2012年2月19日(日)

分析「無能でも役員になれる人、やり手でも躓く人」

なぜ、あの人が……。サプライズ人事はなぜ起きるのか

PRESIDENT 2010年3月15日号

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日産自動車のナンバー2である志賀俊之COO(最高執行責任者)が46歳の若さで常務執行役員に大抜擢されたのは2000年4月のこと。生き残りを懸けたゴーン改革による経営再建のスタートと同じタイミングである。それまでは学閥や年功序列で役員が選ばれるケースが圧倒的に多かったが、ゴーン体制での異例の抜擢人事で最若手の役員の入社年次が5年以上も若返った。

日産自動車の志賀俊之COOは、本社傍流から“ゴーン効果”で一挙に出世した。(PANA通信=写真)

志賀氏は決して出世コースを歩んできたわけではない。大阪府立大学経済学部を卒業し、入社後は傍流のマリン事業部に配属。海外部門に移ってからも花形の北米や欧州の担当でなく、東南アジアなどの未開の市場開拓が中心だった。約5年半、左遷同然で単身赴任したインドネシアの事務所へは本社から訪ねてくる社員もなく円形脱毛症になるほどの孤独感に悩まされたという。

若手の頃から数々の修羅場を経験した志賀氏だが、本社に復帰後、「企画室」という部署へ異動になったことが出世階段を一気にかけ上がるきっかけとなった。ルノーとの資本提携の際には企画室長・アライアンス推進室長として提携作業の実動部隊のメンバーに加わり、ゴーン社長(仏国立高等鉱業学校卒)の目にとまったのである。

しかも、志賀氏は英語が得意でコミュニケーション能力に優れていることも今日までゴーン社長の女房役を続けられる重要なスキルである。日産はかつて役員の半数以上を東大卒が占めていた時代もあったが、ルノーと提携後は学閥などによる優劣は通用しなくなった。もっとも、彼らが日常業務で大きな功績を挙げても、「英語はペラペラ」でなければ、役員どころか、部長職にも昇進できない。語学の壁にぶつかり不本意ながら会社を辞めた有能な幹部社員は多い。

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