仕事と家庭の両立をめぐる男女の違い

【清田】男性たちが育児とかケア労働をもっとするようになること自体は必要だし、大事なことだと思うんですけど、少し気になることがあって。男性が家事育児をする時間が圧倒的に足りていないということがメディアを通じて言われるようになると、「イクメン」のようにケア役割を積極的に担うのが、男性にとっての望ましいあり方になって、それが実践できていることが、自らの優越性アピールや、他の男性に対するマウンティングの道具になってしまう可能性もあると思ったんです。この点、いかがでしょうか?

『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)
『どうして男はそうなんだろうか会議』(筑摩書房)

【平山】いま言われたような男性像が「望ましい男性像」になった場合、男性も積極的にケア労働をしなきゃというプレッシャーになりますから、いい面もありますよね。現状では、ケア責任が女性に偏っていますから、男性同士で競い合って、ケア責任をめぐる不均衡が少しでも改善されるなら、それはよいことだと思うんです。

他方で、気をつけたほうがいいこともあります。たとえばイクメンって、これまで女性に押しつけられてきたケア責任としての子育てを、男性が積極的に担うということですから、男性に変化が起きているように見えるんですね。それによって、実は全然変わっていない男女間の不平等を、見えなくしてしまう効果があると思うんです。

育児にコミットする男性は、それをマウンティングの道具として使うかどうかは別にしても、従来、自分の性別と結びつけられていなかった仕事を行うことでポジティブな評価が得られる面はたしかにある。ところが、子どものいる女性が、こんなに仕事を頑張っていますと言っても、「家族を放っておいて大丈夫なの?」と言われたりして、無条件にポジティブな評価が得られるとは限らない。だとすると、仕事と家事育児の両方を追求しようとするとき、男性と女性では、社会からの評価が違うということです。

大きくて小さな男性のつながり。父と赤ちゃんの息子は拳をぶつける、クローズアップ
写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです

「ハイブリッドな男性性」の目くらまし効果

【平山】男性性研究の中に、「ハイブリッドな男性性」という概念があります。これは、これまでの男性のあり方に、そうではなかったもの、たとえば、従来、女性に結びつけられてきたものや、ゲイ男性など周縁化されてきた男性に結びつけられてきたものを取り入れることで、「男性が変わった!」という認識を人びとのあいだに生み出す男性性であり、その「変わった!」を目くらましにして、実のところ全然変わっていない性の不平等への異議申し立てや批判を、かわす機能のある男性性のことです。「イクメン」をめぐるマウンティングも含め、「新しい現象」にばかり目を向けることで、実は変わっていない不平等が等閑視される可能性がないかは常に意識したいところです。

【清田】男性が自分の子どもを世話するだけでポジティブな評価を得られてしまうというのも、よく考えたら妙な話ですが、さらにそれが元々あったジェンダーの不均衡を覆い隠してしまうとしたら……。つくづく根深い問題だなと感じます。

澁谷 知美(しぶや・ともみ)
社会学者

1972年、大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻。現在、東京経済大学全学共通教育センター教授。ジェンダーおよび男性のセクシュアリティの歴史を研究している。著書に『日本の童貞』(河出書房新社)、『日本の包茎』(筑摩書房)などがある。

清田 隆之(きよた・たかゆき)
ライター

1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。恋愛とジェンダーの問題を中心に執筆活動を展開。単著に『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)などがある。

平山 亮(ひらやま・りょう)
社会学者

1979年、神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程を経て、オレゴン州立大学大学院博士課程修了。専門は社会学、ジェンダー研究。現在、大阪公立大学大学院文学研究科准教授。著書に『迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から』(光文社新書)、『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)などがある。