銀行員だった筆者が見た「バブル」の勃興と消滅

バブルが起こった理由のひとつは、85年の「プラザ合意」だと言われています。その頃、自動車や電気製品などの輸出により、日本の対米貿易黒字が増大していました。その大きな要因が円安であるとして、85年9月に、ニューヨークのプラザホテルで開催された当時のG5(先進5カ国蔵相、中央銀行総裁会議)で「円安の是正」が決定されたのです。

当時1ドル=240円程度だったものが一気に150円程度にまで円高が進みました。私はプラザ合意の1年前まで、東京銀行(現三菱UFJ銀行)で為替の売買をしており、プラザ合意当時はアメリカに留学していたので、このドル‐円レートの大きな変動を実体験しました。

この合意により輸出が不振となる「円高不況」が来ることを懸念した日本政府・日銀は金利を下げ、市中の資金量を増大させました。そのことで金融が超緩和状態となり、不動産業者などが、まずは東京駅周辺などの土地を買い上げ、それが周辺地域、そして地方にまで波及し、バブルが発生したのです。

▼狂ったような熱狂が日本を包んだ

土地の価格が上がったことで担保価値が上がり、されに融資が増えるという「循環」が全国津々浦々で起こったのです。当時、日本全部の土地の価格で米国が2つ買えるとまで言われました。

先に述べたように、余ったお金は株やゴルフ会員券にまで及び、狂ったような熱狂が日本を包みました。三菱地所がニューヨークのシンボルのひとつであるロックフェラーセンターを買収したり、青木建設がカリフォルニアの名門ゴルフ場ペブルビーチを手に入れたりしたのもこの頃です。当時は夜になると都心繁華街はおおにぎわいで、深夜には帰りのタクシーがひろえないことも少なくなく、夜間だけタクシーが増車されるということもありました。

「半分、青い。」の中で主人公の田舎にも突如、ある開発話が持ち込まれたが、結局頓挫

先ほど触れた、ドラマの舞台となった岐阜県・東濃地区の商店街に、「サンバランド」開発話が持ち込まれるのはまさにこのタイミングです。

しかし、ご存じのようにバブルは崩壊しました。89年暮れにピークを付けた株価は、翌90年に4万円台に達したものの、その後、あっという間に2万円台にまで下落。土地の価格もバブル前の水準くらいにまで急落し、「半分、青い。」でも、「サンバランド」開発が頓挫します。