「ばけばけ」第6週でトキがヘブンの女中に
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と妻・小泉セツをモデルにした、髙石あかり主演の朝ドラ「ばけばけ」。第5週で松江にやってきたアイルランド人のヘブン(トミー・バストウ)と出会ったトキ(髙石)は、第6週で錦織(吉沢亮)からヘブンの女中になってほしいと依頼される。侍に憧れを抱くヘブンが士族を希望したことから、トキに白羽の矢が立ったのだ。
しかし、当時は外国人と親密な関係を持つ日本人女性が「ラシャメン(西洋人の妾)」と呼ばれ、蔑まれていた時代だ。ここまで来て、さらに妾か……と思う視聴者もいるだろう。なぜなら、全体に笑いの多い作品ながら、トキがここまでの人生で楽だった時期は一度もないのだから。
ここまでの展開を簡単に振り返ると、トキは上級武士の家に生まれたものの、養女に出された先の松野家は明治維新で没落。父のうさぎの飼育販売で一瞬潤うものの、すぐにうさぎバブルが崩壊、借金まみれに。小学校を中退して織物工場で働き、父は牛乳配達、母は内職に追われるが、借金はいっこうに減らず、ついには借金取りから遊郭に行くよう勧められ、稼ぎ手を増やすために婿取り作戦を決行。働き者で優しい婿・銀二郎(寛一郎)を迎えるが、織物工場が倒産すると、無職になったトキの分も働く夫は、祖父のしごきもあり、耐えかねて逃げ出してしまった。そこからしじみ売りで生計を立てる中、持ち込まれたのが、くだんの「異人の女中」話なのだ。
朝ドラは妾の存在をどう描いてきたか
この展開は、小泉セツの史実に沿うものとなっている。
セツがハーンと出会ったのは、明治24年(1891年)2月初旬。松江に英語教師として赴任したハーンの家に、住み込み使用人として入ることになったのが、きっかけだ。外国人男性の家で寝起きする若い日本人女性を、当時の社会は“ラシャメン”ではないかと色眼鏡で見た。実際、幕末から明治にかけて、外国人居留地で働く日本人女性の多くは遊女とみなされていた時代だ。
こうした史実を知ると、「ばけばけ」で“ラシャメン”に触れるのか、触れるとしたらどう描くのかは、長年、朝ドラを見てきた筆者にとって気になる点ではあった。
近年の朝ドラは妾、愛人という存在をどう描いてきただろうか。
例えば「ばけばけ」と同時代を描いた「らんまん」(2023年)では、ヒロイン・寿恵子(浜辺美波)に元薩摩藩士の実業家が妾になることを求める展開がある。寿恵子の母・まつ(牧瀬里穂)は、かつて有名芸者だった自身の経験から、娘には同じ道を歩ませたくないと考えていた。そして、本をたくさん読んできた寿恵子は、最終的に在野の植物研究者・万太郎(神木隆之介)の妻となる。
これまでのヒロインは本妻のポジション
また、昭和初期~中期を舞台にした「虎に翼」(2024年)では、ヒロイン・寅子(伊藤沙莉)の学友・梅子(平岩紙)の遺産相続問題で、梅子の夫の妾が登場。妾は実は梅子の息子ともデキていて、その事実を知った梅子は相続を放棄するかわりに、自らを縛り続ける“家”からも解放される展開が描かれた。
さらにさかのぼると、幕末から始まった「あさが来た」(2015年)ではヒロイン・あさ(波瑠)が新次郎(玉木宏)と結婚した後、義母が新次郎に妾を取らせようと思案するが、新次郎は女中が自分に寄せる思いを知りつつも妾の話を受け入れないという展開が描かれた。
つまり、これまでの朝ドラヒロインはあくまで本妻側。愛人の立場になることはなかった。「ばけばけ」はそのボーダーを越えようとしているのだろうか。
「ばけばけ」のプロデューサーが決めた覚悟
「ばけばけ」でも、農家の娘・なみ(さとうほなみ)が激しく抵抗しながら、引きずられるように川の向こうに連れて行かれる様子が描かれた後、遊郭の遊女として登場。自分の境遇を受け入れた様子で、「おなごが生きていくためには身を売るか、男と一緒になるしかない」とトキに告げていた。
そのトキも借金のカタに「身を売ること」を勧められるようになり、“武士の娘”としてなんとかそれを回避しながら他の選択肢を探してきたにもかかわらず、やってきたのが住み込み女中という“異人の妾話”なのだ。これは、今の日本に生きる私達が見ても、想像がつかないほどに険しい女性の生きる道である。
ハーンとセツのひ孫に当たる小泉凡氏の著書『セツと八雲』(朝日新書)にも、こうある。
【参考記事】朝ドラ「ばけばけ」のモデル、ラフカディオ・ハーンと18歳下の小泉セツが出会ってすぐ事実婚状態になったワケ
実は、こうした「明治時代の女性の生き方」の描写は、同作がこだわった点の一つだと制作統括の橋爪國臣氏は語る。
「“ラシャメン”については、これまで伝えられてきた歴史の一方、小泉家にとってはあまり表に出したいことではなかったと思うんです。でも、このドラマでは小泉凡さんともお話した上で、セツさん、八雲さんが生きてきた時代の話として、史実に沿って描くことにしました」
結婚か身売りか…、女性の選択肢がなかった
橋爪氏は「おなごが生きていくためには身を売るか、男と一緒になるしかない」というセリフを出したことも含め、ドラマの意図について、こう補足する。
「当時の女性は男性に比べて、今よりもっと厳しい制限があったと思うんです。とはいえ、実はその制限があることは当たり前で、みんなそこに何も疑問を持たなかった時代だった。今の私たちが見ると、それを不自由だと思うし、『こんな選択肢もあるのに』と思う。でも、当時の人たちはきっとそれが当たり前で、幸せだと本当に心から思っているだろうし、そうやって生きていた人たちだと思うんです」
橋爪氏が意識するのは、「不自由な時代」として断罪することの危うさだ。チーフ演出の村橋直樹氏も同じ思いを共有している。
「この時代では、女性は“家の所有物”みたいなところがあったと思うんですね。それに対し、現代の価値観で見ると、違和感や反発の気持ちが湧いてくると思いますが、こういう時代があったことは確かなので、それをそのまま表現する。今の感覚で見たらこんな時代ひどいよなと思う方は、そう感じていただければ良いし、そうすることがドラマの役目だと思います」
「いろんな生き方があることを認めたい」
橋爪氏はさらに踏み込む。
「正しい・正しくないというのは、今の価値観の人が思うことであって、この先10年後、20年後、さらに100年後になったら、その価値観も正しさも変わっているかもしれない。それに、何が正しいかではなく、いろんな生き方があることを全部認めましょうというのが、セツさんと八雲さんの生き方だと思っているので、このドラマの中では何が正しいかということは決して言いたくないと思っています」
ドラマでは、トキは最初この依頼を断るが、お姫様だった実母・タエ(北川景子)が落ちぶれ、物乞いする様子を見てしまったことから、救いたい思いで女中になる覚悟を決める。たとえ世間からどう見られようとも、家族を守るために自分ができることをする――その決意が、トキを前に進ませるのだ。
この第6週から7週の展開は、「ばけばけ」という作品の核心でもあるだろう。
トキの幼なじみは結婚せず、時代に抗う
明治という時代、女性が生きるための選択肢は極めて限られていた。結婚か、遊郭か、あるいは偏見にさらされながらも外国人の使用人として働くか。どの道を選んでも、社会の目は冷たい。だが、その中でも必死に生きようとする姿を、この作品は明るくたくましく描いていく。
家族を養うために遊女になった“なみ”は、決して荒んでおらず、自暴自棄になるわけでもなく、日々を明るく過ごしつつ、外の世界を夢見ている。
その一方、興味深いのは、トキの幼なじみ・サワ(円井わん)の描き方だ。
明治の世にあっても、女性が生き方を選べないなんておかしい、男に頼らない生き方をしたいと考え、子どもの頃から教師という職業をあきらめずに目指し続け、第6週でついに念願の教職に就いて月給を得る。トキとは対照的に、時代に抗おうとする女性だ。
橋爪氏はサワについて次のように説明する。
「まずは当時の時代性を忠実に描きたい。その一方で、サワをちょっと違う目線で描くのは、その時代の価値観を際立たせるためでもあります。当時の女性の中にも『こんな社会は正しくない』と思っていた人たちもいたはずなんです。だから、ほとんどの女性が結婚していくのが主流である一方で、その価値観に違和感を抱く人もいたよねということを、サワを通して描きたい」
「うらめしい」時代を生き抜いた女性たち
史実では、セツはハーンに日本各地の民話や怪談を語って聞かせ、それが『怪談』をはじめとする数々の著作の素材となった。実質、ハーンの文学活動を支える共同制作者だったわけだ。
しかし、「小泉八雲」の名前のみが長い時を超えて生き続け、歴史の中で埋もれていったセツの名前や、果たした役割を思うと、そこにもまた当時の女性達が背負う「うらめしさ」も感じなくはない。
ドラマの第1話冒頭で、結婚したトキは学がないことを嘆いてはいるものの、トキがいなければ民間に伝わる怪談の数々が本になって世に出ることはなかったとヘブンに労われていた。二人が本当に幸せそうだったシーンだ。
結婚や身売りなど、男に主導権を託すしか生きる術がなかった時代の女性の生き方を、美化せず、卑下せず、当時の価値観のままに見せる「ばけばけ」。そんな本作への反響からは、歯を食いしばって困難に立ち向かい、乗り越えるよりも、暗闇の中でも光を求めて笑う女性達の明るくたくましい生き方に励まされる人達がたくさんいることが見えてくる。
長年にわたって女性の自立や社会進出を描く作品が王道路線だった朝ドラは今、ひとつの転換期を迎えているのかもしれない。