天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが4月6日から7日に、福島県を訪問した。皇室研究家で神道学者の高森明勅さんは「敬宮殿下がご一緒されたことは、被災の記憶と教訓が、次の時代へと確実に受け継がれることを願う両陛下のお気持ちの発露であり、またその重い責務を自ら背負おうとされる、敬宮殿下のご覚悟の表れでもある。しかし政治の現実を見ると、『皇室』という重大なテーマに対して、政治家たちの発言が軽すぎる」という――。
国会議事堂
写真=iStock.com/istock-tonko
※写真はイメージです

天皇ご一家が福島県ご訪問

天皇ご一家が、4月6日から7日にかけて、東日本大震災の被災地で原発事故もあった福島県を訪れられた。今年は震災から15年にあたり、犠牲者を追悼されるとともに、被災地の人たちと交流を深められた。

これに先立って、同じく東日本大震災の被災地だった岩手県と宮城県には、3月25日から26日にやはりご一家おそろいでお出ましの予定だった。しかし、こちらは天皇皇后両陛下がお風邪を召されたために、残念ながらご日程が再調整されることになっている。

福島県の場合は、皇后陛下がお咳の症状が残っていたためにマスクを着用される場面が多かったものの、予定通りのスケジュールでご訪問が実現した。現地ではちょうど桜が満開の時期にあたっていた。

大歓迎を受けた天皇ご一家

ご一家が到着される福島駅の玄関には、2本の大きな日の丸が掲げられていた。駅の周辺にも早くから多くの人たちが集まり、ご一家をお待ちしていた。ご一家が到着されたのは午前11時半ころだったが、朝5時から待っていた人もいたらしい。

ご一家がお姿を見せると、大勢の奉迎者から歓声があがった。人々は「陛下〜」「雅子さま〜」「愛子さま〜」「敬宮としのみやさま〜」などと声をあげていた。ご一家もわざわざ立ち止まられ、笑顔でお手を振られて人々にお応えになった。この時にお迎えした人たちは満面の笑みで「最高に素敵だった」などと感想を述べていた。

ご一家が福島に滞在されている間、ご移動される途中の沿道やご訪問先には、多くの人たちが詰めかけ、日の丸の小旗を振り、歓声をあげて奉迎し、キラキラ輝くような幸せな時間を共有した。

天皇ご一家が地方へお出ましになった時の現地の人たちとの交流には、2つのタイプがある。

1つは、事前に予定されたご訪問先で、決められた人たちとお会いになり、説明を受けたり懇談されたりする。もう1つは、それとは別に沿道や、ご訪問先の近くに集まって、事前の取り決めなどなく、それぞれ自分の気持ちによって奉迎する人たちとの、時間は限られているが中身の詰まった心の交流だ。

令和の皇室においては、天皇皇后両陛下や敬宮(愛子内親王)殿下、あるいはご一家おそろいでのお出ましのたびに、後者の比重が大きくなっている印象がある。まさしく「国民統合の象徴」にふさわしいお姿だろう。

福島県富岡町の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」に到着し、集まった人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下と愛子さま。2026年4月7日午前
写真提供=共同通信社
福島県富岡町の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」に到着し、集まった人たちに手を振られる天皇、皇后両陛下と愛子さま。2026年4月7日午前

愛子さまの「ご覚悟の表れ」

このたびの天皇ご一家おそろいでの福島ご訪問は、大きな苦難を背負ってきた地元の人たちにとって、大きな労わりと励ましになったのではあるまいか。とくに、敬宮殿下がご一緒されたことの意味は小さくないはずだ。

それは、東日本大震災と福島原発事故の記憶と教訓が、次の時代へと確実に受け継がれることを願う両陛下のお気持ちの発露であり、またその重い責務を自ら背負おうとされる、敬宮殿下のご覚悟の表れでもある。

天皇皇后両陛下は、これまで繰り返しご公務に敬宮殿下をともなわれている。ご一家おそろいでご公務に臨まれるなさりようは、「令和流」と表現することも許されるのではないだろうか。

「令和流」公務が「帝王学」に

令和流は、ご家族の皆さまで国民に寄り添おうとされるご姿勢から、生まれた。国民に対して最も思いやり深いなさりようであるとともに、その仲睦まじいご一家のお姿そのものが、人々に癒やしと勇気を与えてくれる。

さらに敬宮殿下の目覚ましいご成長ぶりを通して、次の時代への希望も感じることができる。もちろん敬宮殿下にとっては、それが結果的に最高の「帝王学」(象徴学)にもなっているに違いない。

この令和流は、皇室の大切な精神を敬宮殿下に受け継いでほしいという天皇陛下のお気持ちを、振る舞いを通じて国民に示されているものだろう。さらに今年の天皇誕生日に際しての記者会見では、そのご本心がご発言としても、これまでになく明確に示されていた。

ところが、皇室の将来に責任を負うべき政治の現実はどうか。

小川代表の“腰の引けた姿勢”

中道改革連合の小川淳也代表が3月27日の記者会見で「女性天皇を生きているうちに見てみたい日本国民の1人だ」と発言して、波紋を呼んだ。54歳という小川氏の年齢を考えると、これは「愛子天皇」待望論としか受け取れない。

有力な政治家が公式の場で愛子天皇待望論を語ったのは、おそらくこれが初めてではないだろうか。しかし、同氏は4月3日の記者会見でたちまち前言を撤回してしまった。

撤回の記者会見では、私見として「将来的に女性天皇の議論があっていいが、皇室制度改革は歴史と伝統を重んじて漸進主義的でなければならない」と述べた。「女性天皇」の議論そのものは排除しないが、愛子天皇待望論にあたる部分については撤回する、という趣旨だろう。

これに対して、識者からは以下のようなコメントが寄せられている。

「これは撤回などせず、言い続けた方が、与党との主張の差別化もできてよかったのではないでしょうか。もったいない。今の国会の議論は民意を反映しているのでしょうか。女性天皇も含めて議論してほしいと思います」(名古屋大学大学院准教授の河西秀哉氏)

「歴史と伝統を重んじて漸進主義的」という言い方が、いかにも腰の引けた姿勢を見せつけた。

ザ・モール仙台長町前で応援演説を行う小川淳也氏。2025年7月3日撮影
ザ・モール仙台長町前で応援演説を行う小川淳也氏。2025年7月3日撮影(写真=石垣のりこ事務所/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

“失言”で露呈した高市首相の無知・不勉強ぶり

一方、高市早苗首相はそれより前の2月27日の衆院予算委員会で、皇位継承について「皇統に属する男系男子に限ることが適切」と答弁した。ところが同日午後に早速、木原稔内閣官房長官が皇位継承資格ではなく、皇族数確保策の1つ「養子縁組」案の対象者を念頭に置いた表現だったと事実上の訂正を行った。

高市氏は、政府の有識者会議報告書に依拠しながら、その報告書が皇室典範の本格的な改正論議を避けるために、あえて立ち入らなかった「皇位継承」の領域に、十分な準備もなく踏み込む失態をおかした。これによって、同氏が表面上は「保守」「愛国者」ぶっていても、皇室については無知・不勉強であり、つまりホンネのレベルでは無関心(!)である事実を、暴露したと言える。

「皇室」という国家と国民にとってとりわけ重大なテーマに対して、政治家たちの発言が軽すぎる。小川氏の「見てみたい」という表現にいたっては、皇室への敬意のかけらも感じさせない、非礼で軽薄すぎる物言いだった。

世界的に孤立した“いびつ”なルール

皇室の将来をめぐり、政治家が是非とも知っておかなければならない事実がある。それは、次世代の皇位継承資格者がたったお一方しかおられないという目の前の皇室の危機を招いている原因は、今の皇室典範が“致命的な欠陥”を抱えているためだ、という事実だ。

過去の皇位継承を支えてきた側室制度がとっくに過去のものとなり、「一夫一婦制」なのに皇位継承資格を「男系男子」だけに限定するという“ミスマッチ”なルールが、そのまま維持されている。この構造的欠陥をすみやかに解消しないと、皇位の継承はいずれ行き詰まる。

世界の君主国の中で、一夫一婦制で男系男子限定ルールを採用している国は、人口が約4万人ほどのミニ国家・リヒテンシュタインを除けば、わが国だけだ。世界的にまったく孤立した“いびつ”なルールであることに気づかなければならない。

女性天皇も女系天皇も認められていた

しかもわが国の「歴史と伝統」を振り返ると、前近代では女性天皇を排除するルールはなかった。

飛鳥・奈良時代に女性天皇が6人(8代)おられたことはよく知られている。平安時代にも女性天皇の即位が取りざたされた事例があり(八条院)、その後、武家の権力が伸長してからも、江戸時代には2代の実例があった。

より注意すべきなのは、「形式的には明治初期まで国家体制を規定する法典であり続けた」(『日本史広辞典』)とされる養老令には、「女帝の子」について男性天皇の子と同じように「親王(内親王)」とする規定がわざわざ設けられていたことだ(継嗣令)。

これは、単に女帝=女性天皇を法的に公認するだけでなく、そのご結婚を前提として、お子さまの位置づけは、父親の男性皇族の血筋=男系ではなく(その場合なら1ランク下の王・女王とされる)、母親の女性天皇の血筋=女系に属すると法定されていたことを意味する。だから、女性天皇だけでなく、女系天皇も認められていたと理解できる(先行する大宝令にも同じ規定があった)。

これは古代中国の律令にはない制度であって、その父系制=男系主義の影響を受けながらも、皇室の祖先神を“女性”の天照大神とする事実に象徴される、男系だけでなく女系にも血統上の意味を認める双系(双方)的な、中国とは異なるわが国固有の伝統によるものだった。

歴史上前例がない、今の「男系男子限定」ルール

明治の皇室典範の制定にあたっても、複数の草案では女性天皇も女系天皇も認めるルールが含まれていた。にもかかわらず最終的に男系男子限定ルールが採用された理由は、当時の「男尊女卑」の風潮が大きく作用したのとともに、古代以来の側室制度という安定化の仕組みがあったためだった。

したがって、一夫一婦制で男系男子限定という今の皇室典範のルールは、まったく前例がない。「歴史と伝統」とは無縁な被占領下の日本で“新しく”制定された欠陥ルールと言うほかない。

皇位継承の安定化と皇室の存続を望むならば、このルールを改めるしかないのは明らかだ。

ところが政府や与党などは、欠陥ルールによって規定された現在の皇位継承順序を、「ゆるがせ(忽せ)にしてはならない」などと主張している。しかしルールの欠陥を解消すれば、結果として欠陥ルールに基づく皇位継承順序が変更されるのは当たり前だ。逆に継承順序を固定化したままでは、欠陥自体が解消できなくなる。

危機を招いている欠陥を固定化して、皇室の存続を危うくするのは本末転倒だ。

秋篠宮さまも「直系優先」

当事者のご意向としても、今の皇位継承順序を固定化することなど、決して望んでおられないと拝察できる。

そもそも秋篠宮殿下はご年齢からして、天皇陛下よりわずか5歳お若いだけなので、次に即位することはリアルには想定しにくい。

しかも、秋篠宮殿下は時代が令和に移る時に、傍系の宮家から内廷に移る選択肢もあったのに、辞退された。「秋篠宮」という傍系(天皇とは親子の関係にない)皇族のお立場を示す“宮号”をあえて維持されている。さらに、次代の天皇になられるお立場を示す「皇太子」と類似の称号を控えて、“皇嗣”という一般的な呼称のままだ。

加えて、秋篠宮殿下はこれまで記者会見で繰り返し悠仁親王殿下への「帝王学」について質問されても、真正面からお答えになったことが1度もない。また実際に、そのような特別の教育が行われた形跡もない(江森敬治氏『悠仁さま』)。

これは無責任なのではなくて、皇位継承は直系(天皇と親子の関係)を尊重すべし、というお考えによるものだろう。

さらに、秋篠宮殿下が「ジェンダー平等」の理念を尊重されていることは、周知の通りだ。

それらの事実からは、天皇皇后両陛下にお子さまがいらっしゃる以上、皇位の継承は男女の性別に関わりなく、直系の敬宮殿下が優先されるべきである、とお考えだと拝察できる。

欠陥を解消すれば「愛子天皇」へ

政府は、当事者のお気持ちとは関係なく、もっぱら「内閣の助言と承認」による国事行為として、前代未聞の「立皇嗣の礼」なるセレモニーを挙行した。しかしこの儀式は、秋篠宮殿下が“傍系の皇嗣”でいらっしゃる既定の事実を再確認する意味しか、持ち得ない。

だから、次代の天皇となられることが確定している直系の皇嗣=皇太子とは違って、傍系の皇嗣という“暫定的・相対的”なお立場に秋篠宮殿下がとどまり続けられることには、変わりがない。

皇室典範が抱える構造的欠陥が解消されれば、天皇皇后両陛下のお子さまが“女性だから”という時代錯誤な理由だけで、皇位継承のラインから排除されることはなくなる。そうすれば直系優先の原則(皇室典範第2条)によって、敬宮殿下はただちに直系の皇嗣=皇太子になられる。「愛子天皇」への道が開かれるのだ。

敬宮殿下への共感と期待の広がりに対して、「人気だけで天皇を決めてよいのか」という一握りの声がある。しかし見当外れだ。

人気が高いから天皇にふさわしいのではなく、本来、直系の長子として天皇にふさわしい方が、そのお人柄と自己研鑽ゆえに多くの国民から敬愛されている、という順序なのだ。

せっかく皇室典範の改正に向けて、国会で「立法府の総意」づくりを目指す全政党・会派による全体会議が再開されるのであれば、皇室典範の根本的な欠陥を解消することこそ「第一優先」でなければならないはずだ。

多くの国民もそれを期待している。