注目が集まる愛子さまの「おことば」
今や愛子内親王は、皇室の「エース」的な存在になっている。間違いなく、その中心を担っている。
その人気の一端は、カレンダーの売れ行きにも示されている。昨年は初めて単独の「愛子さまカレンダー」が頒布されたが、2027年版も10月9日に主婦と生活社から発売された。発売前の段階(10月8日14時時点)で、アマゾンではカレンダー部門で第1位を記録した。写真集の部門でも第1位で、書籍全体でも35位である。2026年版に引き続いて購入の予約をした人も少なくないであろう。
カレンダーに多くの注目が集まるのも、愛子内親王の最近の活躍が目覚ましいからである。大学を卒業して以降、数々の公務に携わり、国民の前に姿を現すことも多くなった。
とくに注目されるのが、国際的な学会での「おことば」である。
直近では、9月25日に、幕張メッセ国際会議場で開かれた第36回世界医学検査学会の開会式で挨拶を行っている。冒頭では、熊本地震や千葉豪雨、台風第25号の死者に対して哀悼の意が表され、被災者に見舞いの言葉が寄せられた。
ここまでは、政治家でも挨拶のはじめに行うことだが、愛子内親王は、その部分の最後に、「被災された方々の医療・健康支援や被災地の復旧作業」に言及している。この学会は、臨床検査にかかわる医療従事者などが参加しているわけで、医療のことに触れたことで、参加者に災害の現場への関心をむけさせる役割を果たした。そこに愛子内親王の細かな配慮を見ることができる。
愛子さまが果たしている重要な役割
挨拶のなかでくり返されるのが、「各国の医療に貢献されてきたと伺っております」や、「検査機器の高度化も進んでいると聞いております」といった伝聞の表現である。それも、開会式に臨席する前の9月11日に、日本臨床衛生検査技師会で代表理事会長を務める長沢光章氏らからご進講を受けたと報じられているように、事前に情報を集めているからである。
愛子内親王が大学で学んだのは日本文学であり、和歌である。勤務先は日本赤十字社だが、医学が専門というわけではない。
そこで、どうしてもご進講や情報の収集が必要になるわけだが、実はそこに今、愛子内親王が果たしている重要な役割がある。
天皇や皇族の場合、皇室の一員であるとともに、学問研究を行っていることが多い。今上天皇であれば、交通史・流通史を専門に学び、広く「水」の問題に関心を持っている。秋篠宮だと鳥類や魚類について専門的に研究してきた。
そのため、国際的な学会において挨拶を行う際にも、専門としてきたこと、あるいはそれに近い領域が選ばれることが多いのである。
「専門外」でも堂々と挨拶される愛子さま
たとえば、今上天皇は、6月3日に東京のホテルニューオータニで開かれた「世界島嶼国海洋会議」の開会式で挨拶を行っている。この会議のテーマは海であり、水である。
秋篠宮であれば、2月8日に東京国立博物館平成館で開かれた「全国学校・園庭ビオトープコンクール2025」発表大会で挨拶している。もちろん、天皇でも日本感染症学会という専門外の学会の100周年記念式典で挨拶しているし、秋篠宮もやはり、専門外の国際内分泌学会議で挨拶を行っている。
だが、愛子内親王はまだ24歳と若く、年齢を重ねている天皇や秋篠宮とはこれまでの経験が違い、必ずしも広い見識を持っているとはいえない。
にもかかわらず、専門外の国際学会においても堂々と「おことば」を述べている。それは、驚嘆すべきことである。
愛子さまのスピーチを研究した学術論文
実は、愛子内親王が成年を迎えたときに行われた記者会見を分析した、英文の学術論文が発表されている。
それが、“A study of speech style: Japan's Princess Aiko's first press conference”である。日本語では「スピーチスタイルの研究:日本の愛子内親王による初の記者会見」であり、「International Journal of Arts, Humanities & Social Science」の誌上に2022年5月に掲載されている。
論文の筆者は、アメリカのユタ大学名誉教授の東照二氏である。東氏は社会言語学が専門で、その観点から愛子内親王の記者会見にどのような特徴があるかを分析している。
論文には最初に要約がついており、そこでは、「研究成果の一つとして、愛子内親王のスピーチスタイルは、その丁寧な物腰と雄弁で落ち着いた態度によって、国民から高い評価を得ていることが挙げられる。彼女の控えめな魅力と笑顔は、会見を見た日本国民の多くに好意的に受け入れられた」と述べられている。
さらに、「また別の所見では、愛子内親王が『ラポート・トーク』、あるいは共感的な語りの特徴となる情緒的な戦略を用いていることが挙げられる。これがメッセージを伝える上で役立ち、聴衆と心を通わせる上で効果的であった」とされている。
要は、説得力があるということだ。
十分な間を置くスピーチの説得力
これは、以前に悠仁親王の「おことば」との比較で述べたことだが、この論文でも、父である天皇の教えを、愛子内親王が忠実に実践していることが指摘されている。
その教えとは、つねに聴衆の目を見てしゃべるということであり、自分の思いをはっきり伝えようとすることである。
それとも関連するが、論文では、愛子内親王の「間」の取り方にも注目している。十分な間を置くことで、「えーと」とか「あのー」といったつなぎの言葉、これは言語学で「フィラー」と呼ばれるが、それを排除することができる。
実際、愛子内親王の会見では、十分に間を置く話し方が見られる。宮内庁公表の会見文に、論文で示された間の長さを補うと、次のようになる。「これまでのあらゆる経験は(2秒の間)、多くの方の(3秒の間)、支えや御協力があってこそ成し得たものであると身をもって感じております」。
この論文で面白いと思ったのは、愛子内親王が、皇室の公的な側面に関連して父親に言及するときには「天皇陛下」という表現を使い、家庭内での私的な事柄について述べる際には「父」を使っていることである。
このような使い分けは、認知心理言語学では「リフレーミング(再枠づけ)」として捉えられる。つまり愛子内親王は、公的な世界と私的な世界を明確に分けていて、「天皇陛下」と「父」という異なる表現を使うことで、二つの世界をスムーズに行き来しているわけである。
愛子さまの「おことば」に共通する志向
この記者会見の時点で、愛子内親王はまだ20歳だった。20歳では、普通、そうした巧みな言葉の使い方はできないし、苦労することが多い。いかに天皇・皇后の薫陶よろしきを得ているかがわかるが、それに応えられるだけの力を持っていることも間違いのない事実である。
医学検査学会での挨拶に話を戻すならば、これは愛子内親王の「おことば」全体に共通した特徴になるが、つねに「未来」が志向されていることである。
愛子内親王は、学会のテーマについて、「経験豊富な臨床検査技師と未来を担う若手臨床検査技師、そして世界の臨床検査技師同士の連携が強化され、人と人との架け橋が育まれるとともに、本学会が情報を共有する場となり、世界の臨床検査にとって、未来へと繋がる大きな架け橋になることを願って決定されたと伺いました」と述べていた。
この学会のテーマは、日本語に訳すと「世界中のBLS(医学検査)の未来への架け橋」である。愛子内親王は、その架け橋にいくつもの意味があることを、挨拶のなかで強調したことになる。
「オールラウンダー」としての原点
これに先立って8月17日に開かれた半導体物理の国際会議でも、挨拶のなかで、この会議を通して「分野や国境を越えた新たな協力関係が育まれ」、「次の世代を担う若い参加者の皆様にも」実り多いものであることを願っていると述べていた。
そこでも未来が志向されているわけで、愛子内親王は若い世代の代表としての立場から、つねに「おことば」を述べていることになる。それも説得力に結びついている。
愛子内親王が大学を卒業した後、大学院にまで進み、専門分野を究める方向にむかっていたとしたら、現在のように、国際的な学会において「オールラウンダー(万能選手)」としての活躍を示すことはなかったかもしれない。
悠仁親王は、現状において、それとはまったく反対の方向にむかっているわけである。同じ秋篠宮家の佳子内親王も、手話に関連する催しものでは「おことば」を述べることが多く、緑や馬術、スポーツ行事などでも挨拶している。ただ、愛子内親王のような、専門分野を横断するオールラウンダーとしての活動とは、かなり趣が異なる。
「愛子天皇」待望論の根本的な基盤
天皇や皇族が「非人間的な生」を押しつけられているという見方はある。たしかに、一般の国民に認められた職業選択の自由はないし、発言や日常の行動にも、皇族という立場からさまざまな制約がある。絶えず警備がつき、それから解放された気ままな生活を送ることはできない。
その点で、皇室というあり方そのものを解体し、天皇や皇族に国民と同様の自由を与えるべきだという主張もある。
10月24日から施行される改正皇室典範で旧宮家からの養子が可能になっても、現実にはそれが現れないと予測されるのも、皇族になれば窮屈な生活を強いられるからである。
しかし、愛子内親王のしなやかなふるまいを見ていると、そこに窮屈さや不自由さを見いだすことはない。成年の記者会見で、長所としてどこでも寝られることを挙げたのも、それが関係するかもしれない。
むしろ愛子内親王は天皇直系の内親王として、国際会議での挨拶もそうだが、その立場でしかできないことに喜びを見いだし、充実した日々を送っているように見受けられる。
なかなかそれだけの人物は、現れないものである。一朝一夕ではけして生まれない、長い年月で培われた「資質」である。
そこに、揺るぎない「愛子さま」人気があり、「愛子天皇」待望論が生まれる根本的な基盤があるのではないだろうか。