8月に幹部人事を終えたばかりの防衛省で、早くも来夏の人事に関心が注がれている。注目の的は「将来の事務次官候補」の呼び声高かったエリート、高見澤将林・防衛研究所長の処遇だ。

高見澤氏は今回の人事で防衛政策局長から防衛研究所長に就任した。ところが、「防衛研究所長は公務員の俸給表上は防衛政策局長よりも格上扱いだが、やや名誉職的な色合いがあるポスト。これまで防衛研究所長から事務次官になった例はない」(防衛省関係者)ことから防衛省内にさざ波が立っているのだ。

「11年2月、防衛審議官の新設を盛り込んだ防衛省設置法等の一部改正法案が国会に提出されたが、自民党の反対で不成立に終わった。防衛審議官は外務省の外務審議官、総務省の総務審議官のような次官待ちポスト。防衛省は高見澤氏を新設の防衛審議官に据え、12年、中江公人事務次官と交代という人事構想を描いていたが、法案不成立で瓦解した」(同前)

その皺寄せで、高見澤氏は1年間のモラトリアムを余儀なくされたのだ。

高見澤氏は東大法学部卒業後の1978年に防衛庁へ。防衛政策課長や自衛隊の部隊運用を担当する運用課長、運用企画局長を歴任。NDU(米国防大学)に留学した省内きっての米国通で、日米弾道ミサイル防衛を推進した。

11年5月には内部告発サイト・ウィキリークスが報じた日米関連の公電にも高見澤氏の名前が登場した。普天間基地の沖縄県外移設を掲げていた鳩山政権当時、高見澤氏は2009年10月に来日したキャンベル米国務次官補に「(民主党に)あまり早期に柔軟性を見せるべきではない」と、鳩山政権との安易な妥協をしないよう助言した。この公電は、官僚の鳩山不信を物語る内容として話題になった。

一方、高見澤氏の後任の防衛政策局長には、同じ東大法卒で同期入庁の西正典氏が就任した。

「高見澤氏は人が嫌がることをズバズバ指摘、敵が少なくない。西氏は温厚な人柄だが、防衛省汚職事件の守屋武昌元次官に干されてきた。年齢は西氏が2歳上なので次官昇格は難しいが、奇跡的に復活した西氏が高見澤氏を出し抜いて大逆転という可能性も否定できない」(同前)

1年後はどうなっているか。