ハラスメント行為を平気でするような上司が出世するのはなぜなのか。人材育成コンサルタントとして、ハラスメント行為者へのカウンセリングを専門に行う松崎久純さんは「パワハラ上司が出世するような組織では、組織内にあるハラスメント行為は目的・目標を達成するための必要悪のように捉えられていることが多い」という――。

「なぜこんな人が?」と思う人が役員に…

「なぜこんな人が?」と思う上司が役員に昇進し、仕事へのモチベーションが下がっています。その上司(新役員)はパワハラをすることで知られた存在です。こんな人事が許されていいのでしょうか。当社には人格者不在という気さえしています――40代の管理職の方からのご相談です。

この話を聞いて、私も過去の体験を思い出しました――目の前で話す上場会社の社長の言うことが信じられなかったときのことです。

この社外から抜擢された雇われ社長は、昼食の約束に1時間も遅れてきたのを詫びることもなく、数年前に社長に就任してからの自分の活躍ぶりについて話しはじめました。

そして私に「自分が本当に社員たちから信頼されるようになったのは、いつからかわかるか」と聞いたのです。

実のところ、この会社では退職者が相次いでおり、社長の秘書からは、「転職できる力のある人は、管理職から若手まで、ほとんど全員辞めてしまった」と聞いていましたから、私は従業員たちから伝わってくる社長の評判と、社長自身のセルフイメージの違いに面食らってしまいました。

私が答えられずにいると社長は、「自分が来てくれてよかったと、社員たちが心から思うようになったのは、いつからだと思うか」と、あらためて尋ねてきたのです。

退職届を手に立っている女性
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優秀な社員たちが退職してしまう

私は、相手に合わせて話の受け答えをするのは苦手ではありませんが、このときは真正面に座った社長を目の前にして、絶句してしまったのです。

社長はこの業績が芳しくなかった会社に就任してから、リストラや極端な経費削減を行い、会社を黒字化しようとしていました。

ようやく数期目に当期純利益がわずかな黒字を計上しましたが、その間、社長は自社製品の拡販をしたわけでも、顧客を増やしたわけでもなく、不採算部門の撤退や人員の削減を行っただけでした。そして、将来に不安を抱いた多くの社員が、優秀な人から順に退職してしまっていたのです。

社員たちを「恐怖」で管理する社長

社長は社員たちを「恐怖」で管理していました。

社員は自分の考えを述べて、それが社長の考えを否定するものであれば、ほぼ確実に降格させられます。

「会社は採算性のある部門だけを残して、規模を縮小しているだけ。こんなことなら誰にでもできる」といった本音など、誰も口にできません。

そんな事情を知っていたため、目の前に座った社長から「社員が自分を本当に信頼するようになったのは……」と聞いた私は、想定外の問い掛けにフリーズしてしまったのです。

「わかりません……」と答えた私に、社長は「業績を改善して、皆のボーナスの額を上げた時からだ」と話しました。

社長は「先日支給したボーナスの額を、自分が就任する前よりも引き上げた」「そうできるように業績を回復させたことで、社員たちが自分のことを本当に評価するようになった」と自慢するのです。

操られている従業員
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社長は就任してから役員へのボーナス支給をなくしてしまい、他の社員への支給額も減らしていましたから、直近のボーナスの支給額を少し上げたところで、それまで支給していなかった分の補塡ほてんさえできていません。

実際のところ、会社は一時的に黒字化したように見えるだけで、事業が成長しているわけでないのは、誰にでもわかることでした。

そこで見切りをつけて転職活動をする人たちも増えているのですが、それでも社長は、周りのイエスマンたちがおだて上げるからでしょうか。(少なくとも会社に残っている)社員には信頼されていると思っている様子なのです。

問題は「何とも思っていない」ところ

ここで私は、この社長が裸の王様だと悪口を言いたいのではありません。

従業員や取引先からちやほやされ、自分が立派だと信じ込んでいる経営者は、めずらしくありません。彼らが自らを優れていると思っていることや、あるいは、そう勘違いしていることは構わないのです。

無視できないことは、むしろ別のところにあります。

この社長の例で言えば、会社を黒字化するために、リストラや無理な経費削減をするのを「何とも思っていない」ところが問題です。それによって不利益を被る人たちのことをまるで気にしていないのです。

社長は、「犠牲」となっている人や物事について、想像をめぐらすことさえしていません。

リストラには費用が掛かりますし、会社として再就職活動のサポートも実施しているでしょう。

しかしながら、黒字化するために人員を削減したり、経費削減で(例を挙げると)社内研修の一切を取りやめて、会社から人材育成活動の機会をなくすといった「犠牲を払うこと」について、何ら痛みを感じていないのです。それどころか、こうした経営者は犠牲を出すことが、むしろ自分の立派な行動力の表れであり、評価されるべきと思っていることもめずらしくありません。

組織における「犠牲」が出てしまう理由

組織における「犠牲」は、人員や経費の削減だけでなく、他にもたとえばブラック化は、その一例です。人手が不足して従業員の労働時間が長くなることなどは、よく耳にするのではないでしょうか。

また、(当連載で毎回取り上げている)組織におけるハラスメント、あるいは、そのハラスメント行為を適切に管理しないマネジメントの犠牲になる人たちもいます。

「犠牲」について気にしていないのは、前出の社長だけではありません。

自分に降りかかってこないなら、誰が、あるいは、何が犠牲になろうと気にしない人は、残念ながら組織に多く存在します。

黒板にはハラスメントの文字、言われている人は困っている
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私はハラスメントの行為者へのカウンセリングを行う専門家として、企業などの組織へ出向きますが、組織内でハラスメント行為に苦しんでいる人が、それを適切に管理しない組織にも悩んでいる様子を頻繁に目にします。

なぜ組織はハラスメント行為を適切に扱わないのか。どうしてそれを野放しにするのか。相談者の方が言われるように、「なぜパワハラで知られた人材が重要なポストに抜擢されるのか」という疑問は、多くの社会人が抱えています。

なぜそうしたことが起こるのでしょうか。

前出の社長が「犠牲」を気にしていないように、ハラスメント行為の管理に責任を持つべき人たちが、ハラスメントによる被害をまるで必要悪とでも思っているかのように、問題としてシリアスに捉えないのが、その理由の一つです。

ハラスメントを必要悪と捉える組織

何であれ犠牲を払うことができれば、目標の達成は容易になります。

たとえば、必要なときだけ雇用する、いつでも解雇できる、雇用を延長しなくてよい。こうしたことが自由にできれば、「売り上げが落ちているのに、雇用し続けなくてはならない」という状態よりもラクになります。

他の例を挙げれば、(これを「犠牲」と呼ぶのは語弊があるとは思いますが、)雨の日に傘をさしてバスに乗って駅に向かうよりも、いつでも車で駅まで送ってくれる家族がいるほうが、通勤もラクになります。

通勤だけでなく、自分の身の回りのことをこなしてくれる人がいれば、すべてを一人でするよりも、仕事に集中でき、成果を期待しやすくなるでしょう。組織内にあるハラスメント行為(それにより人に被害や負担が及ぶこと)も「犠牲」として、まるで誰かの目的・目標を達成するための必要悪のように捉えられていることは多いのです。

パワハラ人材が役員になる理由

「こんなに犠牲を払って成果を出しても、褒められないのでは……」という状態も、目にすることがあります。

よくあるのは、財務諸表の数字だけ見れば業績は良好に見えますが、メンタル不調による休職者が多くいるというパターン。それが常態化して、ハラスメントなどを原因としたメンタル不調は「このくらいあっても普通」、「昨今ではめずらしくない」と認識されていることもあります。

これはまさにある程度の「犠牲者」を出すことが、認められてしまっている状態です。

もし組織が、メンタル不調で休職中の社員が全体の○パーセント、今どきこのくらいは普通という割り切り方をしていれば、相談者の方を悩ませている「パワハラ人材が役員になること」は、不思議ではなくなってくるでしょう。

「犠牲」は、有価証券報告書や財務諸表に表れるものではありませんが、業績に対して、どのくらいの犠牲が払われているかは、注意深く観察してもよいテーマだと思います。

こちらを指さし怒鳴り散らす男性
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「犠牲」を気にする経営者と気にしない経営者の違い

組織には、犠牲を気にする人、気にしない人、どちらのタイプの人が存在していてもおかしくありません。ここでは経営者を例に、その見分け方を1つ紹介します。

たとえば、ゴールデンウィークや夏休みなどの大型連休に入る前に、経営者の方が、従業員の皆さんの前であいさつをされる機会があるのではないでしょうか。

そのときに注意して聞いてみましょう。彼らの話し方には、大きく分けて2つのパターンがあります。

1つは、「連休を迎えるこの機会に、日頃から皆さんを支えてくださっているご家族の方々に感謝しましょう」という手合いのことが述べられるパターンです。

「従業員の方たちのご家族の支えがあって、組織は従業員を迎え入れることができ、ありがたく思っています」というニュアンスのあいさつをされる方。現状を支えている目に見えないものに想像が行き届き、敬意を持たれていることが伝わります。

こうした話をする人たちは、本当にそう考えていて、従業員からも尊敬されていることが多いものです。

これに対してもう1つは、組織の業績などについて話し、「ぜひこの休みに鋭気を養って、元気に戻ってきて、また頑張ってほしい」という話がされるパターンです。一見常識的なことを話しているようにも聞こえますが、こういう話をする経営者は、「自分が雇用してやっているおかげで、従業員の家族もこうして休暇を過ごすことができる」という感覚でいることが多いのです。

「従業員は雇用してやるもの」という考え方

口にはしないものの、従業員は雇用してやるもので、自分が使ってやっているという考えが根本にあります。残念ながら、従業員とその家族にも支えてもらって、自分の組織が成り立っているとは考えていません。

この場合、経営者は「従業員やその家族が会社のためにある程度の『犠牲』を払うのは当然」と考えていてもおかしくありません。

経営者のこうした考え方は、従業員に敏感に感じ取られているものですが、そんな組織では、ハラスメント行為も、見ないふりをしても差し支えのない「犠牲」と捉えられ、野放しにされがちです。

経営者の方が、どちらのタイプの話をされるのか、機会があるときには注意して聞いてみてください。

「犠牲」や「目に見えない支え」について、どんな意識を持っていそうか見抜くつもりで聞くのがコツです。