日本以外でもクマの攻撃は増えているのか
クマ問題が話題になっている。
2024年はクマに襲われて5人の方が死亡した。今年はすでにそれが7名になっている。2006年からの観測史上最多である。被害は特に北海道など北日本で多い。
気候変動による餌の不足などが原因として推定されているが、正確なところはいまだ不明なのだそうだ。先月のBBCニュースでは日本のクマ被害が報道され、ブナの実収穫の減少や過疎化などの背景が専門家により指摘されていた(※1)。
対話型AIのPerplexityに、「日本以外の国でもクマによるヒト攻撃は増えているのか」と問うた。そのような事実はないそうだ。「ワールド・アニマル・ファウンデーション」によると、北米では毎年40件程度のクマ襲撃のために2~5人の死亡事例がある(※2)というが、近年の増加は見られていない。温暖化は全世界的に起きているのに、なぜなのだろうか。
ちなみに、数ある対話型AIのなかで、Perplexityを私は頻用している(他のもいくつか使っているが)。引用元を明示してくれるので、「情報の裏」がとりやすいからだ。対話型AIはインターネット上の情報を瞬時にサマライズしてくれるのだが、ネット上の情報にそもそも「ガセネタ」が多いので、その結果AIもデタラメをのたまうことが珍しくない。「裏取り」は極めて重要だ。あとでGrokについて、その話をする。
首に鈴を着けた六甲山の登山者
太陽光パネルの設置による森林破壊が原因では、という意見も耳にする。これもAIで調べてみると、太陽光パネル設置による日本の森林喪失は1%未満とのことだ。諸外国でのそれが2~5%と言われていることから考えても、これがクマ被害の増加の原因とは断定しがたい(※3)。
ちなみに私はPerplexityで検索するときは必ず英語で質問している。日本語で質問すると回答の質が落ちる。引用元の質が落ちるのが原因のようだ。実際、上記の質問を日本語でくり返したが、引用していたのは全てツイッター(現・X)のコメントか、そのAI(Grok)のコメントであった。
本稿執筆時点では、個人的にはGrokは信用していない。インターネット上の情報を集めてまとめるAIだが、Grokは誤情報も無差別に集めてトンデモコメントすることが多い。Grokがツイッター(X)上のコメントを学習しているためだと考える。SNSはデタラメの量が半端なく多いのだ。他のAIでも同様のエラーは起きるが、Grokは特段にリスクが高いと感じている。きちんと調べたわけでは無いが。だれか調べて論文化してほしい。
閑話休題。
クマのリスクをどう考えるべきか。私たち夫婦もよく六甲山界隈を登山する。先日、首に鈴を着けている登山者がいたので少し驚いた。確かに兵庫県でもクマ発見情報はあるが、六甲山界隈でクマ襲撃のリスクがあるかは不明である。仮にあったとしても、非常に小さなリスクだろう。「目撃情報」がどれだけ信頼性があるかも不明である。
日本人の最大の死亡原因は何か
兵庫県のリスクについてはAIに日本語で質問した。そうしたら、「クマ出没痕跡」などが分かる「兵庫県森林動物研究センター」のサイト(※4)以外に、Perplexityは根拠データとしてYouTube動画を引用した。が、私はそちらのほうは見なかった。
私は基本的にYouTube動画を「根拠」として信用しない。少なくとも専門外の領域においては真偽を検証する能力がないので、信用しないことにしている。医学領域で信頼できる動画は存在するが、陰謀論やデマ動画も非常に多いから、基本的に信用しない態度を貫いたほうが賢明である。
さて、日本人の死亡の最大の原因は悪性疾患(いわゆる「がん」)で、年間37万人以上ががんのために亡くなっている。次いで心臓疾患で14万強、脳血管疾患で10万強、肺炎など呼吸器感染症が5万強、自殺が2万強である(※5)。
そう考えると、クマの恐怖に怯えたり、クマ対策に力を入れることを全否定はしないけれども、もっと力を入れるべき問題は他にもたくさんあることが分かる。
世界レベルでクマより怖い動物は何か
昔から「犬が人を噛んでもニュースにならない、人が犬を噛むとニュースになる」と言われる。メディアは稀な出来事を大きく報じ、日常的な出来事を報じない。総被害のデータを冷静に見るならば、どちらがより重要視すべき問題かは、火を見るより明らかだ。
ちなみに、世界レベルで言えば、クマよりもずっと怖い動物は多々いる。一番怖いのは「蚊」で、年間72万人以上の人を死に至らしめている。マラリアやデング熱など、蚊が媒介する感染症が多々あるからだ。
蛇も怖くて、13万人以上。犬も怖くて5万人以上(海外では狂犬病などのリスクもある)。他にもサソリ、ワニ、カバ、サイなどのリスクが高い。
なお、世界で2番目に人命を奪っている動物は「人間」である。年間43万人以上のヒトを、人間が殺している。

メディアがクマについて語るな、などと主張したいのではない。実被害が(他のリスクに比べて)ずっと小さい問題を過大に扱いすぎている、と申し上げているのだ。
リスクは量的に論ずるべきで「ある、なし」で語ってはいけないのだ。一般的に言って、リスクは「ある」に決まっているのだから。「どのくらいあるか」が問題である。
メディアは実リスクよりも「盛って」、恐怖を煽ってはならない。そうすると、市民は実リスク対応よりも「安心」を希求するようになる。これがリスク・マネジメントの“失敗”の始まりだ。
「安全以上の安心」を求める行為の実態
私は、以前から「安全安心」というコトバの使い方こそがよくないと考えてきた。
必要なのは安全だけだ。
安全なデータだけが安心をもたらすのであり、安全に加味された追加の安心などありえない。安全であれば、安心すればよいのだ。安全だけど安心できないというのがおかしいのである。
そのような加味された「安全以上の安心」を希求する行為は、要するに非科学的、非論理的、非理性的な態度を認めよ、という意味でもある。「安全だけど風評被害が生じる」という現象事態が、非理性的な現象なのである。
たとえば抗酸菌のらい菌(M. leprae)感染症、ハンセン病(以前の「らい病」)患者は、「らい予防法」という法律を根拠に、長く療養所での実質的な隔離生活を強いられてきた。
らい菌は感染力が非常に低く、その感染対策に隔離は必要ない。しかし、温度の低いところに病変を作るこの菌の特徴から、患者は指や鼻など、体温の低い部位に皮膚病変を起こし、その容姿に影響を与えていた。このために患者は差別され、しばしば住み慣れた故郷やコミュニティから追い出された。松本清張の小説をもとに作られた映画『砂の器』(野村芳太郎監督/1974年)はハンセン病患者差別をよく描写した映画である。
「専門家」が後押しした人権侵害
医学的にはハンセン病患者の隔離は必要ない。しかし、“安全以上の安心”を希求する市民の欲望のためにハンセン病患者は人権侵害と言ってよい隔離生活を余儀なくされた。「(大多数の)市民の安心のために」といった、いかにも説得力のある綺麗事のために、少数の人達の人権は踏みにじられ、犠牲を強いられるのである。
それを後押ししたのは往時の「専門家」の推奨であった。1950~60年代には国際らい会議やWHOらい専門委員会において「ハンセン病患者の強制隔離は時代錯誤で、廃止すべき」という見解がなされていたが、日本らい学会(当時)はこのような国際的科学的知見を完全に無視した。
また、らい学会の運営は国立療養所の医師が中心になって行われていたが、そうした医師と当時の厚生省の課長や技官との関係が深く、厚生省も患者差別に加担していたことが現在では分かっている。ファクトや科学性よりも「仲間意識」のようなものが優先されてしまう例だ。日本の感染症レベルの(行政レベルも含めての)低さの、残念な一例でもある。
「市民の安心のために」が生み出す差別
1963年に当時の厚生省は「らい予防法」の改正を検討していた。しかし「ハンセン病についての世間の理解はそこまで進んでいないのではないか。今、その問題を持ち出しても、国民に理解してもらえない」という理由から改正は見送られた(※6)。
“科学的には間違っている”と分かっているにもかかわらず、世間の差別感情や無理解に配慮して、少数の患者を犠牲にし、不当な人権侵害を正当化したのである。「安全安心」というスローガンが、いかに残酷な意思決定をもたらしうるかは、このハンセン病患者差別からも明らかだ(※7)。
現在でも「市民の安心のために」という名目で差別が正当化されている事例は、あちこちに見られるのではなかろうか。例えば、コミュニティに特定の人種、民族、外国籍の方が住むだけで「安心できない」と排除しようとするような。「安心」とは、えげつないことを綺麗事で正当化するための、都合の良いキーワードなのである。
*1 BBC「Bears kill seven people in Japan this year as attacks hit record high」
*2 World Animal Foundation「Bear Attacks Statistics 2025 Global Injuries & Fatalities」
*3 Annual Report Group「Annual Report on Forest and Forestry in Japan」
*4 兵庫県森林動物研究センター「クマ 出没痕跡」
*5 e-stat「政府統計一覧」
*6 厚生労働省「らい予防法の改廃が遅れた理由」
*7 厚生労働省「ハンセン病に関する情報ページ」