社内でも実力を発揮し始め、結婚と出産も経験しながら管理職に。しかし、35歳のとき、無理がたたってひどい腹痛を起こし、2度も救急車で運ばれることに。そんな体験も「2度目は救急車が出払っていて、はしごのついた消防車がやってきました(笑)」と半分、笑い話にしている。当時は海外出張もある一方、子どももまだ小さく、時間のマネジメントが大変だったそう。

「40歳で会社を辞めたのは、子どもをもっとケアしたいという思いと親の介護という家庭事情があったから。キャリアもある程度、先が見えてしまったことでバーンアウトした感じです。そんなとき、日本にもロースクール制度ができたので受験してみたら、東大から合格をいただけた」

(左)新日本製鐵に入社。18年間を過ごした。(右)東大ロースクールの入学式で夫と。

東大ロースクール時代は、ビジネスの現場での経験が法律の勉強とリンクし、教授たちとの対話も面白くて、充実した日々を過ごしたという。司法試験に向けて1日13時間もの学習を積み上げ、一発合格した。ところが、弁護士の事務所に入ろうとする段階で、大きな壁に直面した。

「ロースクールで一緒だった若い人たちは大手事務所にどんどん就職が決まるのに、私のことはどの事務所も歯牙にもかけない。60社以上に応募して全滅でした。その頃は、毎日のように不採用の“お祈りメール”を受け取っていましたね」

「採用を見送らせていただきます。今後のご活躍を“お祈り”申し上げます」という丁寧だが冷たい返事。不採用の理由はわからないが、「当時43歳で新人弁護士としては扱いづらいと思われたのでは」と語る。

「この時期が1番辛かったですね。昼間からドラマの再放送をぼんやり見て、キャリアの選択を誤ったかもと考えるときもありました」

40代で復職、転職するなら恥も外聞も捨て人脈を使う

そんなどん底からどうやってはいあがったのか。また、同じように40代で転職や復職をしようとする女性に助言するとしたら?

「きれいごとを言わないで、頼める人には頼むというか、恥も外聞も捨てることですね。相手からどう見えようと構わないので、『就職先が見つからなくて困っている』と自分の状態を伝えて、誰かに助けてもらう。そういう格好悪さを引き受ける覚悟が必要なのでは」

結果的に就職した法律事務所を紹介してくれたのは、新日本製鐵時代の後輩だった。

「ひとつの会社に長くいると、心のどこかで自分が偉い人になっちゃっているんですよ。私も以前はそのプライドを捨てて頼み込むことができなかったのですが、大学院で若い学生さんと同列に並ぶうちに、あるがままを見せられるようになりました」