“茶葉不使用”のMATCHAの正体
ハンガリーの首都ブダペストで日本茶の輸入販売を手がける茶谷綾子さんは、茨城県のさしま茶農家から仕入れた抹茶を携えて市内のカフェを回っている。試飲してもらうと決まって「香りのよさ」と「味のまろやかさ」に驚かれるという。その驚きが、そのまま購入につながる。
だが、すべての店がそうではない。「緑色であれば何でもいい」と言い切る飲食店もある。現地SNSには「マンゴーMATCHA」なる商品の動画が流れ、なんと「茶葉不使用」と堂々と明記したバラの花びら粉末やドラゴンフルーツ粉末の「ピンクMATCHA」まで実在する。
茶谷さんはハンガリーの飲食店オーナーから「ほうれん草が混じったMATCHAもある」と聞いたという。
いったい、なぜ世界中でこんな混沌状態になっているのか。
そもそも抹茶とは何か
基本的な知識を抑えておこう。抹茶とは、単に「粉末にした緑茶」ではない。原料は「碾茶」という特別な茶葉だ。
収穫前の約20日間、茶園に覆いをかけて日光を遮る「覆下栽培」で育てると、渋みが抑えられ、うまみのテアニンと鮮やかな緑色が蓄えられる。摘んだ葉は蒸して酸化を止め、揉まずに乾燥させたものが碾茶で、石臼などで微粉末に挽けば抹茶になる。どの工程を省いても、あの香りとまろやかさは生まれない。
歴史も確認しよう。粉末の茶を点てる習慣の源流は中国・宋代(960〜1279年)の「点茶」にあり、鎌倉時代(1185〜1333年)に禅僧・栄西が日本へ伝えた。その後、千利休が「わび・さび」を重んじる精神文化として「茶の湯」を大成させた。
だが、“本場”の中国では明代(1368〜1644年)に途絶え、覆下栽培と碾茶の製法で今日の抹茶に磨き上げたのは日本である。現代中国の抹茶生産は、中国自身が日本から製法や品種を学び直して始まったものだ。技術は盗まれたのではない。招かれた日本人が教えたのだ。
中国に出現「世界最大の抹茶工場」
その抹茶の一大産地が今、中国内陸部に出現している。
中国南西部の山岳地域にある貴州省の銅仁市江口県。「世界抹茶の都」を自称するこの町に2017年、大手茶企業・貴茶集団が日本などから専門家を招き、年産能力4000トンの世界最大規模の抹茶工場を建設した。
読売新聞が今年6月12日に報じた記事によると、銅仁市の抹茶生産量は2021年の400トンから2025年には2500トンへと4年で6倍超に急増し、2025年産は日本を含む54の国・地域へ輸出された。いわば「本家」への逆輸出である。※1、2
2026年の生産量は5000トンを超え、日本の2024年国内生産量(碾茶5336トン)に匹敵する量になると同市は主張する。
工場だけではない。共同通信によると、銅仁市は抹茶を地域ブランドとして打ち出して量産体制を整備し、市内には抹茶の体験施設「抹香集」も登場。欧米などに販路を広げ、「抹茶の伝統文化を持つ日本の市場にも攻勢をかける」という。※3
さらに読売新聞は、現地の製茶工場に「中国が抹茶発祥の地」とうたう看板が掲げられていると報じている。
日本企業が中国と協力して現地で抹茶生産
中国での抹茶生産には日本企業が関連するケースもある。すき家やはま寿司などの飲食チェーンを展開するゼンショーホールディングスは2018年に中国の企業と抹茶生産のプロジェクトを開始したという。プレジデントオンライン編集部の取材に広報担当者はこう回答した。
「現地の生産者に継続的に技術指導を行い、良質な抹茶を生産することで、現地の経済の活性化に寄与するとともに、ゼンショーグループのサプライチェーンの強化を行うことを目的としています。
日本の抹茶づくりの知見を活かしつつ、産地の自然環境に適した栽培指導を継続的に行うことで、風味・色味ともに高い品質を備えた抹茶の生産を実現しています。2023年より中国の一部業態にて(生産した抹茶の)導入を行っております」
こうした日本企業の“協力”もあり、中国国営メディアは「世界最大の抹茶生産国」になったと主張する。生産・観光ともに「抹茶は中国が本家」という物語を作ろうとしているのだ。いかにも中国らしい得意の国家ブランディング戦略と言えるだろう。※3
悪いのは中国産ではない
世界的ブームで日本産が品薄になる中、空白を埋めるのが中国産だ。前述の通り、銅仁の抹茶はすでに日本を含む54の国・地域へ輸出されている。「食卓の宇治抹茶が中国産になる」は、決して誇張ではないのだ。
前出のゼンショーは、取材に対して、同社として日本への輸入有無や輸入量、ならびに日本国内での店舗での使用有無については、「商品戦略の観点から回答を差し控えさせていただきます」との回答だったが、今後、中国産抹茶を国内で目にする機会も多くなるに違いない。
中国産の抹茶は爆発的に増え、今後も増える。だが、中国産を悪者にしたいわけではない。
茶道裏千家の準教授で、静岡の茶園と製茶工場を承継し生産から販売まで手がける株式会社TeaRoom代表の岩本涼さんによれば、「茶生産者の平均年収は90万円、平均年齢は68歳」であり、日本の茶業に、爆発する世界の需要へ応える増産余力はもはやない。※4
問題は、見た目では高級品も“まがい品”も「区別をつけにくいこと」だ。
中国では「宇治」を冠した茶関連の商標出願だけで191件が確認され、パッケージそっくりの「宇治抹茶」模倣品が海外に流通。京都の老舗・丸久小山園は自社だけで約3億円以上の実害を試算し、「ベトナムでは宇治茶は中国産と勘違いされている」と訴えた。※5
GI登録は入口にすぎない
こうした中国の動きに対して、日本の農林水産省もようやく2026年7月10日に「日本茶」を地理的表示(GI)保護制度に登録した。生産地を「日本国」とするGI登録は初めてだ(酒類では国税庁所管の「日本酒」が先行)。直接の背景は、まさにこの模倣品と抜け駆け商標登録(冒認出願)の問題だった。※6
しかし、これで解決したわけではない。GIが守るのは「日本産かどうか」。つまり名前だけだ。その象徴が「セレモニアルグレード(儀式用等級)」である。欧米市場で最上級を思わせるこの表示に、法的な定義はない。つまり、ほうれん草が入ったもの、量産品、宇治の手摘みの最高級品も、同じ「セレモニアル」の棚に並ぶことがあるのだ。
実際、日本の国立研究機関である農研機構も、抹茶が他の茶とどう違うのかが国際市場で十分に共有されていない現状を踏まえ、国際標準化機構(ISO)での抹茶の定義づくりを主導してきた。2022年には抹茶の定義に関する技術報告書(ISO TR 21380)が発行されたが、これは強制力のある規格ではなく、品質基準の国際規格化はこれからだ。※7
結局損をするのは、選べない消費者と、覆いをかけ石臼を回して、時間と労力をかけ本物を作っても差別化できない日本の茶農家である。
冒頭で紹介した茶谷さんは販売のプロとして言う。
「コーヒーにはスペシャルティコーヒーという基準があって、点数や農園単位で品質が分かるようになっています。抹茶にも、そういう基準を作るべきではないでしょうか」
コーヒーが歩んだ道が、そのまま手本になる。かつてコーヒーは、産地も品質も問われない日用品だった。それを変えたのが「スペシャルティコーヒー」だ。
業界は法律を待たず、自ら100点満点の採点基準を作り、一定の点数を超えた豆だけがその名を名乗れると定めた。産地表示は国単位から農園単位へと細かくなり、品種や精製方法までラベルに記され、消費者は高い一杯の理由を理解して選ぶようになった。高まった価値は、作り手にも還元されていった。※8
今後、世界での抹茶価格は低価格化する
抹茶に必要なのは、この道ではないか。産地に加え、品種、覆いをかけた日数、挽き方、そして等級――「セレモニアル」という空語の代わりに、業界自身が定義した基準をラベルに掲げること。GI登録で「日本産」という土台はできた。その上の格付けは、法律を待たなくても、今日から始められる。
生産の現場も危機感を持つ。前出の岩本涼さんは、国際日本茶協会のインタビューでこう語る。
「これから海外での抹茶生産が始まると、世界での抹茶の価格はどんどん低価格なものにリプレイスされていくと考えています。そういった世界のなかで日本の抹茶が勝つためには高付加価値なものである以外の勝ち筋がほとんどない」
幸い、2025年の緑茶輸出額は約721億円と前年の約2倍に達し、追い風は吹いている。※4
守るべきは「純血」ではなく「正直さ」
断っておくが、これは「日本の食に触るな」という話ではない。天ぷらはポルトガル伝来の揚げ物が源流で、トンカツとコロッケは仏コートレットとクロケットの和製、カレーは英国経由のインド製だ。借りて磨いて自分のものにするのは日本の得意技であり、どこの国も同様のことをしてきた。
そもそも、抹茶自体が、宋の点茶を磨き上げた再解釈の傑作である。ヨーロッパの人がマンゴー抹茶やピンク抹茶を楽しむのも自由だ。問題は再解釈ではなく、基準なき「誤表示」の放置だろう。
そのいい例が「わさび」だ。海外の寿司店で出てくる「wasabi」の多くは、本わさびとは別物の、緑に着色した西洋わさび(ホースラディッシュ)を使った加工品である。
それでも「wasabi」は世界共通語になった。そして本家の足元では、国産の沢わさびの生産量は2006年からの15年で6割近く減った。
その間隙を突くように、海外での本わさび栽培が広がっている。日本のわさび加工大手カネクも、台湾やインドネシアに加え「最近では中国」などでも栽培されていると解説する。ジェトロによれば、世界に広がった「wasabi」の棚には、日本以外の産地のものがすでに多く流通している。抹茶と同じ構造だ。※9
和牛も合法的に米国へ渡った
もう一つの事例が「和牛」だろう。1970〜90年代、和牛の生体や精液が合法的に米国へ渡り、米国経由で豪州にも広がった。その遺伝資源をもとに豪州の「Wagyu」は約30万頭まで増え、食肉輸出量は一時、本家日本の約10倍に達した。※9b
名前は世界化したのに、取り分は他国のものになってしまった。基準を持たずに名前だけが独り歩きすると何が起きるか、これほど分かりやすい教材はない。
そして次の候補が「ほうじ茶」だ。英国では「ネクスト抹茶」と呼ばれてカフェのメニューに載り始め、「hojicha latte」の検索数はこの1年あまりで173%伸びた。
業界メディアは、抹茶の品薄を受けた代替としてほうじ茶関連の供給拡大が進むと報じている。すでに韓国・済州島の茶業者は「Hojicha」の名で海外展開を始めた。ブームが本格化し、名前が独り歩きしてからでは遅い。基準と物語をセットで輸出する、最後の好機かもしれない。※10
MATCHAを再発見したのは、日本ではない
最後に、もう一つの光景を。
ブダペストのインテリアショップ「ZARA HOME」には、茶筅・茶碗・抹茶缶をセットにした「抹茶キット」が食器と並んで売られている。日本人としてうれしくなると同時に複雑な気持ちになった。当の日本では、一般家庭で抹茶を点てて飲む習慣などほとんどない。
日常の緑茶はペットボトルに移り、岩本さんが起業した頃、茶価は過去最安値を更新していた。今回のブームに火をつけたのも日本ではなく、米国のカフェ文化とSNSである。
つまり日本は、供給だけでなく需要すら育ててこなかった。手放しかけていた価値を見つけ出し、ブームにしたのは海外なのだ。※11
折しも7月21日、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2026」(骨太の方針)を閣議決定した。アニメ・マンガ・ゲームなどのコンテンツを国の17戦略分野の一つに位置づけ、さらに農林水産物・食品を「コンテンツと連携した一体的なブランディング」で売り出す新たな戦略を推進するという。
和牛肉を含む国産食品の海外需要拡大も明記された。方向は正しい。だが本稿で見てきた通り、基準なきブランディングは、定義のない言葉に広告費を注ぐことにしかならない。
GI登録で名前は守られた。次に必要なのは、コーヒーが歩んだ道――基準による価値の体系化だ。国が守るべきは「Matcha」という言葉そのものではない。覆いをかけ、石臼を回し、日本ブランドを地道に作り上げてきた作り手たちである。食卓の宇治抹茶が入れ替わるまでに残された時間は決して長くない。※12
【出典一覧】
※1(出典:読売新聞オンライン「中国で最も貧しい省から『世界抹茶の都』に…"本家"日本の技術・品種導入、生産量4年で6倍に」2026年6月12日/参議院農林水産委員会調査室「茶の輸出拡大―抹茶供給体制の現状と課題―」2025年12月)
※2(出典:読売新聞オンライン・同上)
※3(出典:共同通信「中国、世界の一大抹茶供給源に 内陸部、日本茶人気で生産拡大」
「世界的ブームの抹茶『中国が発祥の地』とアピール、世界生産7割を占め『日本を凌駕することを願う』」2026年6月11日〔dメニューニュース版〕)
※4(出典:100BANCH/国際日本茶協会/Forbes JAPAN「Matchaをブームで終わらせないために 日本は今何ができるのか」2026年4月24日)
(出典:読売新聞 721億円と前年の約2倍に)
※5(出典:日本食糧新聞)
※6(出典:農林水産省/食品新聞)
※7 https://www.jacom.or.jp/articles/220415-58252
※8(出典:UCC「スペシャルティコーヒーについて」/日本スペシャルティコーヒー協会「スペシャルティコーヒーの定義」)
※9(出典:ジェトロ「わさび」/ジェトロ地域・分析レポート2026年1月/林野庁「特用林産物生産統計調査」/わさラボ(同統計を引用)/カネク株式会社「わさびについて」)
※9b(出典:ジェトロ「和牛」/地球・人間環境フォーラム)
※10(出典:Country & Town House/FoodNavigator/Business Wire(済州・Sumang社リリース))
※11(出典:日経BOOKプラス)
※12(出典:経済財政運営と改革の基本方針2026(令和8年7月21日閣議決定)内閣府 /本文PDF)