10月24日には、高市政権下で成立した改正皇室典範が施行される。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「日本初の女性首相政権下で行われた皇室典範の改正は、男女平等の観点からは、まったく時代に逆行するものとなった」という――。
第2次高市改造内閣(2026年9月17日)
第2次高市改造内閣(2026年9月17日)(写真=内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

「女性差別」である改正皇室典範

日本で初めての女性の首相が誕生したのは、2025年10月21日のことだった。

高市早苗衆議院議員が第219回国会の内閣総理大臣指名選挙で勝利を収めたからである。その後、衆議院議員総選挙が行われ、自民党が大勝したことで第2次高市内閣が誕生し、2026年9月17日には内閣改造も行われた。

戦後、選挙権と被選挙権が女性にも与えられてから80年が経ち、政治の分野における「ガラスの天井」は、こうして突き破られたのである。

ところが、高市政権の下で行われた皇室典範の改正は、男女平等の観点からは、まったく時代に逆行するものとなった。男系男子での継承が前提とされ、そのために、旧宮家の男系男子を皇族の養子として迎えることが可能になった。

養子が男子に限られる点で、明らかに「女性差別」である。

しかも、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持できる一方で、配偶者や子どもは皇族とは認められない。男性皇族と結婚した配偶者やその子どもが皇族になるのと異なり、ここでも男女平等に反している。

首相と天皇では、地位の決まり方が異なる。それでも、性別を理由に皇位継承の資格を認めない制度を、いったいどう考えればよいのか。

「ジェンダーギャップ」世界117位の日本

そんななか、世界経済フォーラムによる「ジェンダーギャップ報告書」が発表された。

これは、世界各国において男女平等がどれだけ進んでいるかを示した指標である。今年の日本は145カ国中、なんと117位だった。ガラスの天井は破られたはずなのに、前年から順位を1つ上げただけだった。

その日本で、10月24日には改正皇室典範が施行される。女性首相が誕生しても、女性が天皇になる道は閉ざされたままである。

ただ一方で、皇室典範の改正では実現しなかった女性天皇や女系天皇を容認する声は、国民のあいだで、これまで以上に高まっている。

日本経済新聞社とテレビ東京が7月24日から26日に実施した世論調査では、「女性天皇も女系天皇も認めるべきだ」が59%で最多となり、「女性天皇だけは認める」を加えると、合計で84%を記録した。

女性も首相になることができたのに、なぜ、天皇は女性ではだめなのか。

女性首相が誕生したことで、そうした声はかえって高まっている。再度、皇室典範を改正し、次には愛子内親王に天皇に即位してもらいたい。そんな提言も行われるようになってきた。

「女人禁制」が根深く残った宗教界

天皇に即位する道が女性に鎖とざされていることは、明らかに「女性差別」である。その差別を撤廃することこそが、真の意味でのガラスの天井を打ち破ることに結びつくはずなのである。

これまで、女性差別と考えられるものは次々と打ち破られてきた。根強い差別が存在したのは、とくに宗教の世界で、「女人禁制」と言われることが少なくなかった。

今では考えられないことだが、多くの女性の参拝者を集める高野山などは、明治になるまで、女性が足を踏み入れることはできなかった。だからこそ、十一面観音像で名高い室生寺が「女人高野にょにんこうや」として、女性の参拝者を受け入れてきたのである。

奈良県宇陀市にある室生寺・本堂(灌頂堂)と五重塔
奈良県宇陀市にある室生寺・本堂(灌頂堂)と五重塔(写真=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikimedia Commons)

明治政府は、すぐに女人禁制を撤廃する布告を出したものの、高野山は激しく抵抗し、全面的に撤廃されたのは、ようやく明治39(1906)年のことだった。

そもそも仏教には、女性は業ごうが深いので、悟りを開き仏になることができないという教えがあった。女性でも仏になれると説くお経もあったが、いったん男性に生まれ変わることが前提になっていた。仏教は極めて差別的な宗教だったのである。

女性差別が見られたさまざまな領域

そうした信仰とは別のことだが、近代の社会になっても女性差別は各分野で見られた。

たとえば、戦前には女性の警察官は存在しなかった。初めて女性警察官が警視庁に採用されたのは、昭和21(1946)年のことである。その時点では「婦人警察官」と呼ばれ、少年の補導が仕事の中心だった。その後、女性警察官の職域は徐々に広がり、昭和61(1986)年には、犯罪捜査や鑑識活動、要人警護などにも従事している。ただ、男性警察官と同じように働けるまでには、長い時間がかかった。

こうしたことは、検察官、裁判官などについてもいえる。そうした職種から長く女性は締め出されてきた。弁護士については、NHK朝ドラの「虎に翼」でも描かれたように、戦前から女性にも門戸は開かれていたが、ほかの職種はいずれも、戦後を待たなければならなかった。

スポーツでも、競技によっては女性が排除される種目があった。重量挙げ、レスリング、ボクシング、スキーのジャンプで女性もオリンピックに参加できるようになったのは、21世紀に入ってからである。マラソンですら、1984年のロサンゼルス大会からだった。

どうしても理不尽に思える「女性排除」

かつて「男勝り」という言葉があった。その根底には、女性はおしとやかで控えめであるべきで、男性が活躍する分野に進出するのは慎むべきだという考えがあった。今、男勝りという言葉を安易に使えば、女性を差別していると批判されるようになってきた。

そのように社会は根本から変わったわけで、男女平等を実現するのは当然のことになっている。

そのなかでなぜ、日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴である天皇の座から、女性が締め出されなければならないのか。

今回の皇室典範の改正で、男系男子での皇位の継承はゆるがせにしてはならないということが強調されればされるほど、女性皇族が皇位継承から排除されていることが、国民の目にはどうしても理不尽なものに思えるのだ。

しかも、天皇家には、直系として愛子内親王という立派な女性皇族がいて、さまざまな形で活躍している。

60歳の誕生日を迎えられた紀子さまへのお祝いのあいさつのため、赤坂御用地に入られる愛子さま=2026年9月11日、東京・元赤坂(代表撮影)
写真提供=共同通信社
60歳の誕生日を迎えられた紀子さまへのお祝いのあいさつのため、赤坂御用地に入られる愛子さま=2026年9月11日、東京・元赤坂(代表撮影)

「なぜ、愛子さまではいけないのか」

多くの国民がそこに納得できていない。なぜ、男系男子でなくてはならないのか。それに固執する政治家や論客から説明をされても、到底その考えを受け入れることができないのだ。

そもそも、一般の国民のあいだでは、「血による継承」が強調されることに対して違和感が生じている。

極めて特殊な「男系男子」での継承

保守派は、男系男子での皇位継承が行われなければ、皇室の伝統は破壊されると主張している。

たしかに、日本の社会では「家」の力が大きく、家を受け継いでいくことが重視されてきた。

しかし戦後、サラリーマン家庭が急増したことで、家の比重ははるかに低下した。サラリーマン家庭では、家は憩いの場ではあっても、基本的には生産活動を行う場ではない。つまり、生活を成り立たせる上で、農家などとは違い、家は重要性を失ったのである。

そもそも、男系男子によって受け継がれてきた家は、天皇家ぐらいだろう。それほど男系男子での家の継承は特殊なのだ。かつての公家や武家でも、家を継承するために、いくらでも養子をとってきた。養子の範囲も、血のつながりが不可欠というわけではなかった。赤の他人が家を継ぐことはいくらでもあったのだ。

男系男子と対比されるのが女系女子ということになる。ただこれも、具体的な事例を見いだすことが難しい。

私が知っているのは、戦前二度にわたって大弾圧を受けた新宗教の「大本」である。開祖は出口なおという女性で、それを娘のすみが継ぎ、その後も女系女子で教主が受け継がれてきた。ただし、五代教主は四代教主の養女である。

男系男子ならよくて、女系女子ならいけないというのは、明らかに「女性差別」であるが、どちらにしても、血による継承を問題にする議論の仕方自体が、現代の国民感情から大きく外れているのではないか。

「日本の象徴」にふさわしい人物であるか

「愛子天皇」待望論にしても、男系女子である愛子内親王が、天皇家の「直系長子」ということもあるかもしれない。

だが、多くの論者が指摘するように、愛子内親王が「天皇にふさわしい人格を備えていること」が、決定的である。

これ以上、天皇にふさわしい人物を探し出すことは難しいのではないか。その感覚が生まれなかったとしたら、「愛子天皇」待望論がこれほど高まることはなかったであろう。また、女性天皇や女系天皇を容認する世論も生まれなかったに違いない。

つまり、もっとも重要なのは、天皇の血を引いているということではなく、日本の象徴にふさわしい存在であるかどうかである。

天皇一家が愛子内親王を中心に据えて行動するようになってきたのも、それが関係するであろう。

東京ドームにおいて2026 ワールド・ベースボール・クラシックを観戦された天皇ご一家(2026年3月8日/出典=宮内庁Instagram[@kunaicho_jp]

「チーム愛子」という皇室の未来形

10月24日に改正皇室典範が施行されても、皇族数の減少に歯止めがかかるかどうかはわからない。そればかりか、皇位継承さえ危うくなるかもしれない。その懸念を払拭するには、旧宮家の男系男子を何人も養子に迎える必要があるが、その見通しが立っているわけではない。

悠仁親王が結婚し、多くの子どもをもうければ、問題は改善されるかもしれないが、果たしてそういう重圧をかけていいものかどうか、そのことも問われている。

だからこそ、「女性・女系天皇」に道を開く必要があるわけだが、それでもすべてが解決されるわけではない。

現在、皇族は国民のため、あるいは世界の人々のために、さまざまな活動を担っている。その活動を、今後、皇族だけで続けていくことは次第に難しくなっていくだろう。となれば、皇族以外の人間が、そうした役割を分担していく必要も出てくる。

たとえば、災害に遭った人々を見舞うという活動があるが、皇族以外、どういった人々がそれを担えるのか。著名人のボランティアや炊き出しなどは、それに近いものといえる。

皇族にだけ期待するのではなく、国民一人ひとりが、できる形でその役割を分かち合っていく。

愛子内親王のまわりに、災害支援や福祉など、それぞれの現場で活動する人々が集まる。皇族と国民がともに社会を支える、いわば「チーム愛子」である。そうした皇室のあり方を、考えてみてもよいのではないだろうか。