100kmを一気に走る「ウルトラマラソン」の第一人者・岡山春紀さん。4年前、スーパーのふつうの社員として働きながら、世界大会で見事に優勝を飾った。だが今夏、会社員生活に終止符を打ち、思い切って独立。安定収入を捨てて世界新のタイムを目指すことに。スポーツライターの酒井政人さんが、本人と妻の侑子さんにその思いと人生戦略を聞いた――。
岡山春紀さん
撮影=古家裕真
岡山春紀さん

普通のスーパー店員が世界王者に

「世界記録を出すことができたら、そこで競技をやめてもいい。そのくらいの気持ちです」

そう語るのは、100kmを6時間12分10秒で走る岡山春紀(31歳)だ。

2022年、IAU100km世界選手権で優勝。2024年の同大会では銅メダルを獲得し、2026年3月のIAU50km世界選手権ではアジア記録となる2時間50分44秒をマークして8位に入っている。

これだけの実績を持ちながら、岡山はこれまで「会社員ランナー」だった。

所属していたのは、首都圏を中心にスーパーマーケットを展開するコモディイイダだ。世界一になった後も、会社員として働きながら競技を続けてきた。しかし今年8月末で会社を退職。9月から「プロのウルトラランナー」として活動することを決めた。

「僕が本当にやりたいのは、ウルトラマラソンです。海外のレースにも出たい。100kmの世界記録にも挑戦したい。コムラッズにも行きたい。世界中のウルトラマラソンを走ってみたい」

500万円の安定収入を捨てて

推定年収500万円の安定した会社員生活を捨ててまで、なぜ走るのか。

そこには、一度は陸上競技のエリートコースから外れた男ならではの、独自の人生設計とセルフマネジメント術がある。

岡山の競技人生は、決して順風満帆ではなかった。熊本・鎮西高校から「箱根駅伝」を目指して東京農業大学に進学したものの、陸上競技部の入部資格に届かず、夢はすぐについえた。それでも走ることはやめなかった。

市民ランナーとして競技を続け、大卒後はコモディイイダに入社。仕事と競技を両立するなかで、42.195kmの2倍以上を走破するウルトラマラソンで結果を残す。しかし、実業団チームの主戦場は駅伝だ。実業団駅伝で活躍しないとチーム内の評価は上がりにくい。

今年4月から岡山は、一般業務の免除がある「強化選手」ではなく、通常業務をこなしながら競技を続ける一般部員となった。

「会社員として働いていたころは、競技だけに集中できる生活ではありませんでした。一般部員になってからは、朝5時ごろから20kmほど走って、8時から仕事です。フルタイム勤務して、仕事が終われば、帰宅ランで15kmから30kmほど走りました」

世界トップクラスのアスリートでありながら、一日の中心に競技を置くことはできない。仕事の前後に計35~50kmを走る日々を続けた。そして今年6月には南アフリカで開催された世界最大級のウルトラマラソン「コムラッズマラソン」(約85km〜90km、毎年、上りと下りのコースが交互に入れ替わる)で日本人最上位の5位に食い込んだ。

失敗を糧にする力

この生活が、結果的に岡山特有の「考える力」を育てた。特徴的なのは、トレーニング計画を固定的に考えないことだ。

「予定していた練習ができなかったら、『今日はダメだった』で終わらせる必要はありません。翌日に少し負荷を上げる。2日間をセットで考える。自分の体の状態を見ながら調整できます」

予定通りにできなかった日を「失敗」と判断するのではなく、数日単位で全体を組み直す。会社員として限られた時間で競技を続けるには、完璧なスケジュールを守るより、状況に応じて修正する力のほうが重要だった。

さらに岡山は「レース」を「練習」として活用した。

「大学時代から、何週も続けてフルマラソンに出たことがあります。42.195kmを何度も走る。レースの緊張感のなかで走る。疲労がある状態でも次のレースを走る。そういう経験が100kmにつながると考えています」

自分の身体と結果を見ながら、自分なりの方法を組み立てる。それが岡山の強みだった。

岡山春紀さん
撮影=古家裕真
岡山春紀さん

世界大会を逃して残った「もしかしたら」

プロ転向への思いを強めたのは、2026年IAU100km世界選手権の日本代表を逃したことだ。

コムラッズマラソンから約2週間後に開催されたサロマ湖100kmウルトラマラソンの気象が好条件となり、いい記録が続出。それまで代表獲得圏内につけていた岡山が押し出される形となったのだ。

「コムラッズから2週間ほどしかなく、僕はサロマ湖に『出ない』という判断をしました。普通に考えれば、無理をしないほうがいい。でも終わってみると、『出ても良かったかな』という思いも残りました」

約86kmを走った2週間後に100kmを走る。身体へのダメージを考えれば、回避するのは合理的だった。それでも、岡山には後悔が残った。

「出てダメなら、まだ納得できたかもしれません。挑戦せずに終わったからこそ、『もしかしたら』という気持ちが残ったんです」

会社員である以上、海外レースに出場するには何日も仕事を休まなければならない。そのため、「会社に申し訳ない」と思う場面もあったという。だから岡山は、会社への不満からではなく、自分が本当にやりたい競技を優先するために環境を変えることにした。

「コモディイイダは陸上競技に非常に理解のある会社でした。職場のみなさんも応援してくれました。だから、不満があって辞めるわけではありません。むしろ感謝しています。それでも自分の陸上人生を考えたとき、『このままでいいのか』という気持ちが強くなりました」

年間1000万円をどう集めるのか

プロになれば、時間の自由は増える。その代わり、経済的な安定は失う。これまでは毎月の給与があり、海外の世界選手権では会社が遠征費を負担することもあった。今後はエントリー費、遠征費、合宿費などを自分で用意しなければならない。

岡山がひとつの目安としているのが、年間1000万円の活動資金だ。

「年間1000万円ほど確保できれば、かなり充実した競技活動ができるのではないかと考えています」

ただし、現時点で十分なスポンサーが集まっているわけではない。

「正直、不安はあります。それでも、まず動かなければ始まりません。スポンサーを探し、自分の活動を知ってもらう。結果を出す。そして応援してもらえる選手になりたいです」

会社員時代は、競技に集中すればよかった。これからは、自分自身の価値を説明し、企業に支援してもらい、競技資金を確保しなければならない。裸一貫となり、走りながら自分自身のブランド価値を高めていく。それが岡山の選んだ「プロ」の道だった。

岡山春紀さん
写真=本人提供
岡山春紀さん

妻と決めた「2028年まで」という期限

結婚している岡山にとって、安定した会社員生活を手放すことは自分だけの問題ではない。妻の侑子さんは、当初からプロ転向に賛成していたわけではなかった。

侑子さんはこう話す。

「夫が会社を辞め、プロに挑戦するということは、簡単に受け入れられることではありませんでした。ただ、10年共に過ごしてきた中で、彼の陸上への情熱は並々ならぬものだと感じています。陸上は、彼の人生の全て。たくさん話し合い、ぶつかることもありましたが、最終的には夫の挑戦を見守ることにしました。挑戦すると決めたからには、悔いのないよう頑張ってほしいと思っています」

2人は将来について話し合い、侑子さんは扶養内でパート勤務していたが、働く日数を増やし社会保険料を支払うようにした。そして、岡山は“期限”を決めて挑戦することにした。ひとつの区切りが、岡山が34歳になる2028年だ。夢を無期限に追い続けるのではない。期限を決め、そこから逆算して結果を取りにいく。そこにも岡山の潔さと家族への責任感の強さが表れている。

2028年までに岡山が達成したい大きな目標は2つある。ひとつは、最大の栄誉である「コムラッズマラソンでの日本人初優勝」だ。初挑戦だった今年の大会で5位。十分なコース対策をしていなかったことを考えれば、岡山には大きな手応えがあった。

「実際に走ったことで、『勝負できる』という感覚がありました。コムラッズに合わせた(アップダウンのあるコースに適応した)トレーニングを積めば、もっと上に行けるのではないかと思っています」

しかも次回(来年)は節目となる第100回大会だ。世界的にも注目の集まる記念の大会で勝つことができれば、内外から脚光を浴びるに違いない。ブランドを高めるまたとないチャンスなのだ。

「ここまで来た。最後までやり切りたい」

もうひとつの目標が「100km世界記録の更新」だ。現在の世界記録は6時間05分35秒。岡山の自己ベストは2022年世界選手権で記録した6時間12分10秒。その差は6分35秒。岡山はこの小さくない差をどのように縮めていくつもりなのか。

「プロ転向によって期待できるのは、練習量を増やすことだけではありません。練習やレース後の“回復”に使える時間が増やせます」

暑い東京を離れて涼しい場所で合宿する。海外でトレーニングする。練習後のケア、食事、睡眠に時間をかける。これまで仕事の前後に押し込んでいた競技を、一日の中心に据えることができる。

「プロになって練習と回復に集中できるようになれば、まだ伸びる余地があると思っています。だからこそ、本気で世界記録を狙いたい」

リカバリーにより持前のポテンシャルをさらに上げれば、世界最高記録を抜くこともできる。岡山はそう算段している。

岡山春紀さん
写真=本人提供
岡山春紀さん

そして2028年にはIAU100km世界選手権もある。2022年に優勝し、2024年は3位だった。そこで再び「世界一」に返り咲くことも射程内に入れている。

「僕はすでに一度、世界一になることができました。(陸上部にさえ入れなかった)大学時代の自分から考えれば、それだけでも信じられないような競技人生です。でも、せっかくここまで来た。だったら、最後までやり切りたい」

31歳で自ら会社員という安定を手放した。岡山の選択は、単なる「夢への挑戦」ではない。経済的なリスクを引き受けたうえで、期限を決め、限られた競技人生を追求する。自分の夢や可能性に人生を懸ける。シビアな道ではあるが、これほど幸福で贅沢な生き方はないかもしれない。