子と引けを取らない成績を残す子も現れ、千代はやりがいを感じた。

古い机と椅子が並ぶ学校の教室
写真=iStock.com/rai
※写真はイメージです

夏休みのある日、母が使っていた白粉を借りて塗ってみると、「この世のものと思えない美しい娘の顔」に変貌した。もともと地黒を気にしており、亡父にもよく「そんとな色黒で、嫁の貰い手があるか」と言われていた。このとき以来、千代は白粉を手放したことがない。同時に、「この白粉が剥げたら、このお面がとれたら、化けの皮が剥がれるのだ」という恐怖もつきまとった。

田舎の小学校では化粧をからかわれた

白粉を塗って、髪を桃割れに結って葡萄茶色の袴を着て学校に通う千代は、人目を引いた。

子どもたちは「ねきへ寄って見い。宇野先生の臭いことちゅうたら、ないぞよ」と大騒ぎをした。教員も、小使いも仰天したが、誰も化粧をとがめることはなかった。そのうち、村の男たちから手紙を渡されるようになった。なかには、指を切った血で書いたものまであった。運動場で体操を教えていると、若者が柵にすずなりになった。祭りでは不良少年に声をかけられた。千代は人々のあまりの変わりように恐ろしい気持ちがした。

代用教員になった年に、千代は一人暮らしを始めた。

食事は3食とも黒豆を炒って醤油をかけたもの。生活費は、家賃と黒豆と化粧下地と白粉のみ、1カ月2円数十銭で、月給8円からそれらを引いた金額をそっくり実家に渡していた。母は後年まで、千代が月給の3分の2を渡したことを褒めていた。

近隣の村長の息子に惚れられる

あるとき、近隣の小学校で教員講習会が開かれた。

千代はそこで村長の息子に見そめられたらしく、後日校長に縁談が来ていると聞かされた。名家でもあり、祖母にも強く勧められた。しかし、千代は結婚自体に興味がなかった。『生きて行く私』にはその理由を、化粧を取った顔をみられたくなかったからとしている。それもあったかもしれない。だが考えてみれば、横暴な父に苦しめられた千代が結婚に夢を持てるはずがない。しかも千代はすでに一度結婚を経験していた。

それはわずか14歳のときで、相手は(実)母方の従兄弟だった。父が決めたために従うしかなく、義母にあたる伯母もたいそう喜んだが、肝心の夫は毎晩のように千代を置いて出かけるので、千代は実家に戻った。同居は10日ほどのことで、結婚とよべるかどうかもわからない。ただ、このことも結婚に対する忌避に一役買っていたのは間違いないだろう。

ともあれ、千代は縁談を断った。すると、息子本人が一人暮らしの千代の家に現れた。男は何度断っても来た。そしてある日、とうとう日が暮れてランプをつける時間になっても帰らなかった。

和服姿の男性
写真=iStock.com/Toru-Sanogawa
※写真はイメージです

千代の下宿先に通ってきた男

千代は「晩飯を食べてお行きんされるか」と聞き、母屋からもらってきたジャガイモを煮た。2人は黙ってそれをつついた。ランプだけの暗い部屋でふたりで晩ごはんを食べるということは、次の展開を容認してるも同然だった。千代は後年書く。「結婚を厭いやがっているのに、なぜ男のために夜食を用意したりするのか」。それは将来作家になる女が持つ、好奇心だったのではないか。そしてまた、結婚と性的関係は別であるというある種モダンガール的発想が根底にはあったのではないか。

千代は雨の音を聞き、立って障子をしめた。その拍子に男が着物の裾を掴んだために千代は倒れた。そのまま畳の上に転がされ覆い被せられると、男の手が帯にかかったのを感じた。千代はこの後の展開をわかっていた。声を上げれば、母家の人たちが駆けつけてくることもわかっていた。それでも千代は声を上げなかった。そして力いっぱい男を押しのけると、奥の板敷きの部屋まで転がって行った。

32歳のころの宇野千代、1930年9月12日
写真=共同通信社
32歳のころの宇野千代、1930年9月12日

男女の情事を知りたかった

千代は書く。

「何故、上がり框の障子をしめたままで、奥の板敷きの部屋まで転がって行ったのか。それは、人に気づかれないで、男を奥まで誘い込む積もりだったのか。分からない」。

男は、着物がはだけて裸になった千代の上に乗ってきた。

「私は動かなかった。何が起こるのか、私は知っていた。私はそれを待った。夢にも結婚する気はないのに、私はそれを待った。男の真下に組み敷かれて、私が何をされるのか、私は自分の眼で、はっきりとそれを見たかった。一瞬の間に、それは終わった。これが、あのことか。私は男から逃げないで、ただそのことだけを渇望して、男に組み敷かれたまま動かなかったのだと思うと、その恥ずかしさのために、男の顔を見ることが出来なかった」。(『生きて行く私』)

あっけなく行為が終わった後、気恥ずかしさから千代は大声で突然「あ、雪が降っとる! 雪が降っとる!」と叫んだ。男は仰天し、千代の名を呼んで頬を叩いた。それでも千代が叫び続けると慌てて障子を開けて裸足のまま外へ飛び出し、帰ってこなかった。

村長の家からの縁談は断られた

しばらくして、祖母が相手の家から縁談の断りが来たと告げた。「お父さまがお死にる前に、気が違うて包丁を振りお廻したことを、どこかでお聞きたのじゃげな。吉野(宇野のこと)の家は気違い筋じゃとでもお思いたのじゃろう」。いかにも、千代は気が狂った振りをした。しかも、雪が降ってると言って。まさに、父が亡くなる3日前に包丁を振り回したのは雪の日だった。娘の貞操を奪った男を、千代は父の振りをして追い払ったのである。

だが、初期短編「處女しょじょ」にはこのとき違う台詞せりふが配されている。雨が紫になった、地面まで紫になると言った。『生きて行く私』も「處女」も小説であるため、事実はわからないが、雪の発想は父から来たものだろう。

『新選宇野千代集』(改造社)昭和4年
『新選宇野千代集』(改造社)昭和4年(画像=国立国会図書館デジタルコレクション)

それにしても、父が狂気のなかで死んだことを近所に知られている千代が、なぜあえて狂気の振りをしたのか。

相手の男に語ってほしくなかった

その謎について「處女」には、こうある。

「あの男は、恐らく一生の間今夜の事を誰にも話す事が出来ない。『あの娘は俺が気狂にして了しまつたのだ』と、我れと我が罪を鳴らす男気なしには『あの娘はあの夜限り處女ぢゃあなくなったのだよ』とせせら笑ふ事は出来ない、あの男は、私の弱点を握ったと思って居た。次の瞬間には私に弱点を握られた形ちになって居た。お互に弱味を持った者同志は、自分の体が可愛いい間は決して相手の傷をつつ突かない。お互いに憎み合い乍ら、労り合わねばならないのだ。何と言う因業な係り合いなのだ。――いや、それで好よい、それで好い」

未婚のまま、身体を許すことは千代はよくても世間が許さなかった。こうなった以上、人に言いふらされないよう身を守る必要が千代にはあったのだ。

60年後、男からの手紙には…

なお、70代後半になって、千代はこのときの男から手紙をもらっている。そこには、村長を継いだが、村道工事に立ち会った際、ダイナマイトで両手両足を失い、今は口で写経をする日々と書かれていた。「昔のことは忘れません」ともあったというが、千代ももちろん忘れることはなく、小説にまで書いている。17歳と思えないほどの冷徹な観察と賢しい振る舞いは、まさに将来の小説家の面目躍如である。

花も嵐も踏み越えて、千代の人生は続く。

・参考文献
宇野千代「模倣の天才」小池真理子選『精選女性随筆集 宇野千代 大庭みな子』文春文庫、2024年
宇野千代「文学的自叙伝」
宇野千代「私の青春物語」
宇野千代『生きて行く私』角川文庫、1996年
宇野千代「処女」『新選宇野千代集』改造社、1929年
宇野千代『或る一人の女の話』講談社文芸文庫、2006年
宇野千代『私の文学的回想記』中央公論社、1972年
宇野千代「あとがき」『宇野千代全集 第1巻』中央公論社、1977年
宇野千代 渡辺正彦編『宇野千代』日本図書センター、1995年
尾形明子『宇野千代』新典社、2014年
神埜努『宇野千代の札幌時代:女流作家の誕生』共同文化社、2000年
宇野千代、小林庸浩ほか『宇野千代 女の一生』新潮社、2013年