天皇皇后両陛下の長女、愛子さまが8月1日から2日に、伊勢神宮の「お木曳」を視察するため三重県伊勢市を訪問された。皇室研究家で神道学者の高森明勅さんは「皇室の未来に『愛子天皇』を展望する点で、皇室の方々のお考えと多くの国民の願いは、ぴったり一致している」という――。
平成25年(2013年)の式年遷宮に建てられた伊勢神宮内宮の正殿
平成25年(2013年)の式年遷宮に建てられた伊勢神宮内宮の正殿(写真=Ocdp/CC-Zero/Wikimedia Commons

愛子さまが「お木曳」視察

8月1日から2日にかけて、天皇皇后両陛下のご長女、敬宮としのみや(愛子内親王)殿下が三重県を訪れられた。皇室の祖先神の天照大御神を祀る伊勢の神宮で、20年に1度行われる「式年遷宮」に向けて、神殿を新しく建て替えるためのヒノキ(檜)のご用材(お木)を、宮域に曳き入れる伝統行事「お木曳きひき」をご視察されるのがおもな目的だった。

式年遷宮は、決まった年(式年)ごとに新しい神殿を建て、大御神がやどるご神体(皇室に伝わる三種の神器の1つ八咫鏡やたのかがみ)を新宮にいみやにうつす、神宮で最大の祭典だ。

そのおこりは、飛鳥時代の女性天皇、持統天皇のころにさかのぼる。持統天皇が夫だった天武天皇のお気持ちを受け継ぎ、690年に実施されたのが第1回とされている(『太神宮諸雑事記』『二所太神宮例文』)。

それ以来、1300年を超える長い歳月の中で、戦国時代に百年あまり中断を余儀なくされた。しかし、織田信長、豊臣秀吉らの寄進によって復活し、現代にいたっている。

小学時代から「式年遷宮」に関心

敬宮殿下が神宮にお参りされるのは今回が3度目。最初は前回の式年遷宮の翌年、平成26年(2014年)7月に、天皇皇后両陛下(当時は皇太子同妃)とご一緒に参拝された。12歳で、学習院女子中等科に入学された年だ。

殿下は学習院初等科6年の時に、ちょうど式年遷宮の年にあたっていたことから関心を持たれ、放送委員として「式年遷宮」について原稿を書いて、放送されていた。すでにある程度、予備知識を持たれた上で、初めてのご参拝に臨まれたことになる。

2回目は単独でのご参拝だった。学習院大学を卒業され、日本赤十字社の嘱託として常勤勤務が決まった令和6年(2024年)3月のことだ。

この時は、ご自身のお気持ちによって、神宮に仕えた皇女の歴史を展示した、斎宮歴史博物館にも立ち寄られた。この事実から、令和における“唯一の皇女”でいらっしゃるご自身のお立場を、深く自覚しておられることが拝察できる。

伊勢でも“愛子さまフィーバー”

今回の三重県ご訪問の初日、近鉄・宇治山田駅で一見勝之三重県知事らの出迎えを受けられた。敬宮殿下は、クリーム色の夏らしい半袖の清楚なワンピースを召されていた。

駅の周辺には猛暑の中にもかかわらず、早くから奉迎のために多くの人たちが詰めかけていた。待ちかねていた敬宮殿下のお姿が見えると、口々に「愛子さま〜」と歓声をあげた。敬宮殿下は輝くような笑顔でお手を振って、奉迎の人々に応えられた。各地での“愛子さまフィーバー”は相変わらずだ。

「愛子さまが天皇になったらいい」

名古屋テレビ「メ~テレニュース」(8月3日放送)では、奉迎者の声を紹介していた。

「愛子さまがね、天皇になったらいいなと思います」(女性)
「僕は愛子さまが(天皇に)なってもいいと思いますけどね。本当の血を継いでるって感じで」(男性)
「(皇室典範のルールは)今の時代には合ってない気はしますけれども」(女性)

「次代への継承」という問題意識

敬宮殿下はまず、山田工作場こうさくばを訪れられた。天照大御神にお供えするお食物(大御饌おおみけ)の守護神であり、人々の産業の守り神ともされる豊受大御神とようけのおおみかみを祀る外宮げくうの神域の西側に隣接する。8万8088平方メートル(およそ東京ドーム1.7個分)という広大な敷地をもつ。

ここでは、おもに遷宮のためのご用材を工作する。身を清めて白い作業服を着た技師、宮大工たちが、心をこめて慎重に作業している。

神宮は全国の神社の中でも最も神聖かつ尊貴とされる。ご用材の加工作業についてさえ、清浄さが求められる。そのために、このような専属の施設を備えている。

敬宮殿下は、木材から必要な部分を切り出すために墨でしるしをつける「墨掛け」などについて説明を受けられた。その説明に対し、敬宮殿下は技術の継承に触れ、「次の方に引き継がれるんですか?」と質問されたという。

「次代への継承」という問題意識を、鮮明にもっておられることが伝わる。そうであれば、ご本人が構成メンバーの中核的なお一人であられる、皇室の継承について無関心でいらっしゃるはずがない。

2年前は「雨が止み屋根がまぶしく輝いた」

2日目の午前は、神宮参拝の通例にしたがって、外宮をお参りされた後、天照大御神が祀られる内宮ないくうに参拝された。

前回のご参拝の時に、不思議な現象があった。当日、それまで強く降っていた雨が止んだだけでなく、敬宮殿下が内宮の外玉垣西御門とのたまがきにしごもんを通って中重鳥居なかのえのとりいもくぐられると、前にある内玉垣うちたまがき南御門の萱葺かやぶきの屋根に急に強い陽光が差し始め、屋根がまぶしく輝いて見えた。

内宮が太陽の女神を祀る聖域だけに、タイミングの絶妙さも重なって、その光景を見た人たちに強い印象を与えた。

今回は、強い夏陽が照りつける猛暑となった。敬宮殿下はご参拝のため、純白の長袖のロングドレスという、暑い日には厳しい装い。しかし照りつける日差しの中でも、長い砂利道の参道をゆっくりと優美に歩まれつつ、参道脇にひかえる人たちに穏やかな笑顔で会釈されるお姿は、まさに皇女ならではの清らかな気品に溢れていた。

長い歴史をもつお木曳行事

同日午後には、いよいよお木曳行事に臨まれた。

お木曳は新宮に使われるご用材を宮域に運び込む大がかりな行事だ。そのような作業工程自体は、もちろん式年遷宮のおこりと共に始まっている。

しかし、それが単なる運搬作業でなく、めでたくにぎやかな“特別の行事”という性格を持ってくるのは、少し時代がくだるようだ。

史料によって確認できるのは、第40回(1462年)に向けて準備が進む中でのことだった(『寛正三年造内宮記』)。ただし、当時の記録に「例にまかせて(これまでの例のとおりに)」とあるので、これ以前からすでに恒例化していたと見られる。

現在、お木曳は、もと「神領しんりょう」=神宮の領地とされていた地元の人々が多数参加し、はっぴ姿でご用材を運ぶ白い綱を「エンヤ、エンヤ」という独特の掛け声とともに曳く。地元以外の人にも参加の機会があり、私自身も第61回(平成5年[1993年])をひかえたお木曳に、「一日神領民」(今は特別神領民という)として加わった。よそ者の私でも、沸き立つような高揚感を覚えた。

お木曳行事の、一日神領民の奉曳車。三重県伊勢市宮町で2007年撮影
お木曳行事の、一日神領民の奉曳車。三重県伊勢市宮町で2007年撮影(写真=Tawashi2006/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

愛子さま「神の御柱曳き給う」

外宮のご用材を陸上から運び込む「陸曳おかびき」に対して、内宮は近くを流れる五十鈴川いすずがわの流れを利用して運び込むので「川曳かわびき」と呼ぶ。

その川曳の様子をご覧になるために、敬宮殿下がわざわざお出ましになった。それが地元の人たちにとって、よほど嬉しいことだったらしい。

敬宮殿下が川岸の仮設テントから、川の中でご用材を曳く人々の姿を眺めておられると、趣向をこらした一幕があった。木を動かし始める合図として歌われる「木遣きやり唄」に、敬宮殿下を歓迎する気持ちを表わす特別な歌詞が盛り込まれたのだ。

「敬宮さま 二十歳はたとせごとの 神の御柱みはしら 曳きたまう」と。

敬宮殿下は地元の人たちの心づかいにとても喜ばれたという。歌詞の言葉の選択も、一般的な「愛子さま」(ご本名)でなく、「敬宮さま」(直系だけのご称号)としたあたりも、神宮が鎮座する伊勢の地らしく、奥ゆかしい。

川曳。伊勢市の五十鈴川で2006年に撮影。
川曳。伊勢市の五十鈴川で2006年に撮影。(写真=Tawashi/CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers/Wikimedia Commons

地元の人びとと綱を握った愛子さま

敬宮殿下は木遣り唄に「曳き給う(お曳きになる)」と歌われたとおり、実際にご用材を内宮の参道に運び込む時、お召しの白い長袖のジャケットを脱いではっぴを身につけ、綱を曳く人々の列に加わられた。靴は足を踏ん張れるようにヒールのついていないフラットシューズに履き替え、地元の人びとと共に綱を握られ、掛け声に合わせて力強く曳かれた。

敬宮殿下が形だけでなく、本気で綱を曳かれたことに驚いた人もいたようだ。しかし、いかにも敬宮殿下らしい真摯さ、と言うべきだろう。

伝統行事「お木曳」に参加され、笑顔で綱を引く愛子さま。2026年8月2日午後、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮
写真提供=共同通信社
伝統行事「お木曳」に参加され、笑顔で綱を引く愛子さま。2026年8月2日午後、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮

「国民の中に入っていく皇室」の実践

天皇陛下も皇太子時代の平成19年(2007年)に、前回の式年遷宮に向けた川曳をご視察になり、同じくはっぴ姿で綱を曳かれている。これは、天皇陛下がまだ浩宮ひろのみやと呼ばれていた26歳のころに、「(国民が望むのは)国民の中に入っていく皇室だと思います」(昭和61年[1986年]7月23日)とおっしゃっていたことを、そのとおり実践された一例だろう。敬宮殿下のこのたびのなさりようは、それをしっかりと受け継がれたものだ。

ご帰京にあたり、宇治山田駅に着いてお車から降りられる前に、運転手に丁寧にお礼を述べておられた。そのことは、帽子をかぶった運転手が恐縮しつつ、白手袋で挙手の礼を繰り返していた様子から察することができる。これも陛下ゆずりの謙虚なお人柄ゆえだろう。

両陛下と同じ場所で奉迎者に応えた

ちなみに、初日に敬宮殿下が三重県に向かわれる途中、名古屋駅で近鉄線に乗り換えられる時も、多く奉迎者がいた。ここでも「愛子さま〜」「敬宮さま〜」という歓声があがっていた。

その人たちに対して、敬宮殿下は改札を出て少し横にずれた場所で、乗り換えの途中なのにわざわざ立ち止まって、軽く頭を下げられ、笑顔でお手を振ってお応えになられた。随行者の不自然な動きから、それが殿下のとっさのご判断による、予定外の対応だったことが想像できる。

じつは昨年11月、天皇皇后両陛下が「全国豊かな海づくり大会」へのご臨席のために三重県に向かわれた時も、乗り換えに際してまさに同じ場所に立ち止まって、奉迎者に応えておられた。そのことは、当時の映像によって確認できる。

これは偶然だろうか。もし偶然なら、両陛下の「国民に寄り添う」丁寧なお心の配りようを、敬宮殿下が驚異的なほど忠実に受け継いでおられる事実を示す。それともご出発前に、両陛下から昨年の経緯を、奉迎者の位置まで含めて詳しくお聴きになっていたのだろうか。

どちらにしても尋常ではない。このような一致は直系にしかあり得ないし、たとえ親子でも普通の家庭なら、ここまで徹底した受け継ぎは想像できない。

世襲は親から子へ

憲法は「皇位は世襲」と定める(第2条)。世襲は親から子への継承を基本とする。

天皇皇后両陛下にお子さまがいらっしゃらないのならばともかく、今回の三重県へのお出ましでのなさりようからも明らかなように、令和の皇室で誰よりも両陛下のお気持ちを真っ直ぐに受け継ぐ敬宮殿下が、現にいらっしゃる。そうであれば、次代の天皇として敬宮殿下が即位されるのは当たり前という感覚を、多くの国民が共有している。

国民が示す「女性天皇」への賛成の意思

時代錯誤な「男系男子」限定にこだわった先の皇室典範改正後の世論調査でも、7割から8割以上の国民が「女性天皇」への賛成の意思を示している。

毎日新聞(7月18、19日)賛成=72%
読売新聞(7月24日〜26日)賛成=85%
※この調査では「皇室典範を再び改正して女性天皇を認めること」への賛否を問うている。
日経新聞+テレビ東京(7月24日〜26日)賛成=84%
共同通信(7月25日、26日)賛成=81.0%

こうした賛成の多さは、とりわけ敬宮殿下への共感と期待の高さが背景にあると見てよいだろう。

それは単なるアイドル的な人気ではない。天皇陛下が体現されている皇室の大切な精神を、最も純粋に受け継がれているのが直系の長子でいらっしゃる敬宮殿下であることを、国民が無意識的にでも直覚しているからとしか考えられない。したがって、敬宮殿下の卓越した求心力は「世襲制」の必然と言うほかない。

「愛子天皇」が皇室を救う

読売新聞が皇室の方々のご本心に迫る興味深い記事を載せていた(7月18日付)。

「小泉政権下の有識者会議が『女性・女系天皇』を容認した2005年。ある宮内庁の元幹部によると、天皇陛下は直系継承の安定に資する方策に理解を示した上で、『慎重に進めてほしい』と望まれた。性別に限らず長子優先の皇位継承が認められれば、長女愛子さまがいずれ即位される。『その未来を見据えたお言葉だ』と元幹部は感じとった。秋篠宮さまも天皇家を支えるお立場で『その方向でよい』と賛同されたという」

この記事は、これまで知られている天皇陛下や上皇陛下のおことば、さらに側近奉仕者の発言などと整合的だ。

とくに秋篠宮殿下は、記者会見で繰り返し悠仁親王殿下へのいわゆる帝王学をめぐる質問を受けても、一度も真正面からお答えになったことがない。また、実際にそのような特別の教育がなされている形跡もない。

この事実は、「(天皇陛下の“長女愛子さまがいずれ即位される”)その方向でよい」という秋篠宮殿下ご自身のご判断によるものだったと考えると、素直に納得できる。時代が平成から令和にうつる時に、自ら「皇太子」類似の称号を辞退され、傍系の表示である「秋篠宮」という宮号を維持されたのも、同じ理由からだろう。

皇室の未来に「愛子天皇」を展望する点で、皇室の方々のお考えと多くの国民の願いは、ぴったり一致している。客観的にも、一夫一婦制で少子化なのに伝統でもない「男系男子」限定ルールをそのまま維持することは、皇位の継承を行き詰まらせ、皇室の存続を危うくする。

だから皇位継承問題の解決策はただ1つ。皇室典範を再改正して、皇位継承資格の男系男子限定を解除することだ。その先に皇室の危機を救う「愛子天皇」の可能性が浮かび上がる。