国内大手自動車メーカー 調査部
松田明子
さん 40歳 転職2回

「残業少し」でもOK。職住近接の幸せを満喫

20代の頃は市場調査会社のデータ分析業務などを担当。31歳で結婚し、夫のバンコク駐在を機に退職すると、現地の大学院でビジネス経済学の修士号を取得した。

松田明子さん

そのキャリアを活かし、帰国後はシンクタンクのコンサルタントに。完全成果主義の会社で、自分を追い込むように働いた。

だが37歳で産休・育休を取得後、待っていたのは過酷な日々。

「復職しても出産前のように働けない自分がもどかしく、娘がぐずると本気で怒っていました」

転職を考え始めた頃、仕事で関わった女性から、「今は人手不足だから、子どもがいる女性でも転職で不利にならない」と聞き、思い切って行動することにした。

「残業はあまりできません」と正直に伝え、40歳で今の会社へ。

「前職を活かして調査・分析部門で働いていますが、今のところ、ほぼ定時に上がれています。自動車業界は初めてですが、実直な社風がいいですね。新しい世界を知ることも楽しく、充実しています」

▼松田さんの幸福度の変化
22歳:市場調査会社に入社。環境変化のストレスでアトピーが悪化 -50%↓
38歳:復職したが余裕がなく、自宅に仕事を持ち帰る日々 -80%↓
40歳:自動車メーカーに転職。飾らない実直な社風に好感をもつ 50%↑

(文=新田理恵 撮影=伊藤菜々子)
NPO法人AfriMedico 代表
町井恵理
さん 40歳 独立

アフリカの医療を変えようと、MRから起業家に

外資系製薬会社では社長賞を受賞するほど優秀なMRだった。だが、発展途上国で働きたいとの想いがつのり、27歳で青年海外協力隊に。これが退職の引き金となる。

町井恵理さん

「『感染症対策』の枠でニジェールへの切符を手にしたのですが、両親は『安全は保証できるのか』『将来のことも考えるべき』と大反対。辛かったです」

3カ月にわたる説得の末、ようやく現地の土を踏むが、赴任先では身近な人が突然亡くなり、自身も栄養失調で倒れた。

「念願のアフリカでしたが、無力感にも苛(さいな)まれました。いくら感染症対策の啓発をしても、現地には治療薬もない場所があるんです」

帰国後はビジネススクールに通い、持続可能な医療支援の方法を模索。そこで出会った仲間と現在のNPO法人を設立した。

「アフリカ行きを反対されたことがバネとなり、今の私がいます。いつも励ましてくれる夫と、あの時私を送りだしてくれた両親に感謝しています」

▼町井さんの幸福度の変化
27歳:アフリカに渡る前に親から猛反対され、説得に苦労する 10%↓
32歳:ビジネススクールでアフリカでの医療貢献の道筋が見える 80%↑
37歳:あきらめていた結婚をして精神的安定を得る 90%↑

(文=桜田容子 撮影=伊藤菜々子)