愛子内親王がラオスを公式訪問される背景には何があるか。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「海外公式訪問のデビューとしてはかなりの大役であり、社会主義国であるラオスから招かれたことに『皇室外交』の真骨頂が示されている」という――。

外交関係70周年を記念するラオスからの招待

愛子内親王は11月17日、ラオスに出発する。22日まで滞在の予定で、初の単独での海外訪問である。10日には、その報告のために、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ、昭和天皇の葬られた武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝している。

ラオスへの公式訪問を前に、昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵の参拝を終えられた天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年11月10日、東京都八王子市の武蔵陵墓地[代表撮影]
写真=時事通信フォト
ラオスへの公式訪問を前に、昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵の参拝を終えられた天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年11月10日、東京都八王子市の武蔵陵墓地[代表撮影]

愛子内親王は大学を卒業後、精力的に公務をこなすようになり、国内では各地で国民の前にその姿を現すようになってきたものの、海外訪問は今回が初めてである。しかも、海外を訪れること自体、これまで多くを経験していない。2006年に一家でオランダを訪問したことと、2018年夏にイギリスの名門校「イートン校」のサマースクールに短期留学したことがあるだけである。

皇族としては、意外に海外経験が乏しいとも言えるが、今回は、海外公式訪問のデビューとしてはかなりの大役である。日本とラオスの外交関係樹立70周年を記念しての招待になり、トンルン国家主席への表敬訪問や副主席主催の晩餐会に臨むほか、ラオス北部にある世界遺産都市のルアンパバーンを訪れ、寺院などの視察も予定されている。

「準国賓」として招かれる愛子さま

注目されるのは、ラオス側が愛子内親王に対して国家元首に準ずる接遇を行うと発表していることである。晩餐会が用意されているのもそのためで、一般には「準国賓」としての扱いだと報道されている。

国賓とは、政府が最高の礼遇をもって公式に招待する外国の元首やこれに準じる人物のことである。具体的には国王や大統領、国家主席などが該当する。日本が国賓を迎える場合、政府が受け入れにかかる費用の一部を負担し、皇室による歓迎行事、天皇との会見、宮中晩餐会などが催される。これにはかなりの予算がかかることから、毎年国賓は1~2組に限定されている。

その点で、愛子内親王が準国賓としてラオスに招かれたことは、皇室外交という観点からしてかなり重要なことになる。天皇家に生まれた唯一の内親王であることが、そうした扱いを生んでいるに違いない。

ではなぜ、初の海外公式訪問の地としてラオスが選ばれたのだろうか。

古代にさかのぼるラオスと皇室のつながり

ラオスはインドシナ半島に位置しているが、東南アジアで唯一海に面していない内陸国である。その分、ラオスは多くの国と国境を接している。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれており、国土の多くは山岳地帯である。

すでに閉幕した奈良国立博物館での「正倉院展」では、今回、名香木とされる「蘭奢待らんじゃたい(正式には黄熟香おうじゅくこう)」が14年ぶりに展示され話題にもなったが、そうした香木の原産地はラオスとベトナムの山岳地帯とされている。それは、愛子内親王の訪れるルアンパバーンに近い。東大寺にある正倉院に収められているのは聖武しょうむ天皇と光明こうみょう皇后ゆかりの品であり、ラオスと皇室とのつながりは古代にさかのぼる可能性を持っている。

ただ、ラオスが占める地理的な環境から、東南アジアという地域、特にASEAN(東南アジア諸国連合)全体の安定においても重要な国になっており、日本が外交戦略を推進する上での要になっている。

ラオスのルアンパバーンにある18世紀後半に建てられた仏教寺院「ワット・マイ・スワンナプーマハム」の本堂
ラオスのルアンパバーンにある18世紀後半に建てられた仏教寺院「ワット・マイ・スワンナプーマハム」の本堂(写真=Basile Morin/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

歴代総理も訪問するラオスの政治性

したがって、日本はラオスにとって最大の援助国、ODA供与国の1つになっている。援助は国際空港の改修やダム建設、あるいはベトナム戦争時代に投下された不発弾の除去などに及ぶ。愛子内親王も、今回の訪問で、不発弾問題に関する啓発施設を見学することになっている。

日本がラオスと密接な関係を結んできたため、皇室との縁も深い。1999年には秋篠宮夫妻が皇族として初めてラオスを公式訪問している。秋篠宮は、2010年にも、家禽類(ニワトリなど)の調査研究や東京大学総合研究博物館の関連行事に出席するため、眞子内親王(当時)とともに私的にラオスを訪れている。

皇太子時代の今上天皇も、2012年6月にタイ、カンボジア、ラオスの3カ国を歴訪した際、最後の訪問国としてラオスに立ち寄っている。訪問先は首都のヴィエンチャンとルアンパバーンで、国家主席とも会見しており、今回の愛子内親王の訪問先の多くと重なっている。

実は、最近の総理大臣もラオスを訪問することが多い。高市総理の場合は、就任直後ということもあってまだだが、石破前総理の場合、最初の訪問先がラオスで、ASEAN関連首脳会議に出席している。さかのぼれば、ほかに安倍元総理も野田元総理も、さらには岸元総理や佐藤元総理もラオスを訪れている。

ラオスは、それだけ政治的に重要な国ということになるが、特に近年のラオスが中国に深く依存するようになってきたことが、日本にとっては無視できないところになっている。中国は巨大経済圏構想である「一帯一路」のもと多額の投資をラオスに対して行っている。

「皇室外交」の真骨頂を示すラオスの厚遇

そうした状況が生まれている中で、愛子内親王が最初の訪問先としてラオスを選んだことには重要な意義があるし、ラオスの側の厚遇もそれに応えるものと見ることができる。そこに「皇室外交」の真骨頂が示されているとも言えるわけで、くり返すが、愛子内親王が果たす使命はかなり重要なのである。

現実の外交は政府の役割になるが、皇室は国内の政治に対しては中立の立場にあり、関係に問題がある国を訪れても、歓迎を受け、その国の国民感情を改善する役割が期待できる。また皇室は世襲によってその地位が代々受け継がれていくので、相手国との信頼関係を継続させることにも貢献する。

特に大きいのは、皇族が訪れることによって、訪問先の国とどのような関係を結んでいるかが目に見える形で示されることである。

実はラオスは、最初に青年海外協力隊が派遣された国でもあり、それは1965年のことだった。これも今年で60周年の記念の年を迎えたことになる。愛子内親王は、今回、青年海外協力隊が柔道の指導員として活動している武道センターや学芸員として在籍している国立博物館も訪れることになっており、それを通して、日本がいかにラオスの発展に協力しているかが明らかになるはずである。

「初の訪問先」ラオスの必然性と特異性

島田裕巳『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)
島田裕巳『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)

また、愛子内親王は大学を卒業後、日本赤十字社(日赤)に勤務しており、日赤もラオスに対して30年以上にわたって医療支援を行っている。不発弾による被害者の支援も続けてきている。だからこそ、不発弾に関連する施設を訪れるわけで、日赤が支援する小児病院の訪問も予定されている。

拙著『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)でも紹介したが、愛子内親王が学習院中等科1年のときに書いた物語は「私は看護師の愛子」ではじまるものだった。それは、怪我した動物の看護をする話になっており、日赤での勤務に結びつくものだが、今回の訪問でも、中学生時代からの関心が大いに活かされることになる。初めての訪問先にラオスが選ばれたことは、愛子内親王のことを踏まえれば必然的なものであったように思えてくる。

ただ、一つだけ、ラオスについてここまで述べてこなかった重要なことがある。それは、ラオスが「ラオス人民民主共和国」であり、社会主義の国だということである。だからこそ、愛子内親王が表敬訪問する相手は国王でも大統領でもなく、国家主席になるわけである。

社会主義国を訪れることの意味合い

ラオスは、14世紀に最初の統一王朝としてラーンサーン王国が成立した。その後、王国が3つに分裂したり、タイやフランスに支配された時期もあったが、第二次世界大戦後ラオス王国として独立した。

しかし、ベトナム戦争に勝利した北ベトナムがベトナム全土を支配し、社会主義国家が成立したのと連動する形で1975年に王政が廃止された。その後、国王夫妻や皇太子は反革命の動きを支援したとして逮捕され、結局は収容所で亡くなっている。

現在では、東西の冷戦構造は崩壊し、自由主義陣営と社会主義陣営が世界的に対立する時代ではなくなっている。しかし、社会主義の国家が、日本のような自由主義の国家と異なる政治経済体制を敷いていることも事実である。

現在でも社会主義の体制を敷いているのは、中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮、そしてラオスに限られる。社会主義では一党独裁であり、ラオスもラオス人民革命党の一党制である。

そうした社会主義の国の1つを愛子内親王が訪れるのだと考えると、その意味も変わってくる。もしそれが中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮となれば、あるいはベトナムは別かもしれないが、訪問先に選ばれることはないであろう。しかも、ラオスは王政が廃止され、王室のメンバーは悲劇的な最期を迎えている。他の王室のメンバーも国外に脱出してしまった。

日本の皇室は、ラオスの王室とそれ以前に関係を結んでおらず、皇族がその時代のラオスを訪れることもなかった。もしも関係を結んでいたら、皇族がラオスを訪れることに障害が生まれていたかもしれない。

ラオスの首都ヴィエンチャンにある黄金の仏塔「タートルアン」
ラオスの首都ヴィエンチャンにある黄金の仏塔「タートルアン」(写真=Benh LIEU SONG/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

皇室外交の貴重な担い手となる愛子内親王

それにラオス国民の、かつての王室に対する感情には複雑なものがある。教育の現場では、王室は封建的で外国の勢力と結びつき、国を停滞させたとして否定的なものとして教えられており、王政の廃止から時間も経ったことから無関心な国民も増えているようだが、ノスタルジーがないとは言えない。

また、ラオスでは半数以上が仏教徒で、王室と仏教とのかかわりは深かった。愛子内親王はルアンパバーンで仏教の寺院だけではなく、かつては王の住まいであった王宮博物館も訪れるであろう。

その際、どういった感想を述べるのか。そこには細心の注意が求められる。

こうした点で、愛子内親王にとってラオス訪問が大役であるとともに、大きな試練であることは間違いない。十分な準備のもとに訪問するであろうから問題が起きるとは考えにくいが、準備しておかなければならないことは相当に多いはずだ。

そうした試練を乗り越え、準国賓として厚遇されて帰国する愛子内親王は、皇族として一段成長するはずだ。皇室外交の担い手としての重要性が高まることは間違いない。

このような貴重な存在を日本国民としてどのように迎えるべきなのか。愛子天皇待望論はいっそう高まっていく気配である。