皇室典範改正後の内閣支持率急落
7月17日、改正皇室典範が成立した。
これは、自民党の麻生太郎副総裁主導の下に進められてきたものだが、あるいはそこに大きな誤算があったのかもしれない。何よりその直後、麻生副総裁が支える高市早苗内閣の支持率は急落してしまったからだ。
誤算はそれだけではない。改正の作業があまりに強引に進められてきたため、世論の支持を失った。
毎日新聞の全国世論調査では、旧宮家から養子をとった場合、生まれた男子に皇位継承の資格を与えることへの賛成は26%に過ぎず、反対の41%を大きく下回った。18、19日の世論調査でも、高市内閣の支持率は下落して41%となり、2025年10月の内閣発足以来最低となる。一方、不支持率は44%となり、初めて不支持率が支持率を上回った(毎日新聞7月20日付)。静謐な環境での審議や、「立法府の総意」が蔑ろにされてしまった影響は大きい。
しかし、麻生副総裁にとっての最大の誤算は、世論の支持を失ったことではない。そうではなく、旧宮家の男子という天皇家にとっては“赤の他人”を養子に迎えるより、女性天皇に道を開き、愛子内親王を天皇に即位させたほうが好ましいという国民の期待を、今まで以上に高めてしまったことである。
これほど、「愛子天皇」待望論が力を得たことは、これまでにあっただろうか。
「愛子さまが皇位継承できない」への注目
皇室典範では、皇位は男系によって継承されると定められている。つまり、これまでも、愛子内親王が天皇に即位することはできなかった。
ただ、皇室典範改正への具体的な動きが国会で起こるまで、国民のあいだでは、そのことは十分に認識されていなかった。皇室典範は法律であり、使われる言葉も難しい。一般の人たちが日頃目にするものではない。目にしても、法律に精通していないと、意味が分からないことが多い。
改正の作業が進むなかで、各新聞社は、女性天皇や女系天皇を容認する割合が国民のあいだで高いことを、くり返し報道した。それによって、愛子内親王に皇位継承の資格がないことに、今まで以上に大きな注目が集まったのだ。
一方で、これまでほとんどの国民が知らなかった「旧宮家」なるものの存在が急に浮上してきた。11の宮家が臣籍降下し旧宮家となったのは、今から80年近くも前の1947年のことである。
旧宮家が宮家であった時代を知るのは、相当な高齢者だけである。中学や高校の歴史の教科書では、戦後に民主化政策が進められるなかで11の宮家が皇室を離脱したと述べられているだけである。
それから間もない時代には、旧宮家の人々がどうなったかが報道されることはあった。なにしろ、なんと没落してしまった家もあったからである。
「なんでいまさら旧宮家なのか」
旧宮家が宮家であった時代、彼らは「特権階級」として特別な地位を保っていた。特権階級には、華族や士族もあった。そうした身分の違いは、さまざまな場面で露呈し、平民と位置づけられた一般の国民には苦々しい存在でもあった。
そうした特権階級が没落することは、同情も呼んだかもしれないが、それを戦後の民主的な社会がもたらした“痛快な出来事”と受けとるむきも少なくなかったのである。
しかし最近では、今回の改正論議が巻き起こるまで、旧宮家の人々に注目が集まることはなかった。話題にのぼることもなかった。そのことが一般の国民に唐突な印象を与えたのは間違いない。
「なんでいまさら旧宮家なのか」
それが、国民のいつわらざる気持ちである。
しかも、これが決定的に重要なことなのだが、今回の皇室典範の改正が、表向きは皇族数の確保を目的としていながら、本当の目的は別にあることが、白日の下にさらされたのである。
「女性・女系天皇」阻止のための法改正
養子案が提言されたのは、実は、「女性天皇や女系天皇を阻止するため」だったということである。
これは朝日新聞で報道されたことだが、養子案に積極的に賛同する見解を述べ続けてきた百地章日本大学名誉教授は、「一貫して男系で継承されてきた皇室の解体を意味する女系天皇の可能性を排除し、画期的な皇室典範改正となったと高く評価」したのである。
それまでも、養子案が女性天皇や女系天皇を阻止するために持ち出されてきたことが報道されてきた。しかし、それが改正の「本当の目的」だとはっきりと言われることはなかった。
百地名誉教授は、改正が自分たちの思い通りに進んだことにはしゃいでしまったのか、思わず「本音」をもらしてしまった。それは百地名誉教授にとってだけではなく、麻生副総裁や保守派全体に共通して言えることだろう。それにしても、「女系天皇が皇室を解体する」とは、国民のとらえ方とははなはだしく乖離している。
これまでも〈だから麻生太郎は“愛子天皇”を絶対阻止したい…島田裕巳が読み取った「執念の政治家の最終目的」〉で指摘してきたように、皇室の存在が、国民に対して強い影響力を発揮することを快く思わない政治家や保守派の論客にとって、今や絶大な人気を誇る愛子内親王の存在自体が脅威なのだ。
戦後天皇制の象徴である愛子さまの存在
愛子内親王は、天皇の唯一の子どもであり、戦後の皇室が推し進めてきた、平和を志向する開かれた皇室の伝統をそのまま受け継いできた、象徴的な存在である。
戦後になるまで、天皇や皇族と結婚するのは皇族や旧華族の人間だけに限られてきた。明治天皇の側室でさえ、華族など上層身分の家の出身者から選ばれた。
ところが、美智子上皇后も雅子皇后も、皇族や旧華族とはいっさいかかわりのない民間の出身である。二人ともそのために多くの苦労を重ねてきたものの、皇室と国民との距離を縮める上で多大な功績を残してきた。
その結晶が、愛子内親王なのである。
麻生副総裁としては、三笠宮寛仁親王と結婚した実の妹である信子妃が男の子を生んでくれていさえすれば、という思いがあるのかもしれない。その男児は、天皇の孫ではないので、「親王」ではなく「王」となる。
それでも、皇位継承の資格では、秋篠宮、悠仁親王、常陸宮に次いで第4位になる。悠仁親王に男子が生まれなければ、その男の子が将来の天皇になる。ここに最初の誤算があったのかもしれない。その道が断たれたことで、養子案を推し進めてしまったのである。
麻生副総裁の思惑通りに進んでいるのか
改正皇室典範は、24日に公布され、3カ月後に施行される予定だ。
養子案が実現されたことで、麻生副総裁の妹の三笠宮寬仁親王妃家か、副総裁の姪である彬子女王が当主となった三笠宮家が養親となるのではないか、と言われるようになった。もし、そうした方向に事が進めば、麻生太郎氏は養子縁組を介して、将来の天皇の親族に連なる可能性も出てきた。
ただ、その結果、麻生副総裁にそうした野望があるのではないかと批判されるようにもなってきた。
また、改正によって皇族費が増額されたのは、麻生副総裁とは血縁である彬子女王を優遇するためではないかという批判も生むことになった。なにしろ彬子女王の場合、以前の倍になったからである。
何もかも麻生副総裁の思惑通りに進んでいるのではないか。そんな疑問を、広く国民は抱くようになってきた。
そもそも養子案は相当に無理をして生み出されてきたものである。「苦肉の策」とも言える。平たく言えば、「ゴリ押し」だ。それも、伝統を破壊する側面を強く持っているからである。
何より、臣籍降下して何代も経った一般国民が皇族に復帰した前例はない。本人やその子どもが復帰したことはあるが、子どもとなれば、2例しかない。
孫以下は皆無である。旧宮家から養子に入ると仮定されている男子の場合、すでにその祖父でさえ皇族であった時代を経験していない。自分たちが皇族になるとは夢にも思っていなかったはずだ。
皇室の伝統を完璧に破壊した皇室典範改正
戦前の旧皇室典範は、それが定められてから一度も改正されなかったものの、明治40(1907)年に一度増補されており、その第6条は、「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス」となっていた。いったん皇族から離れたら、二度と戻れないというわけである。皇籍復帰の、禁止である。
これは、戦後の皇室典範には盛り込まれなかったものの、それが伝統としてとらえられてきたことは間違いない。しかも、戦後の皇室典範第9条は「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と定めていた。今回の令和の改正は、そうした皇室の伝統を完璧に破壊したのだ。
保守派は、女系天皇は、皇室の長い伝統を破壊するものであり、断じて認められないという立場をとってきた。
ところが、それに固執するあまり、別のところでは平気で伝統を破壊している。
ただ、別の見方もできる。これまで改正されることがなかった皇室典範が、歪んだ形ではあっても改正されたことには意義がある、と。
戦前の皇室典範は、途中で増補はされても、改正はされなかった。戦後の皇室典範も、上皇が退位するときにさえ特例法で処理され、改正には至らなかった。それが今回、改正されたのであり、「典範」という言葉の特殊な響きから解放されたとも言える。
はるかに容易になった「次の改正」
これまで皇室典範には、天皇が定めたことで、議会が改正できるものではないというニュアンスがあった。
養子案にしても、それは、保守派にとって「最後の切り札」である。もしそれが機能せず、養子が現れなかったら、さらにその先に打つ手がない。
すでに旧宮家の系譜に属する人々からは、一般国民として長く暮らしてきた人間が皇族に復帰するのは無理だという声が上がっている。
しかも、養子となった人間は二度と皇室を離れられないと定められてしまった。養子に入ってうまくいかなくても、もう皇室から逃げられないのである。なんとも恐ろしい規定である。皮肉なことに、養子になると手を挙げることを、この法制は確実に難しくしている。制度の作り方を誤っているとも言えよう。
ただ、皇室典範がいったん改正された以上、次の改正が、これまでとは異なり、はるかに容易になったのは間違いない。
これから求められるのは、女性天皇や女系天皇を認める方向での改正であり、それこそが国民の多くが望むところである。養子が現れでもしたら、愛子内親王に継承権がないことが不自然とされ、「愛子天皇」待望論を再燃させる。すでに、そうした気運はより一層高まっており、麻生副総裁の思惑通りに事は進んでいない。
決定的な大誤算があったのではないか、と言うのは、まさにそこなのである。