幕末から明治にかけて、日本には莫大な財を成した4人のイノベーターがいた。彼らはどこが違っていたのか。雑誌「プレジデント」(2018年2月12日号)の特集「仕事に役立つ日本史入門」より掲載記事を全4回で紹介しよう。第1回は「渋沢栄一の会社の作り方」について――。

東京ガス、キリンビール、東証、王子製紙の設立に関わった

渋沢栄一がいなくては、今の日本は全く違う姿をしていたでしょう。渋沢は、第一国立銀行、東京ガス、王子製紙、東京海上火災保険、帝国ホテル、秩父鉄道、キリンビールなど、日本経済をリードする多数の企業や東京証券取引所の設立に関わった人物です。日本における実業の基礎をつくった最大の功労者は、渋沢といえるでしょう。

1853年、ペリー来航で始まった幕末。幕府はアメリカ合衆国との不平等条約(日米和親条約)に調印。全国から討幕運動が沸き起こりました。

1840年に豪農の長男として生まれた渋沢もまた、若かりし頃は討幕の志士の1人でした。従兄の尾高淳忠に古典を学び、北辰一刀流で剣術を学んだ渋沢は20代前半、高崎藩の城を襲撃して武器を奪い、横浜で外国人を切り倒す攘夷の計画を立てます。そんな生粋の志士がなぜ、「日本資本主義の父」と呼ばれる偉人になったのでしょう。

それには3つの要因がありました。1つは「様々な人の意見を聞き入れ、考えを改める柔軟性があった」こと。高崎城の襲撃の際も、京都での見聞から反対意見を持った従兄の言葉を聞き入れ、中止にしています。また、もともと実家が農業の傍ら商売をしていたことに加え、渋沢自身も武士、官僚、実業家と様々な職業に就きました。そのおかげで多様な立場を理解する器量が身についていきました。広く情報を集め、その中から一番いい選択をすることで、何度も困難を乗り越えています。

▼渋沢栄一
1840年:現在の埼玉県に生まれる。実家は豪農
1858年(19歳):従妹ちよと結婚
1864年(25歳):一橋慶喜に仕える
1867年(28歳):徳川昭武に従ってフランスへ
1869年(30歳):明治政府に仕え、民部省租税正となる
1873年(34歳):第一国立銀行開業・総監役
1885年(46歳):日本郵船会社創立
1900年(61歳):日本興業銀行設立委員
1901年(62歳):日本女子大学校開校(後に校長)
1906年(67歳):東京電力会社創立・取締役
1931年(92歳):永眠

※歳は数え