『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が海外でも異例のヒットを記録している。邦画が上映されていない中国からは中国人が映画のために来日し、台湾では、今年の興行収入ランキングでトップ10に入った。中華圏の事情に詳しいジャーナリストの中島恵さんは「現地の反応を取材すると、日本での人気とは異なる事情が見えてきた」という――。
ちいかわ
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東アジアで「ちいかわ」旋風

7月24日に全国で公開された『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が大ヒット上映中だ。国内では公開から2カ月半が過ぎた10月7日時点で観客動員数は1178万人を突破、興行収入は172億円を超えた。同時点で今年の興行収入ランキングの1位に立っている。

大人のファンも多くSNSでも話題となっているが、それは日本だけではない。中国、香港、台湾といった中華圏で「ちいかわ(Chiikawa)」人気がすさまじいことになっているのだ。なぜ今、東アジアの中華圏でこれほどまでに「ちいかわ」旋風が巻き起こっているのか。取材してみると、日本とは異なる理由でウケていることがわかった。

「吉伊卡哇、太喜欢!」(ちいかわ、大好き!)

10月初旬、国慶節の大型連休中、私の上海の知人と娘(小学生)は市内で開催中の「CHIIKAWA DAYS(ちいかわデイズ)」に出かけ、パネルの前で写真を撮ったり、グッズをたくさん買い込んだ。9月12日から11月1日まで開催中の展示イベントで、連休中だったこともあり、地方からわざわざやってきた観光客でごった返していたという。

友人親子は以前、東京都内にある「ちいかわパーク」に足を運んだこともあり、娘の部屋はちいかわグッズであふれていると教えてくれた。

わざわざ日本まで観に行く人も

中国には上海、杭州、南京、三亜(海南省)、広州、深圳の6都市に「ちいかわ」の旗艦店があるが、今回のイベントはそれとは別の特別展示なだけに注目を集めている。9月末には「ちいかわ」公式のラーメン店もプレオープンし長蛇の列ができた。

しかし、中国では現在、アニメを含む邦画は日中関係の悪化の影響により上映されていない。知人によると、わざわざ香港や台湾、日本まで『映画ちいかわ』を観に出かける人も多いそうだ。

その香港では8月6日から同映画が公開されている。映画公開に先駆けて7月から市内各地の大型商業施設で特別展示が行われたり、特設ショップができ、そこで劇場版の限定グッズも販売された。

カジュアルウエアチェーンの「ジョルダーノ」ではコラボ商品が販売され、「マクドナルド」では店内にフォトスポットが設置され、郊外にあるライトレールではラッピング列車が運行された。香港名物のスターフェリーにも「ちいかわ」ポスターが張り出されるなど、まるで香港中が「ちいかわ」であふれ返っているかのようだ。

香港での上映は日本語版と広東語版があり、日本語版には英語と広東語の字幕がついている。地元の知人によると「日本語版もけっこう地元の人が入っている。香港では趣味で日本語を学ぶ人が非常に多いので、日本語で観て、『ちいかわ』の世界観に浸りたいという人が多いからではないか」と話していた。

台湾の映画年間ランキングでトップ10入り

同様の現象は台湾でも起きている。台北でも7月4日から9月27日まで「CHIIKAWA DAYS」が開催されており、7月末に公開された同映画も大ヒットしている。

台湾の現地報道によると、9月時点で台湾全土の興収は1億5000万台湾元(約7億4000万円)を突破。動員数は9月上旬の段階ですでに約53万7000人を超えており、台湾の今年の映画年間興収成績ランキングでトップ10に入った。台湾では従来から日本映画の人気は高いが、公開から2カ月ほどでのトップ10入りは異例だ。また、台湾における歴代邦画興行収入ランキングでも上位にランクインしている。

なぜ、これほどまでに「ちいかわ」は東アジアの中華圏の人々を惹きつけるのか。

そもそも、「ちいかわ」とは、「なんか小さくてかわいいやつ」のことで、イラストレーターのナガノ氏が作り出したキャラクターだ。不器用で泣き虫の「ちいかわ」、その友だちでポジティブな性格の「ハチワレ」、そして「うさぎ」などが労働したり、困難に直面しつつも、お互いを思いやり、問題を解決していくというストーリーだ。

2020年にX(旧ツイッター)で連載が始まるとすぐに人気に火がつき、アカウントのフォロワー数は570万人以上に成長した(2026年10月現在)。まるまるとしたかわいい見た目、映像の美しさなどから夢中になる子どもが多いが、内容は意外にシビアだ。ただかわいいだけのほのぼのとした「子ども向け」アニメではなく、複雑な人間社会につながる深いストーリー性がある。

中華圏でウケている本当の理由

そもそも、「ちいかわ」たちは毎日遊んで暮らしているわけではなく「労働」している。しかも、草むしりやシール貼りといった地味で労働集約的な仕事だったり、モンスターを討伐するという危険が伴う仕事だったりする。

かわいい、ほのぼのキャラに似つかわしくない苦しい仕事をしているという点だけでも、これまでのアニメに類似したものは少なく、異色だ。そんな内容に、自分自身の苦しい会社員生活を投影させる「隠れちいかわファン」の日本人の中年男性も少なくない。

それが中華圏でウケている理由にも少し関係しているように感じられる。よく知られているように、中国、台湾、香港などの中華圏は生まれてから死ぬまで競争の連続だ。とくに中国の若者の間では受験戦争と就活戦争が激しい。

受験戦争は随から清まで1000年以上続いた「科挙」の時代からの伝統だ。就活を勝ち抜くには資格を取得したり、公務員試験の勉強をしたりしなければならない。それが、「ちいかわ」に出てくる草むしり検定に酷似している。検定試験に合格すれば報酬がアップするという点も似ている。中国では出身大学によって初任給に大きな差が出るので、地道な努力をしなければならないのだ。

教室で試験を受ける学生
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風景や食べ物に癒やされる「小確幸」

香港や台湾でも公務員になれるのは一握りのエリートだ。何度も試験に不合格となり、挑戦を続ける人がいる。しかも、挑戦し続けたら合格するというわけではなく、努力が実らないまま挫折し、不本意な道に進まなければならないという人も多い。

「ちいかわ」でも同様だ。理不尽なことが起きても、その現実と向き合わなければならないときがある。そのとき、友人の「ハチワレ」が励ましてくれたり、「うさぎ」たちと思いやりながら困難を乗り越えていく。そして、ちょっとした風景やおいしい食べ物に癒やされる。

それは中国語でいう「小確幸」(シャオチュエシン=小さいけれど確かな幸せ)というものだ。中国でも大人気の小説家、村上春樹氏が使った言葉で、十数年前から流行語のように使われるようになり、今では定着している。

私は十数年前に中国の自動販売機の側面にこの言葉が書かれているのを初めて見て(そのときは流行語になりつつあるということを知らず)、純粋に「いい言葉だな」と思った。おいしい飲み物を飲むだけで小さな幸せを味わえる、というようなキャッチコピーだったと思う。

ちいかわ
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「厳しい社会」だからこそ響く

台湾では6歳未満が鑑賞できない「保護級」に指定されたように、「ちいかわ」にはグロテスクなシーンや、ハードなシーンも意外と多い。厳しい戦いが終わったあと、ほっとさせられる友情や、何気ない会話に「小確幸」を中華圏の人々も感じる。いや、日本よりずっと厳しい社会に暮らしているからこそ、「小確幸」を私たちよりも強く感じるということだろう。

また、「ちいかわ」はほとんどしゃべれないため、「ハチワレ」がストーリーの語り役となっているが、すべてを語らないことが「行間を読む」「相手の気持ちを察する」ことに長けている中華圏の人々の心に迫るものがあるのではないか、と私は個人的に感じている。

ストーリーは若者だけでなく、大人が見ても、ときには「やりきれない」「切ない」内容となっており、それがかわいらしい「ちいかわ」の見た目とのギャップ、萌えポイントとなっている。人生には、どちらに進むのが正解なのか、あるいは、あとから振り返ってみたときに、あのときの選択は正解だったのか、わからないことがたくさんあるが、そうした問題も「ちいかわ」の中で描かれている。

地に足のついた生き方に共感する人々

筆者の上海の知人は娘とともに『映画ちいかわ』を観ていて、娘から「パパ、ここはどういう意味?」と聞かれたらどう答えようかと迷う難しいシーンが多かったというが、上映後に娘から何か聞かれることはなかったという。

知人は「娘は娘なりに、単純に割り切れることばかりではないというのがわかっているのではないでしょうか。映画でも答えが示されているわけではありませんが、ありのままに受け入れ、考えることが大事なのでは。それが『ちいかわ』の魅力でもあるのかなと思っています」と話してくれた。

中国、台湾、香港のSNSなどを見ていても「ちいかわの世界観に共感した」「明日から勉強をがんばる。無駄なことなんてない」と前向きになるコメントが多かった。

世界では戦争や国家間の諍いが起こるなど、不穏な出来事があまりにも多い。とくに中華圏では景気の悪化や競争の激化などがあり、日本人以上に厳しい生活を送っている市井の人々がいる。そんな不確かな時代だからこそ、ハードな労働をしながら、日常の中に小さな幸せを見つけようとする、地に足のついた「ちいかわ」的生き方に共感する人が多いのではないだろうか。