区役所に勤める山田さんは公務員のため子どもが3歳になるまで育休を取れる。その間は育児に専念しようと決めた。娘はベビーベッドで過ごすが、骨がもろいため抱き上げられない。おむつを替えるのも骨折の痛みで泣き叫び、泣くとすぐチアノーゼが出るので、とにかく泣かせないようにと神経をすり減らす。栄養は鼻から注入し、24時間の酸素吸入が欠かせない。夜中もいつでも起きられるようにソファで仮眠する生活が続く。

ずっと寝たきりの娘がかわいそうで、ベビーカーに酸素ボンベを積んでは、毎日のように近所を散歩した。

「萌々華はいつも上を向いて寝ているので周りが見えません。だから、『ワンワン来た』『電車に乗る』とか、どうやって言葉を覚えるのだろうと心配で、よく話しかけていました。すると『おかあさんといっしょ』を見ていた娘は最後の挨拶の場面で、『バイバイ』と。そこからペラペラしゃべりだしました」

できれば保育園で同じくらいの子たちと過ごさせたいと思う。だが、医療的ケアが必要な子を預けられる場所はなかった。育休終了も迫り、インターネットで必死に探していたら、ベビーシッター希望の看護師の女性にたどりつく。職場では小学校就学まで短時間勤務が認められ、彼女に半日見てもらうことで復帰できた。

仕事を辞める選択肢はなかった

娘が4歳になると地域の子ども園へ入園がかなうが、集団生活で風邪をもらっては入退院を繰り返す。その秋には肺炎で呼吸不全に陥り、気管切開して人工呼吸器を装着することに。それでも仕事を辞める選択肢はなかったという。

「たぶん仕事をしていなければ、精神的にもたなかったと思います」

プライベートでは「萌々華ちゃんのお母さん」として頑張るけれど、職場では「長島(旧姓)」の自分に切り替えられる。そこでバランスを保っている気がすると漏らす。

「もし仕事を辞めたら、いつかきっと後悔する。この子のせいで辞めたと悔いたら、娘に申し訳ないという気持ちもありました」

しばらく介護休暇をとって付き添い、小学校就学とともにフルタイム勤務に復帰。特別支援学校でも人工呼吸器の子は親の付き添いが必要で、やむなく自宅での訪問教育を頼む。たんの吸引ができるヘルパーを探し、在宅で見てもらうことになった。