“「自分のことは、自分でやりなさい」と甘えは一切許さない母でした”

母は興信所を経営し、若い頃は自ら調査業務も行う“女探偵”でした。特殊な職業であると同時に、1960~70年代は仕事を持つ女性が珍しい時代ですから、母は働く女性のシンボル的な存在としてメディア取材を受けることも多く、そのうえ推理作家として執筆業も行っていたので、とにかくいつも忙しくしていましたね。

マリリン・モンローのピンナップ前でポーズをとる母・みどりさん。戦争に翻弄された体験から女性も自ら生き抜く力が必要と、戦後は自立の道へ。母の働く姿から常に自分で考え、行動することを学ぶ。親子水入らずの時間は少なかったが、母と娘は強い絆で結ばれていた。

そんな母を誇らしく思う半面、母がそばにいない寂しさは常に感じていました。週末、時間があれば一緒にいてくれるとはいえ、平日は仕事を優先し、子どもの世話は家政婦さんに。一緒にいる時間が少なかったので、正直、母との思い出は多くありません。

母の言葉でいちばんよく思い出されるのは「じゃ行ってくるわね」という言葉。小学3年生のとき、放課後、両親の会社に行って、一緒に帰ろうと母を待っていたのですが、母は会合の予定が入っており、「じゃ行ってくるわね」とタクシーで行ってしまいました。一緒に帰れると期待していたのに母を見送る羽目になったときの悲しさや寂しさは強烈で、それ以降、「お母さんはこういうものなんだ」と、自分に言い聞かせるようになりました。自分の感情をコントロールし、悲しみを乗り越えることを学んだのです。これが母とのいちばんの思い出ですね。