今国会中の皇室典範改正に、高市政権が意欲を見せている。「皇族数の確保」が主題とされるなかで、皇室史に詳しい島田裕巳さんは「国会での議論は、『男子男系の血統』のみに終始し、皇室の伝統への理解という大事な観点が抜け落ちている」という――。
宮内庁楽部による春季雅楽演奏会に臨まれる愛子さま=2026年4月25日午後、皇居(代表撮影)
写真提供=共同通信社
宮内庁楽部による春季雅楽演奏会に臨まれる愛子さま=2026年4月25日午後、皇居(代表撮影)

天皇家の中心となる愛子さまの存在

4月21日、天皇一家は東京国際フォーラムで開かれた「第41回世界獣医師会大会」に出席した。これは獣医学の分野で最も歴史のある学会で、天皇は開会式における英語での挨拶において、一家で保護犬や保護猫を飼ってきたことに触れ、「動物たちの健康を守り、命を救う獣医師の仕事に深く感銘を受けている」などと語った。

その後、関連する講演を聴く際には、客席で愛子内親王を中心に一家は座った。この座り方は、WBCのオーストラリア戦を観戦したときと同じである。すでに述べたように、そこからは、愛子内親王を天皇家の中心に位置づけようとする天皇皇后の隠されたメッセージを読み取ることができる。

愛子内親王の最近の活動からは、そうした状況が作られるなか、皇室における伝統を重視し、それを世の中に伝える役割を果たそうとしていることが見えてくる。

それを示す二つの出来事を取り上げたい。

一つは、皇居内楽部庁舎において行われる雅楽演奏会に連続して鑑賞に訪れていることである。

最初は、今上天皇とともに訪れていたが、最近では、愛子内親王が単独で鑑賞するようになっている。演奏会は春と秋の2度開かれるのだが、2022年秋から8回連続で足を運んでいる。

愛子さまが熱心に足を運ぶ雅楽演奏会

今回の春季雅楽演奏会を訪れたのは4月25日で、愛子内親王は質問をしながら熱心に鑑賞した。

今回は、内親王が昨年春にリクエストした「青海波せいがいは」が披露された。それも「輪台りんだい」と続けて演じられる正式なかたちであった。

皇族が演目をリクエストするのは珍しいことのようだが、「青海波」は、『源氏物語』のなかで、光源氏とその親友である頭中将が華やかに舞ったものである。大学で日本文学を専攻した愛子内親王ならではのリクエスト曲であり、「青海波」が演奏された際には、『源氏物語』の世界に思いをはせたことであろう。

雅楽演奏会には、一般の人たちも応募することができる。3日間6回行われるので1800人が入場できる。最近では愛子内親王が必ずどこかの回に訪れるので、その人気は高まっているようだ。ちなみに昨年の秋季には1万5000人近くの応募があった。倍率はほぼ8倍である。

ではなぜ、愛子内親王はこれほど足しげく、雅楽演奏会に足を運んでいるのだろうか。

醍醐帝の世に確立された日本の雅楽

愛子内親王が、最初は今上天皇とともに訪れていたが、今では単独で鑑賞するようになった経緯からすると、「雅楽のことは愛子に任せた」という天皇の意思が感じられる。

もちろんそこには、愛子内親王が雅楽に強い関心を寄せているという個人的な事情もあるだろうが、内親王には、自らが演奏会に臨むことで雅楽への関心を高めたいという思いがあるはずである。

『源氏物語』のなかで「青海波」を舞った光源氏は、帝位には就かなかったものの桐壺帝の皇子であった。そこには雅楽が皇室の伝統であることが示されている。もともと雅楽は飛鳥時代から奈良時代にかけて大陸から伝来したものだったが、平安時代の10世紀初頭、醍醐だいご帝の時代に日本独自の形式に整えられている。

醍醐天皇像(醍醐寺三宝院蔵)
醍醐天皇像(醍醐寺三宝院蔵)(写真=『天皇一二四代』別冊太陽 平凡社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

帝や公家が、自ら笛や琵琶などを演奏することもあり、なかには「名手」と言われた帝もいた。醍醐帝は笛、その子である村上帝は琵琶と琴に秀でており、平安末期の後醍醐ごだいご帝になると、「神器じんぎ」と言われた唐から伝来した絃上げんじょうという琵琶を奏している。

愛子内親王自身は歴代の帝とは異なり笛や琵琶を演奏したことはないようだが、学習院初等科で管弦学部に入って以来、チェロの演奏をたしなんでいる。今上天皇がビオラを演奏することはよく知られているが、「オール学習院の集い」では親子共演も果たしている。音楽に対する関心は強く、それが雅楽の鑑賞に熱心になったことに結びついているようだ。

皇室が保持してきた伝統への思い

江戸時代まで、雅楽は京都、奈良、大坂の三つの拠点で守られ、今でも民間に演奏活動を続けている団体がある。私も法隆寺の「聖霊会」という法要で、その一つ「南都楽所なんとがくそ」が僧侶の読経とともに雅楽を演奏するのを聴いたことがある。

今日、雅楽を保存する上で中核となっているのが「宮内庁式部職楽部」であり、この団体は無形文化財にも指定されている。愛子内親王が続けて鑑賞に訪れることで、この団体の活動を支援する形になり、伝統の保持に貢献している。

愛子内親王は、それを皇族の役割として強く意識し、一般の国民の関心を皇室が保持してきた伝統へ関心を向けさせようとしているように思えてくる。その証拠はもう一つの事柄にも示されている。

2月17日には、天皇一家は上野の東京都美術館で開かれた「国風盆栽展」を訪れている。

それは100回目の記念展で、そうした際に天皇や皇族が訪れることが多いわけだが、主催は一般社団法人日本盆栽協会であり、その名誉総裁は三笠宮寬仁ともひと親王妃家の信子妃が務めている。信子妃は、一家の案内役にもなっていた。

皇族が日本盆栽協会の名誉総裁に就任しているのも、これから述べるように、皇室と盆栽との関係には極めて深いものがあるからである。

「外交の華」として継承される盆栽

何より盆栽は「外交の華」とも言えるもので、迎賓館や宮殿で海外の賓客を迎える際には、皇室に伝わる「五葉松ごようまつ」が飾られることになる。それは、徳川幕府の三代将軍家光遺愛のもので、樹齢550年に達している。

皇居のなか、吹上御苑近くには「大道庭園」がある。そこでは、宮内庁庭園課の職員が、五葉松をはじめ各種の盆栽の手入れに勤しんでいる。

大道庭園にある盆栽は約90種、約500点におよぶとされ、樹齢数百年の大型盆栽が多い。これは明治以来の伝統で、皇室に献上された盆栽が、現在のコレクションの基礎になっている。

明治天皇も盆栽を慈しんだことで知られるが、昭和天皇は植物学者でもあったことから、深い造詣を持っていた。

今上天皇も盆栽には中学の頃から強い関心を持っており、そのために学友から「じい」というあだ名をつけられたというエピソードもある。

天皇一家は、2024年には、第98回と記念の年でもないのに国風盆栽展を訪れている。そこには、天皇の関心が中学以来持続していることがうかがえるが、その関心はしっかりと愛子内親王にも受け継がれているのだ。

明治時代の枢密顧問官であった伊東巳代治の遺言で皇室に献上された盆栽「三代将軍」
明治時代の枢密顧問官であった伊東巳代治の遺言で皇室に献上された盆栽「三代将軍」(写真=『伯爵伊東巳代治 下』晨亭会/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

「古葉」について訊ねられた愛子さま

今年の国風盆栽展で一家の案内をしたのは、協会の参事である葉坂はざか勝氏である。愛子内親王は葉坂氏が育てた五葉松の前で、「自然界では古葉ふるははひとりでに落ちますが、盆栽は肥料を使うから古葉も落ちにくいですよね」という質問を発したという。

盆栽のことについてまったく何も知らない私などには、この質問の意味自体がわからないが、それは葉坂氏を驚嘆させたというのだ。古葉とは、一年以上経過した古い葉のことを言うらしい。秋から冬にかけて、そうした葉を取り除くことが重要な作業になっている。

愛子内親王は、古葉の手入れが難しいのを理解した上で、「葉は毎年新しくなりますが、古葉はどのように手入れをされているのですか」という質問を続けた。葉坂氏は、内親王から「きれいな盆栽ですが、古葉がついてますよ」と指摘されているようで、ドキッとしたという(『週刊新潮』4月16日号)。

そんな質問がさらりとできるということは、愛子内親王が、父親の天皇に負けず劣らず盆栽に造詣が深いということを意味している。天皇の薫陶くんとうが行き届いているわけだが、本人に関心がなければ、そうした知識は身につかない。

愛子内親王のこうした姿勢は、現在の状況のなかで極めて重要な意味を持つようになっている。

伝統への関心に映る秋篠宮家との違い

愛子内親王の盆栽への強い関心が社会的にどういった影響を与えるかはこれからのことだろうが、古くさい老人の趣味と思われがちな盆栽を日本の伝統としてとらえ直す契機になっていることは間違いない。

本人も、そのことは十分に意識しているはずで、雅楽の場合もそうだが、皇室の伝統に自分が強い関心を示すことで、国民にも同じようにそれに関心を向けてほしいと切に願っているのではないだろうか。

悠仁親王の場合にも、成年の儀を経験したことで、伝統文化に対する関心を深めている。私的に訪れた京都では、雅楽や蹴鞠けまりを体験し、そのときの写真が宮内庁によって公開されている。

秋篠宮も、2017年に「第8回世界盆栽大会inさいたま」では名誉総裁を務め、盆栽への関心は持っている。

ただ、秋篠宮家が一家で、雅楽演奏会を鑑賞したり、国風盆栽展を訪れるということは、いまだ行われていない。

「愛子天皇」待望論が高まりを見せるワケ

天皇家が一家でそうした場に臨むということは、親から子へと伝統の継承がなされていることを国民全体に強く印象づけるものとなる。それを天皇家の人々は十分に意識している。

だからこそ、一家で公務に臨むことが増えているわけである。

「愛子天皇」待望論が高まりを見せるのも、こうしたことが影響している。天皇家では十分に帝王学が伝授されているのに、秋篠宮家では決してそうではないように、どうしても見えてしまうのだ。

そのような印象を国民が抱くのは、悠仁親王が大学を卒業し、留学を果たした後にまで続く。その間、「愛子天皇」待望論が鎮静化することはないであろう。

愛子内親王が、今国会で進む皇族数の確保の議論にどういった思いを抱いているかはわからないし、見解が発表されることはない。

だが、国会での議論が血統による継承のことに終始し、皇室の伝統への理解という観点が抜け落ちていることに対して、それとなく警鐘を鳴らしているようにも見えるのである。

2026年4月21日、「第41回世界獣医師会大会」に臨席された天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下(出典=宮内庁Instagram[@kunaicho_jp])